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第3話 妹との冷戦状態

 いつもより早く目が覚めた。時計を見れば、学校に行く時間よりも一時間以上も早い。

 なので、まずは目を覚まそうと洗面台へ向かって、そして冷たい水を顔面にぱしゃ、とかけているのが、今のこの状況だった。


 最近、前髪が鬱陶しくなってきたな、と思いながら、加城かしろおうぎは、薄く青く見える髪を見ながら、そう思う。

 別に染めたわけじゃない。生まれつきこうなのだから仕方ない。周りも結構、個性が出た髪色をしている人が多いので、あまり浮くことはないし、目立つこともない。


 一応、目が覚めたところで、自室に戻った。二度寝をするには中途半端な時間だ。

 一回、寝てしまうとたぶんもう起きられない。遅刻が決定する最悪なパターンだろう。


 そうは言っても、起きて何かをするでもないし、勉強をするほど頭が冴えたわけでもない。

 ただぼうっとしていると、外――庭から声が聞こえてきた。

 よく聞けば、ダムッ、ダムッ、という、ボールを弾ませている音にも聞こえる。


 扇は、この音に聞き覚えがあった。昔、毎日のようによく聞いていた音だ。


 窓を開け、外を見れば、そこには妹の姿がある。

 加城かしろ天理てんり

 今年、受験生の中学三年生だ。扇と二つ年が離れていた。


「おー、やってんなあ」


 昔はよく自分もやったものだ、とあの姿を見ながら懐かしむ。

 天理は、ボールを地面にバウンドさせ、庭に立てたゴールに、シュート。

 そのボールはリングに掠ることなく、リングをくぐる。

 網の、シュパッ、という音が聞こえて、それが気持ち良かった。


 天理は転がるボールを拾って、定位置に戻ろうとして、気づいた。

 二階から見下ろす兄を見て、すぐに目を逸らす。


 冷たい視線だった。

 なにか諦めたように、なにか、ガッカリするような視線が扇を突き刺して――、

 天理はそのまま、いつもと同じ練習を始めた。


 

 いつからだっただろう――、と扇は思った。

 でも、その答えが分かっていて、それが分かったところで、なにかできるわけでもない。

 だから、目を逸らしてきた。


 昔はいつも一緒だった。いつも一緒に、同じスポーツをしていた。


 バスケットボール。

 それは扇が小学校から始めて、遅れて天理が始めたものだった。

 その時の天理は、目を輝かせていて、期待するように扇を見ていた。


 だが、今はどうだろうか。すれ違っても、挨拶すら交わさない。

 話したりすることもない。この三年間くらい、ずっとだった。


 理由は簡単だった。


「俺が、やめたからだろうな」


 やめた理由というのも、特別なことがあったわけじゃない。

 怪我で仕方なく、というわけでもない。


 扇のやる気がなくなったのだ。

 試合をしても、練習をしても、楽しくなくなった。

 その理由、というのも分かっているのだが。


 こんな理由でやめたと知った天理は、あれから態度が変わった。

 扇を軽蔑するようになった。それも、仕方のないことだとも、扇は思っている。


 バスケをやめた代償だ。自分勝手にやめたのだ、それくらいの罰は受けると思っていた。

 だって、色々な人の期待を裏切ったのだから。親も、友も、そして天理も――。


 だからこれは仕方のないこと。

 扇はまた、投げ出した。

 


 しばらくすると、時間も、良い頃合いになってきたので、自室から居間へ下りる。

 そこにはもう、朝食ができていて、良い匂いが漂ってきた。


 テーブルを見れば、既に一人の食事がなかった。


「天理は朝練?」

「そうよ。あの子、『次の大会は優勝するんだから!』って言って、張り切ってるからねえ」

「へえ」


 母親とそんな会話をしながら、朝食を食べ始める。

 今日は、昨日の残りのカレーだった。


「そう言えばなんだけど」

 と、母親。

「ん、なに」


「天理が最近、忙しそうなんだけど、なんかあったっけ? 

 バスケ以外にはまってることとか、あるのかなって……」


「まあ、そりゃあ中三なんだから色々とあると思うけど……俺だってそうだったじゃん」

「でも、あの天理なのよ? バスケ以外、なにも興味を持たなかった、あの天理よ?」


 確かに、天理はオシャレなどしないし、恋愛というものにも、あまり興味がなかった。

 いつ見てもバスケ、バスケ、バスケ――、そんな感じだっただろう。


 バスケのことしか考えていなかったのか、『邪魔だから』という理由で髪は切ってしまっている。スポーツをするには合う髪型だが、女の子としてはどうだろう……、これはこれで需要はあるのかもしれないが。今では、扇の方が長いくらいだ。

 それに、天理も少し、髪の毛は青っぽく見える。

 ということは、この青さはこの家系の特徴なのか。


「知らないなあ」


 そもそも、天理とはまったくと言っていいほど関わりがない扇にする質問ではないだろう。

 母親の期待に、応えることはできなかった。


「そっか。ならいいわ」


 もう用事はないのか、特に会話が続くことなく、

「ごちそうさまでした」と言って、二階の自室に上がろうとしたところで、


「ねえ扇。あんたは、もうバスケはやらないの?」


 と、母親がそんなことを聞いてきた。

 そしてこの言葉をもう、何回と聞いただろう。数え切れないくらいだ。


 扇はこの言葉に、決まっているかのように、こう返答する。


「ああ、もうやらない。……あんな思いをするのはもうごめんだからな」

 


 自分の自転車を出して、ペダルを漕ぎ、気持ちの良い風に当たりながら、学校に向かう。

 家から学校は近いわけじゃない。

 どちらかと言えば遠い方に入るのか。それでも電車を使うほどではなかった。


 今日は気分が良い。

 赤信号に一回も引っ掛かっていない。

 うん、今日は占いが一位だったのも頷ける――と、

 始まったばかりの今日に、『最高』の評価をつけた。


 ―― ――


「よっ、扇」

 だが、その最高の評価はすぐに消え去った。


「……なんだ、遠藤えんどうか」


 遠藤が、自転車に乗って並走してくる。彼とは小学校からの付き合いで、大体のことであればなんでもできるという特技を持つ、薄っすらと茶髪の、メガネ野郎だった。


 そんな悪友が、ニコニコと、他人が見ればバカにされている感じるような笑顔で言ってくる。


「おいおい、付き合いが長いんだから、下の名前で呼べよ。

 忘れたのかよ。オレの名前は遠藤えんどう三春みはるだ・よ」


「女みたいな名前だから呼びたくねえんだよ」


 一度、名前を呼んだらクラスの女子に気持ち悪いと言われた。

 なにが気持ち悪いのかは分からないが。


 名前が? それとも名前を呼んだ扇が? どちらにせよ失礼だとは思うが……、


 それからは、遠藤のことを名前で呼んだことはない。確かに気持ち悪いと自覚しているし。


「まーいいけど。でさ、オレらも二年に上がってもう一ヵ月も経つぜ、そろそろどこかのグループに入った方がいいんじゃねえの?」


 そういうことも意識した方がいいのかもしれない。これまで、扇と遠藤は二人でセット、と言われていたし、このままだと『同性愛』扱いされてしまう……それだけは嫌だ、絶対に。


「まあな。グループ、ねえ。でも、俺は大体のやつとは喋ってるぞ?」


「そうだけどな。スポーツグループ、アニメ好きのグループ、運動部と文化部でもいいけどさ――オレもお前も、どっちもいけるから偏らないんだよなあ」


「じゃあいいんじゃねえの? 無理して入らなくてもさ。臨機応変に付き合えば」


「それじゃダメだろ! いいか!? ここで間違えたグループに入ればお前よおっ、高校生活が灰色になるんだぞ!?」


 熱くなる遠藤……暑苦しい。

 扇は鬱陶しく思い、自転車の速度を上げた。


「って、おいおいおいおい!? 先にいくのはずるいだろ!?」


 叫ぶ遠藤を置いて、迷わず突き進む。

 このまま学校まで突っ走ってやろうか、と考えていると、

 信号が青に変わった。やはり、今日は運が良い――、


 だが、安全に変わった横断歩道を抜けようとして、


「っ、扇っ、待て!!」


 声に気づき、扇は気づく。

 そこには、信号が赤にもかかわらず走り続けているトラック――。


 運転手は、意識がはっきりとはしていない。


「――っ!?」


 避けられない。細かいハンドル捌きも、大した影響がないだろう……自転車に乗った状態なのだ。いくら小回りが利くとは言え、それでも地に足がついていないこの状況では難しい。

 このままじゃ、撥ねられて――死ぬ。


「こ、のぉおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!」


 扇は、吠えた。


 そして、トラックが駆け抜けていく。


 その後——、大きな事故はなく、破壊の音もなく、

 ただただ、静寂が残るだけだった。


「――おい、扇!?」


 遠藤が駆け寄った時、扇の姿はそこにはなく――、


 少し離れた公園の花壇に、頭を突っ込んでいた。


「大丈夫かよ!?」


「いつつ……なんだよ、あれ! 完全に信号無視だよなあ!? 

 それ以前に運転手、ありゃ寝てただろ――殺人未遂だぁ!!」


 頭を打ったようにも見えたが、これだけ叫べれば大丈夫だろ、と遠藤は安堵の息を吐く。

 一安心だった――それにしても、と遠藤は思う。


 あの状態から、あのタイミングで、一体どうやって、トラックとの衝突を免れたのか。


「あ、血が出てるじゃんかよ……一応、保健室には寄るか。おい遠藤、早くいこうぜ」

「あ、ああ――」


 まあ、そんなことはどうでもいいか、と遠藤は考えるのをやめた。

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