第4話 メガネで繋がる人間関係
「ふうん、トラックに轢かれそうに、ねえ」
「いや、本当ですから!」
なかなか信じてくれない……まあ、それもそうか。
血が流れたが、掠り傷だった。消毒し、絆創膏を貼って、はい終わり。
絆創膏なんて、久しぶりに貼ったなあ、と懐かしさを感じた。
保健室から出た扇はおとなしく教室へ向かう。
そろそろホームルームだし、サボる理由として絆創膏は弱いだろう。
そんなわけで、長い階段にうんざりしながら、扇は足を進める。
角度がない階段は、大回りをするように長い……角度こそないものの、だからこそ距離が長いのだ。併設されたスロープの影響らしいが、毎日となるとこの長い階段でも嫌いになる。
エレベーターがあれば……いや、絶対に混むだろうし、いらないか。
すると、前を歩く女子生徒……、ちらと見えたバッジは緑。つまり扇と同じ二年生だった。
それに、バッジの模様が、扇と同じ……じゃあ同じクラスか。
そんな彼女は、段ボールを抱えて、長い階段をゆっくり、ゆっくりと上がっていた。
と、
「きゃっ」
小さな悲鳴と共に、階段から彼女が落ちてくる。
角度がないから落ちる、というよりは後退してきた、と言った方が正しいが、それでも衝撃はそこそこ強い。
受け止めた扇が「がふ!?」と肺の空気を全て吐き出してしまうほどには、威力があった。
段ボール分の重さも加わっているためだろう……、彼女が特別、重たいというわけではない。
心配になるほど、華奢な方だし。
これは扇が悪いのだが、足場を踏み外し、そのリカバリーもできず、派手に後ろに転んでしまう。もちろん彼女も巻き込み、段ボールをどさどさ! と地面に落としながら。
「いた、たた――」
強く打ったお尻をさすりながら、少女は片手で地面を探っている……なにかを探している?
でも見つけられないようで、ここから退く気はないらしい。
「おい、俺の体を座布団代わりにして、楽するなよ……」
「へ? ――あっ、ごめんなさい!!」
柔らかかったので、いいけれど、とはもちろん言わない。
飛び退いた少女は、「ごめんなさいごめんなさいっ」と何度も謝っている。
しかし、そっちは壁なんだけどなあ……。
「ごめんなさい――あの、もう、許してください……っ」
「分かったから泣くなよ!? ちょっとのいたずら心で話しかけなかった俺が悪いからさ!」
扇の居場所が声で分かったのか、少女が顔を真っ赤にして俯いている。
どうやら、自分の勘違いに気づいたらしい。
さすがに慰めよう、としたら、扇の足が、ぐしゃ、と感触を得た。
……嫌な感触だった。
割れた音。壊れた、音。
扇は下を見て、確認し、理解する。
「メガネ、かぁ……」
壁に謝っている時点で気づくべきだったのだ。素で間違えるわけがない。であれば、見えていなかった、と考えるのが普通。事実、そうだったわけだ。
単に彼女は、目が悪かっただけで……、
それに手探りをしていたものも、これのことだったのだ。
そして今だ。メガネはぐしゃぐしゃに壊れてしまっていて、レンズも当然、割れてしまっている。とてもじゃないが、かけることはできないし、かけられたとしても、これで満足に見えることもないだろう。
つまり、
「……あの、連れていって、くれませんか……?」
「――ああ、分かった。俺のせい、だしな」
当然、拒否権などあるはずもない。
―― ――
「あたし、
委員長です、とも言った。
彼女のことは、見覚えがあった。……ないとおかしいのだが。同じクラスなのだ――しかし印象が薄いのは、単に扇が見ていなかった、だけなのだろう。
意識しなければ視界に入らない存在だった……、と言えば彼女のせいと取られてしまうが、違う――彼女に限らず、あまり他人を見ていなかっただけだ。
扇も扇で、世界にピントが合っていないのかもしれなかった。
それに、メガネの有無も、少なからず影響はしているのだろう。
(……なんか気まずいなあ)
久野が運んでいた段ボールを、扇が代わりに運んでいる最中である。
久野は、前が見えにくいため、扇の制服をちょこんとつまんでいる……、
見た目、小動物のような、守りたくなるような彼女である――、それが目を引くのか、すれ違う生徒がちらちらと扇たちを見ていた。
ゆるふわ、とした、明るい茶色の髪が、肩まで伸びている――ちょっといじっているのか、それとも癖毛なのかは分からないが、少しくるんと丸くなっているのが特徴か。
身長は同姓から見ても低いのだろう……だから扇からすれば、妹よりも小さい。
(あいつの場合は、たぶん同年代に比べて大きいんだろうけどな――)
「…………」
「…………」
続く沈黙。考えてみれば、こうして二人きりになるどころか、会話も初めてだ。
なにを話せばいいのか分からないし、話す内容も思いつかない。
とりあえず、メガネのことをどうにかしないとな――と、扇が先陣を切った。
「悪いな、メガネ、壊しちまって。弁償するからさ……、すぐに直るものなのか? それとも新しく買い直すか……どうする?」
「いえ、弁償は、大丈夫です。よく、壊すので、家に予備がいくつもあって――なので大丈夫です。それに、あの時は、あたしが悪かったですから……」
まあ、そうなのだが。そこを突いて、そうだそうだっ、とは言えない。
言えるほど、扇も堕ちたわけではないのだ。
「じゃ、じゃあ、今日一日、お前の目の代わりをする……それでいいか?」
「それは、助かりますけど……。え、じゃあ、一日中、一緒ってことですか!?」
「必然、そうな――あ、嫌、だよな……そうだよな。悪い、今のは」
「いえいえ、気にしません大丈夫ですお願いしますっっ!!」
そして、扇と久野の急接近について、クラス全体へは高速で知れ渡るわけで。
扇の制服をつまむ久野を見て、クラスの男子が盛り上がった。
……扇からすれば悪い意味で。
『委員長に手を出したぁああああああああああっ!?!?』
「出してねえよ!!」
何度も何度も事情を説明したのだが、男子共は聞く耳を持たない。
ここまでバカだったっけ? と思ったが、そう言えばバカだったな、と納得した。
もう面倒だ、と諦めかけたが、しかし相手の意見もある。
久野が迷惑であれば、この盛り上がりは徹底して鎮火させなければ――、
『ねえねえ、なんで加城くんなの!?』
と、久野の方も言い寄られていた。
答えを返す前にやってくる質問に久野はパンク寸前だった。
未記入の項目が次々と溜まっていくばかりで、終わりが見えない……。
聞いているだけでぐるぐると目を回している久野……、
目じゃなく、耳が聞こえにくければ、もっとマシだったろうけど。
運動部、文化部問わず、同じ温度で盛り上がれるこのクラスは、まあ団結している方だろう。
で、だ。
この温度を保っているのは、意外と遠藤が先導しているからでもあるのだ。
「おうおう、すげえなあこれ。で、付き合ってるのは本当なのか?」
「違うっての。お前も説明を聞いていなかったのか?」
「口裏合わせたダミーかと」
遠藤はそういう裏事情を探るのが上手い。
だが、今回は本当に、久野のメガネを壊してしまったがゆえに起きた急接近というだけである。みんなが期待しているようなことにはならない……、なったらなにかしてくれるのか?
どうせ、おもちゃにされるだけだろう。
「ま、お前は興味ねえもんな。だってあの子が同じクラスだってことも分からなかっただろ?」
「まあ、な――、っ、お前のそういう、全てを見透かした目が嫌なんだよ!」
「お前に限れば見抜きやすいだけだがな」
言われ、「むっ」となる。
そこまで分かりやすいか? 顔に出しているつもりはないが……、
無自覚こそ、本人の本音が最も出やすいと言えばそうなのかもしれない。
「オレは理解しているが、さて、他のやつらはどうだろうな。誤解を解くなら自分でやれよ、放っておいて沈静化するのを期待するなら、数日はこのままだと思うぜ?」
「お前が焚きつけてるんじゃねえか……ッ」
「なんのことだか。ほら、助けを求めるけど、いかないの?」
見れば、久野が泣きそうになりながら、助けを求めている。
見えにくいはずだが、正確に扇の場所を特定している……いや席順か。
委員長なら、把握していて当然だ。
「……はあ、今いくから、待ってろ」
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