第3話 薬師

 家の横に建てられたエミールの作業場は小さな掘っ立て小屋であった。

 丸太で組まれた山小屋風だが、それは紅にとっては初めて見る建物であった。

 紅は変わった作りだなと眺めつつ、エミールが扉の南京錠を外し、中へと入る。

 中は明かり取りの窓などは無く、薄暗かった。

 「中は暗いな」

 「あまり温度が上がらないように窓を小さくしているの。暗いから灯りを点けないとね」

 エミールはランタンに火を灯した。

 「なるほど・・・提灯のような物か」

 ガラスで出来たランタンを紅は物珍しく見る。その間にエミールは作業場の奥へと進んだ。

 「ここが薬草の棚。こっちが薬にした棚」

 小箱が並べられた棚が壁一面にあった。紅は作業机に目をやる。

 「なるほど。薬を作る道具はこれだな」

 作業机には薬草を潰したりする道具が並ぶ。それらは多少の違いはあれ、紅が一目で使い方が解る代物ばかりだった。

 「よく解るわね。あなたも薬師なの?」

 「薬師・・・いや。ただ、自分でも薬草から薬を作る事は多くてね」

 「凄いわね。なかなか自分で薬を作るなんて出来ないわよ」

 「いや・・・旅先で何でも一人で出来るようにと習ったのでな」

 「旅先・・・旅人なの?」

 「旅人・・・まぁ・・・そんな所です」

 紅は癖で忍びである事を隠してしまう。

 「じゃあ、この薬草とか解る?」

 エミールは箱から薬草を取り出す。紅はそれを凝視するが、さすがに自分の世界の植物と一緒と言うわけにはいかず、口籠ってしまう。

 「これはヒトタラスと言う草よ。痛み止めに使われるわ」

 「なるほど・・・」

 紅は感心しながら、その薬草を凝視する。忍びは薬草や毒草に長けている。その為、この世界の見た事も無い薬草や毒草であっても、エミールから教われば、即座にそれらを理解し、覚える事が出来た。


 エミールの職業は薬師である。

 薬師は動植物や鉱物などから薬を作り出すのが仕事である。

 魔法がある世界でも治癒魔法は高位魔法であり、使える者は数少ない。多くの者は魔法での治癒よりも医師や薬師を頼るのが普通だった。

 医師も薬師もとても専門的な知識が必要とされる。そして、生半可な知識だと人を殺す事もある。その為、医師や薬師を名乗る為には国から認められる必要があった。

 紅はエミールの助手として、働く事になった。

 エミールは紅が薬草や毒草、キノコの見極めが素人離れしている事に驚きながら、彼女には薬師の才能があると見込み、色々な事を教える事にした。

 紅は山に入るのにエミールの服を借りていた。エミールの服は俗にワンピースと呼ばれる物だ。動き易いようになのか。膝だけまでしかスカートは丈が無い。下着としてパンツを履き、足を守る為にズボンを履く。そして、革のブーツを履く。この革のブーツに紅は慣れなかった。

 確かに厚手で足を守るには適しているようだが、ゴワゴワして、歩きにくい。

 山を歩くのは紅には難しい事では無かった。

 稀に蛇などを見掛けるが、それが毒があるか無いかに関わらず、紅は捕まえる。毒があれば、毒を採取する。毒が無ければ、食用とする為だ。

 蛭や蜂など、紅の世界でも見るような生物も確認が出来た。確かにおかしな世界ではあるが、大きく違うわけでは無いと確認が出来た。

 

 紅がこの世界にやって来て、1ヵ月近くが経つ。

 エミールの作業場には毎日、数人の人がやって来る。紅はあまり彼等に姿を晒さないようにしている。多くは薬を買う為に訪れる。近くの村や街から、あるいは行商人。稀に身なりの良い貴族なども訪れる。

 紅は姿を晒す事はしないが、訪れる者をつぶさに観察する。

 今日、訪れたのは一人の若い女性。あまり派手では無いが、生地から察して、かなり高価な服である事が解る。そして、彼女の連れである女性2人と男が5人。単なる連れと称しているが、女2人は従者と言った素振りであり、男の方は屈強で、武士のような雰囲気を醸している。事実、彼等の腰には長剣が携えられており、馬車には槍などもある。

 つまり、女はかなり身分の良いお方なのだと推測される。

 女の名前はセアラ。

 エミールとは旧知の間らしい。

 紅が影から観察を続けていると不意にエミールに呼ばれる。

 エミールが客人を前に紅を呼ぶのは珍しい。呼ばれて出ていかないのは不自然なので、渋々、彼女達の前に姿を晒す。

 「彼女が紅。山で倒れていた所を見付けたの」

 エミールは屈託なく、セアラに説明をする。

 「初めまして。私はセアラ」

 セアラは優しい笑みで挨拶をする。紅も慌てて、深々とお辞儀をする。

 「紅です」

 セアラは紅をまじまじと眺める。

 「珍しい髪色ね。真っ黒なんて。東の遠い国にはそうした方々と居られると聞いた事があるわ」

 それを聞いたエミールが答える。

 「東方のラギンダの地ですね。噂には聞いておりますが、あの海を越えるのは難しく、未だ、海路が無いと」

 紅にとって、二人の会話はこの世界を理解するには大きな情報だった。

 「失礼ですが、海を渡るのが難しいとは?」

 紅の時代においても外洋を渡るのは困難であった。しかしながら、不可能では無く、外国との貿易は事実、行われていた。それすら困難な程にこの世界は技術が不足しているのかと彼女は思ったのである。

 「えぇ、あの地と我がエルディアランド大陸の間には深淵の海と呼ばれる大海があり、そこには多くの魔物がおり、海を渡ろうとすれば、阻まれるのです。特に最近は魔物の活動も活発になっており、各地で、被害が増えていますの」

 「魔物ですか・・・それは普通の獣とは違うのですか?」

 紅の質問に場が一瞬、静まる。慌てて、エミールが答える。

 「紅は魔物を知らないのですね。魔物は悪魔の放った人間を駆逐する為の獣であり、魔力を持ち、獰猛で、恐ろしい生き物です」

 「悪魔・・・?」

 紅は更に解らないと言った感じになる。その様子に更に場は静まる。

 「悪魔・・・それは人間を駆逐する存在です」

 「人とは違うのですね?」

 紅の素朴な疑問にセアラは表情を強張らせる。

 「人・・・悪魔は・・・幾度となく、人を滅ぼそうとしたのです。しかし、その都度。神々は勇者を我等に与え、撃退をしてきた歴史があるのです」

 「勇者ですか・・・では、再び、悪魔が暴れるようならば、勇者が生まれると?」

 「左様です。我が国はかつての勇者が作ったのです。ですから、再び、魔王が生まれたら、我が国は真っ先に戦わねばならないのです」

 セアラの覚悟とも言える言葉に紅は少し、圧倒された。

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