わたし

 子供のころから根っからの嘘つきだった。得したことはない。むしろ損ばかりしている。得する嘘をつかないからだ。

 私がつく嘘はたいていしょうもないことである。それは『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のホールデン少年が雑誌を買いに行くのに「オペラを見に行く」と嘘をつくのと似ている。そこに意味はない。理由もない。ただ嘘の方からやってくるのだ。あなたはこうですよ、と。私は嘘をついているとき、罪悪感など微塵もない。なぜなら私が嘘をつくとき、それは自分がそれを真実だと思い込んでいるからである。あとから自分の履歴書を眺めまわして自ら驚愕するのだ。そこに私はいなかった、と。


 正直に告白する。この文章のほとんどは嘘で成り立っている。大半の嘘から真実を探すのは極めて難しいが、ただはっきりと言えることは、この文章の一文目は真実だということだ。つまり私が嘘つきであることは真実だ。神に誓って、初めに断っておこう。

 この分は単に私の記録書である。嘘で塗り固められた私の記録の中で、真実を書き留めたい一心で書き留めている。大方の人にはなんの得にならな(そもそもこんな文章を読みたいと思う人もごく少数だろう)。この世にはたくさんの傑作小説があるから、こんな文章を読むよりもそれを読んだ方がいい。特にあなたがこれから小説家を目指している場合なんかは、こんな文章なんかより、スティーヴン・キング著『書くことについて』を読破した方がいい。あの本には無駄な言葉は一つも、私が思う限りはただの一つもない。それでいて面白い。

 その本はこんな引用から始まる。

『正直は最善の策——ミゲル・デ・セルバンテス

嘘つきは世にはばかる——無名氏』


 ところであなたは「箱女」というSNSアカウントをご存じだろうか。大半の人は知らないで当然である。見ればわかる。検索するに全く値しないものだからだ。そこにあるのはただの言葉の羅列であり、嘘である。どこかの飼い犬の動画でも見ていた方がましである。そこにはこう書かれてある。

こんにちは。美しいツイートマナーインフルエンサーの箱女です。 今日は皆様に美しいツイートを学んで貰おうともらいます。 素敵な御方がいらっしゃったときには、「美しいツイートですね」とリプライしましょう。 さあ、始めてください。

 これは紛れもなく私である。アイコンは段ボールを被った私だ。以前私は渋谷駅前で安倍公房の『箱男』ごっこをしたことがあるのだ。大した理由はない。箱男の気持ちを理解する一日が人生の中であっても悪くない、と思っただけだ。渋谷にはフリーハグをしている人がたくさんいるし、ハロウィンで仮装する人も大勢いるし位から、やるなら「ここだ」と思ったわけだ。

よく晴れた平日のスクランブル交差点の真ん前で、私は画家の男の子と二人で段ボールを作った。ただスーパーから持ってきた段ボールに雑誌を入れ、目が見えるよう穴を作っただけなのだが。人々は皆忙しそうに歩いていたので、何人かかちらちらとこちらを見ただけで、とりたてて何の事件も起きなかった。その日はたまたまフリーハグをしている人には会えなかったし、一緒に箱をかぶろうと約束していた画家の男の子は結局箱をかぶらなかったが、箱男ごっこは、まあ楽しかった。私は彼の優秀なガイドによって、慣れない視界の中、見事スクランブル交差点を渡り切った。手には『箱男ごっこ。箱を5万円で売ります』とサインペンででかでか書いたスケッチブックを持ち歩いていた。結局ただの一人も私に話しかけてはこなかったが、箱が売れたら売れたで、この世の誰かがどこかで死んだ可能性もあったので、良かったと思う。

 ハロウィン以外に人前で箱をかぶったことのある人が、どれほどいるかは知らない。あまり多くはないのではないかと思う。或いは袋でもいいが。私はつい先日袋をかぶって生活する男の物語を読んだ。そこには『ぜひ一緒に袋をかぶって読んでほしい』と書いてあったが、残念ながら私は袋も箱もかぶらずに読破してしまった。私はその主人公のように、あなたに箱をかぶることを強要しない。なんにせよ箱をかぶるためにはある種の「精神的強さ」が必要になるからだ。それは周りを気にしながらも気にしない、という強さだ。これは並大抵の人が持ち合わせているものではない。大抵の人間は周りからの奇妙な視線に耐えかねて、実行を諦めてしまう。たとえ箱男になる条件が全て揃っているにもかかわらず。そう、箱をかぶるためには準備と時間のほかに、何かしら他のファクタがないとやっていけないのだ。それは頭のねじを「自分からわざと」外すことなのかもしれない。

 とにかく、実際に箱をかぶる人はとっても少ないだろうから、教えてあげよう。箱をかぶって街を歩くと、大半の人は私を見ないふりするのだ。村上春樹の『TVピープル』みたいに。人々は私を華麗なステップで(それは驚くほど華麗だ)避けるので、一緒にいた彼は「箱さん(私は彼にそう呼ばれていた)の隣にいると歩きやすいです」と言った。

 私と彼の関係を書いておこう、彼とはSNSで知り合った仲だ。以前は少し違った名前だったが、私は『箱女』というペンネームで小説を書いている。彼は私の小説の挿絵を書いてくれたことがあり、またお互いの作品の感想を言い合っていたこともあり、かなり気心が知れていた。彼の本名は知らない。しかし彼の好きな作品(それはたいてい私も大好きだった)や彼の職業(すごく大変みたいだ)は知っている。お互いにそんなに年が離れていないこともわかっている。

 初めて会ったのはこの『箱男実演会』の時だが、彼は私を見てもなんら驚きはしなかった。

「箱さん、すぐにわかりましたよ」

「まあ段ボール持って渋谷にいる人間なんか俺しかいないしね」

「そうですけど、あんまりイメージとかけ離れて無かったので」

「ふうん」

 その日は箱をかぶって街をうろついた後、大半の芸術家を目指す若者がやるように、喫茶店に入って創作の話をした。彼は

「顔のない人を描きたいんですよね」と言った。彼は以前からたびたびゾンビやドラキュラなどのいわゆる「人外」をモチーフにしていた。

「なんで?」

「なんとなくです。顔ってその人の持つ一番の情報じゃないですか」

「うん」

「だからそれが無くなったら面白いかなって」

「それは、顔がカメラとか時計とかになっている、『異形頭』みたいな?」

「それも良いんですけど、そもそもなくっていいんじゃないかって」

「頭自体が」

「そうです」

「なるほどね」素敵な発想だった。

 しかし彼でさえ、結局は箱男になることはなかった。私だけが頭を箱にして渋谷を歩き、そのまま彼とは駅で別れた。

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