石川かふか
「夢も過去も現実も、同じくらい感情が動かされる。体験できる。ならば変わりはないじゃない?」 (石川かふか 『午前4時からあとちょっと』 蒼山書房 二〇二五より引用)
次の話ですか?(微笑)そうですね、色々考えています。今回は私の個人的に思い入れの強い、感心の高いテーマを選ばせていただきました。というより、私が無意識のうちに考えてしまっていることを言語化した、と言う方が近いかもしれません。
――意識的にテーマを選んでいるわけではない?
無いと思います。なんとなくおぼろげながら、こういうことがあって、という話の輪郭は決めますが、それからあとは書いてからのお楽しみですね。
――ラストも初めから決まっているのでしょうか。
決っている時もありますが、それは書いてみないと何が出てくるかわからないと思います。書いているうちに違うイメージが出来上がれば、それはそれで面白いと思います。もっと極端なことを言えば、そのような予期せぬ啓示、のようなもの、何て言えばいいんでしょうかね(笑)、そういう予期せぬ展開がない作品は本当にダメです。面白くありません。短編なら無くてもいいと思いますが。
――予期せぬ啓示ですか。なるほど。それは「降りてくる」みたいな?
それに近いかもしれませんね。言葉にすると薬物中毒者みたいですが、まあ似たようなものです(笑)
――(笑)よく作家さんは「キャラが勝手に動く」ことがあると言いますよね。
そうですそうです(激しく首を縦に振る)。そうならない物語はダメです。あくまで私の意見ですが。
――初めっから頭の中にストーリーが出来上がっていることは無い?
昔、それで一度書いたことがありますね。でも駄目でした。私としてはあの作品は気に入っていますが、おそらく売れないでしょうね。
――因みに、その作品の内容をうかがってもよろしいですか?
そうですね、まだ発表していないので、しかるべき時にリメイクしたいなとは思っているので、それを待ってくれたらうれしいです。
――今後に注目と言う事ですね。次回作のテーマの候補があると仰っていましたが。
書かなければならないことはたくさんありますね。というか、書かないと私の精神が狂ってしまいます。皆さんは私の自己療養に勝手に付き合わされているだけですね。
――壮大な巻き込み型自己療養ですか。
そういうものですよ。私は優れた文学作品を書こう、文学で世界を良くしようなんて、魯迅みたいなことは思っていません。最も、魯迅の作品は好きです。私の作品はきわめて個人的なものですし、そこは今後改善していくべきところかもしれません。
――もっと読者を意識するというか、社会に何かを発信していきたいと?
うーん(腕汲み)、それほど大層なことは考えていないですね。たとえ優れた本が世の中にあふれても、優れた人間があふれることはありません。優れた本を読んで優れた人間になるかというと、そうでは無いと思います。インパクトは残すかもしれませんが。だから、社会に何かを発信したいというよりかは、個人的に已むに已まれず書いていますね。
――已むに已まれず(笑)
はい。先ほども言いましたが、物語がないと狂うのは読者ではなく、まず私自身でしょうね。
――作家の性分なのでしょうかね。
多かれ少なかれ、そのような内的な動機が作家には必要だと思います。誰に指図されたわけでもなく、誰の役に立つかどうかもわからないものを、毎日毎日机に向かって生み出し続けることは、たいていの人は不毛に感じると思います。多くの人はそんなことをしません。もっと賢く生きる人もいれば、そのような内的な動機を日々の生活で解消している場合が殆どだと思います。コストパフォーマンスで考えれば、多くの人は作家になりたいと考えないでしょうね。それでも、一部の希有な人々は取り憑かれたように本を読み、本を書きます。何故かと言えば、それがその人にとって生きる上で必要不可欠だからです。私自身、活字を読めない日が一日でもあればきっとイライラします。一部の人間にとっては、それは生きる上で欠かせない要素になっているのです。あなたもわかると思います。
――私も確かに本が読めないストレスを味わったことがあります。
そうですよね。とても自然な、内的な欲望です。ただ、それだけじゃあ物語を書くにはやっていけないのも事実だと思います。先ほど話しましたが、私の作品はきわめて個人的な内容になってしまっています。今後その辺を調整したいですね。
――作品というものはそもそも個人的な物ではないのでしょうか。
そうかもしれませんね。ただ、それが独りよがりになっているのか、読んでくれている人を意識しているかはやはり重要な点だと思います。個人的な枠組みからビジネスに発展させる際、やはり自分だけの視点で考えているだけでは甘いと感じています。正直なところ、このような賞を頂いたのは光栄ですが、読者により訴えかけられる作品を作らなくてはならないと改めて思いました。
――自分の作品を「売る」ことを考えた時、まだ自分には足りないものがあると。
そうですね、私の物語に関わってくれた人はたくさんいます。私一人だけでは、本は本屋に置かれません。売れようが売れまいが、私自身どちらでもよい事と感じていますが、そのような人が関わってくれたことを私は忘れてはならないと思います。
――より今後は読者を意識した物語になると考えていいですか。
そこはわかりません(笑) 保証できませんね。とりあえずやってみて、自分に合わなかったり、逆効果になってしまうようならばしません。おそらく受けないだろうなあ、と個人的に思う作品も実は暖めていますし。 ただ、毎回きちんと戦いたいな、と思います。逃げも隠れもせず。
――戦いたい?
ええ、自己とも、他者とも。戦うこと、対話することで人は初めて協力できるのかもしれません。読書とは一方的受容でありながら、対話でもあります。読者によって感じ方が様々なことは語る必要もないと思います。ただ、私たちはそれをきちんとぶつけなければならない。今持てる力を持って。何もせずに口を開けて、自分の作品を読んでくれる人を待とうとも思いませんし、何でもありのこの自由な世界では、読者を引き込めなければ、結局誰もここを通り過ぎてなんかくれないのです。大抵の人は歓楽街のキャッチを避けるように、長い文章を避けます。それは有限な人生においてとても合理的です。この場所は誰もが気兼ねなくは入れます。資格もいりません。けれども、誰かを振り向かせよう、立ち止まらせようと思うならば、少しばかり話は違ってくるわけです。
だから、ここを通る人、今これを読んでいる全ての人に感謝しなければならない。だから私は、毎回泥臭くても、逃げも隠れもしたくないのです。私の作品が読者をどこかに連れていけなければそこまででしょう。その点はせめてもの意識しないといけないと思います。
――読者をどこかに連れていく作品を作りたい、と。
それは作家が唯一持つ責務だと思います。読者が今いるところよりも、一つでも多く別の位置に移動させなければ、その人にとってその作品を読む価値がなかったと言えるかもしれません。読書をして何か自分が啓もうされたいとか、新たな出会いを求めてだとか、そんな野望を持って人々は長い文章の一節を読み始めます。けれど残念ながら、そんな出会いがそうそうあるわけでもありません。その確率が高まるのが古典だとは思っていますが。
また、発信者は、多かれ少なかれ、「戦うぞ」というほどでもありませんが、やはりどこかで「逃げも隠れもしないで事実を受け入れるぞ」とどこかで腹をくくらねばなりません。当然ですが、たとえどんなに素晴らしい作品を世に出しても、全てが発信側にとって心地よい反応が返ってくるわけではありません。それはやはり仕方のないことです。それが嫌ならば……残念ながら、全く発信しないで自分の好きなことをするか、それをうまく受け止める、そこには適度にかわすことも含まれますが、しかないのです。これがある種の戦いだと思います。
――毎回真剣勝負の挑戦ということですね。本日は貴重なお時間をありがとうございました。
有難うございました。
(記者 : 佐藤佳寿子 都内某喫茶店にて)
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