第一章 「君こそが邪道」⑵


「お前には、主に出島までの巡視をしてもらう」

長崎奉行所に着いてから、与力頭の高岡雪之丞に手解きを受けて一刻が過ぎた。南町の上司たちと比べて、この高岡と言う男は時折、兄の様な優しさを見せる。精悍な顔立ちさながら、心意気の爽やかな男ではあるのだが、それ以上に物腰が柔らかく、地方の与力にしては洗練されている。一方他の与力と来たら、高岡から距離を置いて、物色するような目つきで清一郎を眺めていた。

「まぁた江戸から飛ばされて来たよ。今度は女みたいな野郎だ」

「本当だ。ありゃ箱根で捕まってるな」

口々に清一郎を評しては、嘲笑している。清一郎は、腸が煮えくり返る思いで必死に陰口に耐えるも、笠を握る手にはどんどん力が入っていく。すると高岡は、皆の視線を遮るように前に立ちはだかると、清一郎の肩を押さえた。

「何か聞きたいことはあるか?」

ほろ苦い笑顔で、熱り立つ清一郎を落ち着かせる。火照った頭を冷やそうと、清一郎は一息吐いてから話を切り替えた。

「…あの、高岡殿は長崎のご出身で…?」

「何、業務より俺に興味があるのか」

はは、といたずらっぽく笑うと、高岡は清一郎の顔をじっと見つめ、頭を掻いてみせた。

「俺も、元は北町にいたんだが。お前と同じ、妻がいないゆえ、長崎に送られた」

「そうでござったか!」

同じ境遇の男と出会い、清一郎は食らいつく様に彼を見上げた。その芯の強そうな瞳に何を感じたのか、高岡は清一郎の頭を軽く叩くと、

「お前は、ふたなりひら、のようだな」

と一言言い置いて、その場を後にした。

 ふたなりひら。聞いたことのない言葉だ。清一郎は首を傾げると、腕を組み、袂に手を引っ込ませた。すると、何かざらっとしたものが、手のひらを掠めたのに気付く。

「何だァこれ…?」

袂を漁ると、中にくしゃっと丸められた紙が入っていた。取り出して、破れないように慎重に広げる。

 

『果たし状 可愛いお侍さん。 出島、西の洋館にて、待つ。夕七つまで 腰の玩具もご一緒にどうぞ』

 

 いつの間にか入れられていた、身に覚えのない果たし状。清一郎は思いっきり顔を顰めた。見た目に反して気の強いかの男は、この果たし状を送ってきた相手に一言言わずにはいられない。見た目で軽視されることが、何よりも嫌いだからだ。悪戯か、それとも新人与力への洗礼か、どちらにしても清一郎は、異動早々こんなにも馬鹿にされた屈辱を、晴らさなければならぬのだ。拳をぐっと握りしめ、唸る様に彼は呟く。

「それじゃなきゃ、武士じゃあねえ」

 

『またそんな格好で、街彷徨いていたんですか。捕まっても知りませんからね』

屋敷の奥から、神経質そうな声が聞こえてきた。その言葉は、もう何百回も聞かされている。耳に蛸だ。

『上司に向かってそんな口の利き方はないだろうね。なに、一寸の信仰心もないんだ。心配いらないよ』

『…はあ。こんな上司滅多にいませんよ』

溜息を吐きながら、声の主が階段を下りて来た。分厚い書物を二冊、脇に抱え、右手には大きな地図を持っている。

『この後、商談が入っていますからね。商館長もお見えになりますから、正装でお願いしますよ』

『ああ、わかっているさ』

この青年は、年の割にしっかりしている。朗らかそうな物言いだが、上司である自分にもちゃんと意見や注意をしてくるし、人に対しての偏見がない。とても頼もしい。

『そう言えば、長崎奉行所に、新しいお役人さん、入ったらしいですよ』

『ほう。それは興味深いね』

素知らぬ振りをして、椅子に腰を掛けた。青年は、地図を持ってこちらに来ると、

『はい、これ、ご希望のもの』

と、両手で手渡す。

『すまないね、ありがとう』

素直にそう言うと、青年は困った様な顔をして笑った。すると、彼は何かに気付いた様に、じっとこちらの手を見つめて、

『あれ、手、黒くなってますよ』

『…バレた?』

これ見よがしに肩を竦めてみせる。彼はポカンとした顔で首を傾げた。

『インクじゃない…これ、墨ですか? 和文でも書いたんですか?』

理解の及ばないことが起きると、彼は毎度質問攻めしてくる。悪い癖だ。

『ラブレター。書いてたんだ』

『…ああ、あの遊女の…』

バツが悪そうに途中で口を噤むと、青年は懐紙をそっと置いて、その場を後にした。

 彼がくれた懐紙を手に取り、汚れを拭きとる。白い紙の端に、黒く掠れた墨が滲んだ。

  嗚呼、罪の色だ。



 五

 夕七つ。

(出島の巡視と偽り、奉行所を抜け出してきたのは良いが…)

「果たし状」の送り主から指定された場所である「西の洋館」の荘厳さに、清一郎は呆気に取られていた。江戸では見ることの出来ない、バンガロー風建築。嘗て自分が住んでいた八丁堀の武家屋敷とは雲泥の差だ。扉の開き方もわからぬまま、黄金色のドアノブに手を掛けると、そのまま押し出るように前へ扉が開いた。

 七色の光を落とすステンドグラス。ガーネット色を基調としたカーテンや絨毯。そしてアンティークの代名詞とも言うべきランプやキャンドルスタンド、懐中時計が飾られた大広間。奥には、古びたピアノと、ローテーブル、グレーベルベットのチェスターフィールドソファが置かれている。清一郎にとって、この邸宅にある何もかもが珍しい舶来品であった。血生臭さの欠片もしない、先進的で高貴な空間に、清一郎は生まれて初めてカルチャーショックを受けた。

(アレもコレも、何に使うか全く分からん…。だが、なんて綺麗なんだ)

身の周りを取り巻く調度品に、思わず見惚れる。すると、欧風の花瓶に白梅の枝を一本、飾ってあるのを見つけた。清一郎はそっと手を伸ばすと、白梅の、雪の結晶のように小さな花に触れた。

 

「気に入った?僕もその花、好きなんだよね」

 

突然背後から轟いた声。思わずビクリと肩を上げる。涼やかな男性の声だ。

(人の気配を察することくらい容易なはずだったのに…全く気付けなかった)

清一郎は柄に手を掛けると、勢いよく振り返り、抜刀した。

「貴様が、果たし状の主だな!」

正眼に構え、顔を上げて相手の姿を捉える。

 だが、その正体に、清一郎は声を失った。

「その通りだよ。僕が呼んだんだ。申し遅れたね、僕の名前はセシリア・ローゼンクロイツ」

淑やかな修道服に、甘美な顔。凛とした立ち姿。待っていたのは紛れもない、「一目惚れの少女」であった。しかし、いまの彼女は、倒錯的。この言葉に尽きる。

「また会えて嬉しいよ」

…彼女の声は男性で、彼女が話す言語は日本語だったのだから。

パニックを起こしそうになった清一郎は、このセシリアと言う男女から離れようと、後退った。

「…後退ってるの?」

余程滑稽だったのか、泣きそうな顔をしているかの男を見て、セシリアはクスクスと笑った。挑発的な態度だが、その顔立ちは紛れもなく美少女だ。受けた衝撃が強過ぎて、清一郎は目の前が白く霞んでいくのを感じていた。このまま気を確かに持っていなければ、倒れてしまいそうだ。

(…何故あの女子が? 声からして男なのか? …何故日本語を?)

幻覚ではないかと、セシリアの顔を凝視する。どうか夢であってくれ。己の初恋が、完全に粉砕されない為にも。

「まあまあ…落ち着いて。僕が君を呼んだ理由は1つ。回りくどいのは嫌いだから率直に言うね。僕、君がすごくタイプなんだ」

心がぐしゃぐしゃになっている彼を察してか、セシリアは清一郎を落ち着かせようと自ら話を切り出した。

「タイプ?」

抑揚のない声で聞き返す。

「僕好みってこと」

「好み? いや、おめえ、男なんだろう? 俺も男だ!」

とうとう訳が分からなくなって、清一郎は全てを否定する様に、セシリアに向かって叫んだ。朝方恋に落ちた相手に、あっさり裏切られた。まさか、あの少女が男だったなんて。しかも、その男から告白されるなんて。

「ああ。知ってるさ。僕もこんな格好してるけど男だし」

特に気にもしない素振りで、セシリアは身に纏うスカートをひらひらしてみせる。淡々と話を進めようとする彼を、唖然とした表情で見つめる清一郎。パクパクと口を動かすも、肝心の声を発していない。

「…僕が怖い? 嗚呼、純情肌は厄介なんだよなあ。まあ…陥落させてくのが楽しいから良いんだけどさ。僕に惚れてた今朝のあの時が懐かしいよ。こんなんなら僕…女の子って勘違いされたまま、ヤることヤる時まで待てばよかったかなあ」

髪を撫で上げて、含みのある笑いでこちらを見る。えらい相手に目をつけられたものだ。彼には全てお見通し、手の平の上。凍りついたままの清一郎を、如何にも好色そうな目つきで眺めるセシリアは、色欲の化身その者だ。

「…どうやったら俺の手に落ちてくれるんだろう」

見目麗しいが故の、妖艶な微笑み。そこからは、清一郎を射止める目論見しか感じられない。嗚呼、かの男こそ、百戦錬磨の恋の騎士。こんな青年に愛されて、おそらく拒否する人物などいないだろう。だが、恋愛に疎いかの男には、男同士、つまり衆道などは最も無縁な部類であった。男同士で愛し合うなんて、考えもしない行為であり、不純極まりない。しかも相手は異国の少年だ。

「お、俺ァ、そっちの気は断じてねェからな!」

絞り出した答え。幾ら一瞬で恋に落ちた相手でも、男と分かっては別の話だ。

「じゃあ僕とは無理ってこと?」

セシリアは首を傾げる。

「あたぼうよ!」

気色が悪い。男同士、しかも全く別の人種が、交わり合うなんて。確かに、セシリアは少女の様に美しい。その気品に満ちた顔立ちは、真紅に咲き誇る薔薇にも勝る。だが、彼は男だ。その金糸の様な毛も、夜空を閉じ込めた様な瞳も、清一郎から遠く離れた「別の人間」である証。そして、決して繋がってはならない、禁忌の相手なのだ。

「ふーん…こんなんだから日本はダメなんだよなぁ…」

拒否されるのは想定内とでも言う様に、セシリアは次の手を打とうとしてくる。

「視野が狭すぎる。世界を知らないんだ。良いか、人生無駄な経験なんてないのさ。何事もトライすることに意義がある」

確かに、長崎に来てみて、己の世界の狭さを実感した。しかし、ソレとコレとは話が別である。

「僕が手取り足取り教えてあげるからさ。鎖国や何ちゃらで徳川さんにしかお熱になれない君に、海を超えた愛っての感じさせてあげよう」

「断る」

「分かるよ、君さ、僕が〝男〟っていう性別的なことで僕の気持ちを拒んでいるけど、本当は一目惚れしてたんだろ?」

全てを見透かされ、清一郎は言葉を失った。

「ち、違う…違う!」

「でもさ、断然君の方が可愛いと思うんだよね。華奢な身体、白い肌、武士にしておくには勿体ないくらいだ」

身体の上から下まで、愛おし気な目で清一郎を見つめる。そのエロティックな目つきに、男とはいえ胸が熱くなっていくのを感じてしまう。

「もうその江戸言葉は話してくれないのか。すっかり威勢がなくなってしまったね」

セシリアはゆっくり手を伸ばして、清一郎の柔らかな頬に触れた。無抵抗のかの男に、セシリアはそのまま犬を躾けるかの様に優しく撫で始める。

「あ…」

青年の滑らかな指に、緊張していた清一郎の頬も心も蕩けていく。どうしたことか…拒否反応を示すどころか、寧ろ意識が高揚していってしまう己が怖い。

(そんな顔で、俺を見つめないでくれ。嗚呼、俺が俺でなくなってしまう。駄目だ、陥落しては。お前は男だ、清一郎)

清一郎は寸でのところで欲望の淵から踏み止まると、思い切り腕を振り上げ、セシリアの手を払い除けた。そしてすぐさま懐から十手を出すと、無防備となった美少年の胸に、強く押し当てた。

「この、邪道め!」

「ああっ」

今までの弱々しさから一転、気っ風良く啖呵を切る。十手で胸を突かれて、セシリアは後ろに倒れ込んだ。

「黙っていりゃあ調子に乗って! 貴様みてぇな野郎、俺は大嫌いだ!」

大声でそう叫ぶと、清一郎は腰の刀を抜き払った。しかしセシリアは怯えることなく、こちらを静かに見据えている。

「良いのか、それで。手を出した方が負けなんだ」

「…あんなことされたんだ、もう我慢ならねぇ」

「若いな。今君がここで僕を殺めたら、君は罪人になるんだぞ。僕なんかの為に、君の武士道穢してもいいのか」

「…くそ」

 清一郎は刀を鞘にしまうと、セシリアの前に力なく座り込んだ。目の前にいる青年と、視線が合わさる。意中の男の訴えかける様な眼差しに気付いてか、セシリアは寂しそうに笑うと、

「…多少やり方が強引だったのは、謝る。でも、本当に好きなんだ…君が好きなのには、本当、変わりないから」

掠れた声でぽつりと言った。初めて言われた「好き」と言う言葉。それは意図せずして、清一郎の心の奥に重く重く、沈み込んでいった。

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