……

 顔のない男が出てきた。出てきた、というよりはむしろ、私には彼がそこにただいることがわかったのだ。私の背中のすぐ後ろに彼はいるのだ。見えないけどわかるのだ。

 ああ、これは本格的に夢みたいだな。そうでなければ顔のない男なんか出てくるものか。感覚的にわかる。これは夢だ、って。

 やれやれ、これじゃ村上春樹作品じゃないか。

「『やれやれ、これじゃ村上春樹作品じゃないか』って、顔ですね」と彼は言った。私が思ったとおりだった。

「まあ、はい」と私は言った。

「あなたはカーネル・サンダースみたいな格好をしなくてもいいの?」

「カーネル・サンダースについて私にはわかりかねますが、特定の誰かの『ふり』をするつもりはありません」と彼は言った。

「ついでに申し上げると、ここでは誰かとセックスすることも野球バッドで誰かを殴ることもも、ジュンコシマダのスーツで高速道路を一人歩くことも必要ありません。あなたは『移動する』必要なんかないんです。ただ感じればいいんです。ここに私がいるということを」

「あなたがいるということを」と私は繰り返した。

「そうです。私はあなたに信じてさえ頂ければそれでいいのです」

「信じてる」

「私の姿は見えませんがね」

「振り返らないからね。特に振り返りたいって気持ちもないし、振り返るメリットもない。前に進むために、後ろを見ながら運転する馬鹿はいないだろ。人生って同じだよ」

「たとえあなたが振り返っても、私を見ることはできません。私はあなたが東を向けば東を見ますし、西を向けば西を向くんです。おんなじように」

「じゃあ、ずっと見れないね。影みたいじゃない」

「そうです、あなたは私を見ることはできないのです。でも私は存在しています。ただそれだけを知ってほしくて、わざわざあなたの夢を借りてこうしてやって来てしまいました。ここでしかあなたと会うことができないから」

「それはここがちょうど境界線の上だから?」

「そうとも言えます。なかなかいい得て妙かもしれません。とにかく私を信じてください。私は誰かを殺しなんかしません。あなたが信じてさえくれれば、私はいつでも味方です」

「信じるよ、勿論。たまにうんざりするときもあるけど、あなたには基本的に助けられてきたしね」

「それはあなたが私を信じていたからです」と彼は言った。

「私は昼間の月のようにいつもあなたを見ています、たとえこの世が紙に書いた月のようだとしても」

「信じてる」と私は言った。

歌が聞こえる。低い、少し大人な声で……


「踊りたくなる」と私は言った。

「踊りましょうよ。踊らなきゃ損ですよ、どうせ、どんなくだらない小説よりもくだらない世界なんですから」

「そうね、本当の話」私はステップを刻む。習ったわけじゃない。ただ頭の中にあるでたらめなイメージの通りに足を動かす。

「テイラー・スウィフトだって言っているもんね。『歌いたい人は歌い続けて、憎む人はずっと憎んで、私はただ踊って、踊って、踊りまくる』」

「そうですよ。人生なんて束の間の夢です。踊りましょうよ、目一杯」そうだ、踊るしかないのだいつだって。

 私はステップを刻む。かつて自分が作り出した友(キャラ)たちがそうしていたように。


さあステップを刻みましょう

準備も勉強も必要ない

ただ何も考えず楽しめばいい

ラ・ラ・ランドみたいに踊るのよ

別になにをしてもいい

どこに行っても壁だらけ

上を見上げりゃきりが無い

気に入らない曲だって

時にはそりゃあかかるさね

いつも起こり得なかった

ことばかりを嘆きがち

夢が現実に

現実が夢に 

叶った途端に選ばなかった

現実が夢になる

じゃあこれは夢? 現実

ここは境界線の上 狭間

どちらにもなれるまさに夢の場所

ここでは踊るのよ とにかく

なんにでもなれる

なんでもできる

人々はただの文字列と言う

夢に現を抜かすなと

それならば問おう

夢がないからなぜ生きるのか

踊ろう踊ろう

どうせこの世は悲しみで

踊ろう、踊ろう

どうせこの世は苦しみで

踊ろう、踊ろう

たくさんだからハッタリを言うの

踊りながら宙を舞ってもそれが現実だと言いはって

この世界では宙を舞えると


 私は空を舞った。顔のない男も私の後ろでぐるぐると宙を舞った。私は笑う。彼も笑う。

 そうだこれでいいのだ。

「これでいいのだ」と言い張るのだ。


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