第29話:自殺の街10
ドン!
「どっちも無理だ」
老人は両手で机を叩いて立ち上がった。机の上に置かれていた書類等は音を鳴らして床に落ちていた。
「どっちも無理だ!」
老人は勢いよく続けた。後追いにひらひらと落ちていく紙が絶命のように静かに踏まれた。
「お前たちは何も分かっていない。街を変えろ? 街から出せ? 何を勝手な事を言っているんだ!」
ゼーゼー呼吸しながら椅子に座り込んだ老人の額には大量の汗が浮かんでいた。この街の人にはそれほど重要のことかもしれないが、オイラにはそこまでのものとは思えず、違和感を覚えた。シューも街の人との温度差と価値観の相違を感じていた。
「でも、そうでしょ? それで解決するでしょ?」
「そうじゃないんだ」
「じゃあ、どうなんですか」
老人は息をあげながら腕で額の汗をぬぐった。その白衣は汗で灰色のようになっていた。老人は悶えていた。
「お前らは間違っている」
「街のシステムを変えることですか? サジを街から出すことですか? それとも、その両方ですか?」
「いいや。自殺病やそのシステムに関する知識さ」
「なんでですか。自殺病とは……」
「自殺病とは、人を生かす手段だ!」
オイラは床に尻餅をついた。どうやらシューがオイラを落としたようである。オイラは自分を痛い目に会わせたやつを睨むために見上げたら、困惑した顔をしていた。
「生かす手段?」
「そうだ、変化しようとする人を生かす手段だ」
口を開けたシューとサジは理解が追いつかない感じだった。オイラもだけど。サジまでが理解を追いついていないのなら、オイラたちでは理解できるわけがない。
「生かす手段とは、どういうことですか?」
「変化しようとするものが自殺しやすいことはあなたも知っているだろう。でも、自殺しないものもいる。そういう人を秘密裏に生かすということだ」
「そんな」
「死ぬように命令するのは、意思確認や所在確認だ。相手が本当にまだ生きているのか、自殺する気かしない気か、どこにいるのか、そういうものを確認するのだ。もう死んでいるもの、自殺する気のもの、行方不明のものはどうしようもない。しかし、そうではないもの、まだ生きていて自殺する気もなく所在確認された人を人々に隠して生かすようにするんだ」
「そんなことは信じられない。だって、実際に自殺した人がいるんだ」
「それは仕方がない。自殺病で死ぬ人がいるのは事実だ。それに対する対策は、できる限り環境を変化させないことで精一杯だ。それ以上のことはできない。しかし、今の問題はそこではない。自殺病で死なない人だ。それが結構いて、みんなを死なせることは良くないとなった。それで決まったことが、そういう人は生かせるということだ。ここで問題は、自殺病で死なない人がいたら価値観が変わるので街の住人が自殺病にかかるということだ。そこで考えたことが、街の人には自殺したと嘘をつき、実際には裏で隠れて生かすということだった。この街の自殺者が多いのは、もとから多いこともあるが、匿った人も自殺者にカウントしているからだ。実際には、他の街に移住させたりしている。人によっては、身分を偽ってこの街に生きているものもいる。さらには、そういう人たちで作った街もできているので、そこが一番人気の斡旋場所になっている。要するに、生きているんだ」
老人は語った。
オイラ達は聞いた。
この町の根本の秘密を聞いているのに、意外とすごいともなんとも思わない。
「では、サジに自殺を命令したのは?」
「タダの確認だ。それで死ぬのなら仕方がない。でも、死なないのなら生かす。その確認だけだった」
「だったら、もっとやり方があるだろ。それで実際に死ぬ人もいるだろ」
「仕方がないだろ。秘密のやりとりなのだから。もし事前に生かすことを伝えてそのことを街に広められたらどうするんだ。街中に自殺病が広がって阿鼻叫喚の景色になるのは目に見えている。いや、昔に実際に大変なことになったと聞いている。そんなことはできないんだ」
「……」
「それがこの街に事実だ。サジくん、君は誰かに生かしてもらえるだろう。しかし、それは彼ではない、この街の誰か担当者にだ。そして、君、サジを助けようとした君は街から出て行きなさい。今すぐ出て行きなさい。この事実を街で広めてしまう可能性のあるものは早く出ていきなさい。この街の住人でないのなら、なおさらだ」
「でも」
「わかりました」
何かを言いかけたシューの横で、サジは返事した。シューやオイラたちにはわからないが、サジには分かることがあったようだ。サジの声には静かに覚悟したものを感じた。
「ちょっと、サジ」
「ごめんね、シュー。私の勝手に付き合ってもらって。でも、決めたの。私、この町のシステムに従う」
「サジ……」
「私、知らなかった、自殺病のことを。この街の住人であり研究者でもあったのに、なんにも知らなかった。その結果、周りに迷惑をかけて、私、バカみたい」
「それでいいの?」
「いいに決まっているじゃない。だって、素晴らしいシステムよ。人を生かすシステムよ。それを悪いというのは生命に対する冒涜だわ」
サジは決心した面持ちだった。声から表情に覚悟を伝播させていた。立場が人を育てるというが、心が人を育てるようだ。
「それはそうだね」
「じゃあ、そうと決まったら早く出ましょう。シューも早くこの街から出ないと、怒られるわよ」
「……それもそうだね。わかった」
シューも覚悟を決めた面持ちだった。サジの覚悟がシューに伝播したのだろう。腐ったミカンの例えのように、人が人に影響を与えるのだろう。
「じゃあ、先生。失礼しました」
「ああ、元気でな」
「……先生」
「サジくん、どうしたのかね」
「……いえ、ご迷惑おかけしました」
「いいや。君に責任はないよ」
オイラ達はドアの外にいた。オイラは晴れやかな気持ちだったのに、2人はどこか曇った顔をしていた。それを少し不思議に思ったが、とりあえず外に出るために歩こうと思った。
ドーン
銃声だった。先ほどの部屋からだった。
オイラは音に対して飛び跳ねたが、すぐにシューに抱っこされた。
「自殺したんだよ」
腕の中で暴れるオイラをあやすように、シューは言った。オイラを抱えるては震えていた。
「すみません、先生」
サジは消えるような声で言った。
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