コンテンツ①

私、空木玲子が28の生涯を閉じた直接の原因は車のガソリンが少なかったことだが、それだけではない。前日、2ヶ月ぶりに旦那と寝たことと朝お気に入りのファンデーションが切れたこともある。原因はたくさんあるが、結果は同じだ。車で1時間半近くかかる仕事場に向かう途中で私は死んだ。なんのことはない、こんな雪道で80キロを出していたのが悪いのだ。前日に夜ふかししたせいで少し遅く起きた上にコンタクトレンズもうまくはまらず、化粧のりも最悪だった。そんなわけで私は死んだ。私と旦那のいる町は雪国のとても小さな町だった。誰もが誰もを知っており、昨夜誰の家が喧嘩し、誰の家で愛し合ったかさえ筒抜けな町だった。私の旦那はこの町で唯一の内科医だった。いや、医者はこの町に彼しかいない。そんなわけで、ちょっとしたこと、今度の選挙では誰に投票すべきとか、奥さんの機嫌が最近悪いとか、そんな町民の他愛もない話さえも夫はよく聞いていた。そんなわけで、この町にきてからまだ2年目の私は、彼と愛し合うことを憚っ





……☆ ☆ ☆……





「風呂あがったよ。寝ないの?」

ここまで書いたところで、旦那君が浴槽の壁越しに話しかけてきた。

「うん、もうちょっと起きている。今アニメ見ているの。戦争で人がいっぱい死ぬやつ。見たくないでしょ?」

「見たくないね。無理だよ自分は……」

「『風立ちぬ』ですら無理だったもんねえ」

「無理無理。日常系がいいよ、アニメは」

「『ガルパン』なら見るのに」

「あれは悲しくないからさ」と彼は言った。私は反論したかったが、長くなるのでやめておいた。

「人が死ぬ物語は嫌?」

「嫌」

「そう」不思議だ。私が今まで大好きになった作品は、必ず誰かが死んでいる。私が描く作品も。

「変なの」

「そう? 誰だって嫌なことは見たくないじゃない」

「ええ、私はハードな物語の方が好きだけどなあ」私はけらけら笑って見せる。確かに私の方が少数派、か?

「ねえ、よかったら今日……」と彼が言いかけた。ああ、そうか。何が言いたいのかなんて、いちいち聞かなくてもわかる。前回からそろそろ一週間か。私は何も言えない。断る理由も断らない理由もない。


 結婚してもう数年経つが、私は子供を拒否している。子供が嫌いなわけじゃない。私自身が子供だからだ。まだやりたいこともあるし、お金だってそんなにあるわけじゃないし、それなら趣味に使いたいし。とにかく子供だけは無理。人一人育てるって、そんなに楽じゃないから。

 彼は私の意志を尊重してくれている。結婚する前にさんざん子供は作りたくないと宣言したおかげで、彼は納得してくれていた。何も言わない。本当はわかっている。彼が子供を欲しがっていることを。

 私も彼も家庭内の仲が良く、昔から彼は子供を欲しがっていた。「いればいいなあとは思うよ」と昔は言っていた。私があまりに拒否するから、今は何も言わないけれど。それでも、やっぱりどこかで罪悪感を覚える。彼の昔からのささやかな願いをかなえられないことを。しかしそれでも、私は子供を産みたくない。少なくとも今はまだ。ガキがガキを生むつもりはない。

正直、本当は結婚もするつもりなんかなかった。

 学生時代通っていた予備校の先生が元教え子と不倫した。そればかりか、別の先生は私の知人や私にまで連絡先を求めてきた。大学時代にバイトしていた時も、会社に入った後も、いくつも不倫する人を見てきた。そんなわけで、元から恋愛結婚というものに興味が無かった。愛は何もしなければ持続しない。私の人生訓の一つだ。

 そんなわけで私はこの先も結婚なんてしないだろうなと思っていたが、なんやかんやあって結婚してしまった。しまった、という言い方はおかしい。結婚した。私の意志で。当時はフェイスブックに長文を書くようなキラキラした誰とでも話すことのできる人間が(旦那はよく千文字ほどの文章を投稿する)私なんかと結婚していいのかと悩んだが、とにかく結婚した。なんていうのだろう、私は結局、「はじめから期待しないで、ダメならダメでいいや」と思っただけの話なのだ。それでも、もちろん彼のことが好きだったというのもある。曇りなき眼で私を見つめるこの人となら、ああ、結婚くらいしてもいいか、と跳んでしまったのだ。目をつぶって。

 とはいえ相変わらず子供は欲しくない。だから彼がイク時はいつも口でするようにしている。だいたい週に一回くらい、金曜とか土曜に。本当の話、ちゃんとゴムつけてくれるなら口じゃなくてもいいんだけど、なんとなく最初からそうしていたから、その癖が抜けない。

 遠慮、しているんだろうか、彼は。

 まあいい。深く考えたくない。子供ができるリスクが減らせるならば、それに越したことはない。

「今行くから、ちょっと待ってて」

私はまたパソコンを開き、一気に書き上げてから、保存する。なんとなくだけど、この前読んだ本の一節が頭に浮かぶ。思わず本棚から取り出して、その一節を見返してみる。


「私には、何か大きな欠陥があるのだ。子供なんか産みたくないし、育てられるわけもない。すでにそういう身体にプログラムされているのだと思ったら、じゃあ一体どうしたらいいんだろう。自分の中に何の指針もないことに気付いて、私は急に泣きたくなった。(※)」


 個人的にはこの後の文章が好きだ。


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