第28話:自殺の街9

「先生、お会いしていただき、ありがとうございます」

「いえいえ」


 そこには、白衣を着たフラスコを持った爆発頭の老人が1人、焦げた壁を後ろにして立っていた。


「ワオーン!」


 オイラは喜びの奇声をあげた。これだ、これだ、これだよ、オイラが求めていた研究者の姿は!


「なんですかね、その犬は」

「すみません」

「こら、ポー、静かに」


 オイラはシューに押さえつけられた。訝しそうな老人と困ったように謝るサジと真顔で起こっているシュー。オイラが空気を読まずに叫んで、申し訳ありません。



 オイラは静かにシューに抱っこされていた。

 下からでは気づかなかったが、4つの向かい合う机と離れたところの1つの机があった。どの机もプリントやパソコンが置いてあり、酷い奴ではゴミが高くなっていた。しかし、4つのうち1つは生活感を感じないくらい整理されていた。


「それで、なんの用事かね」


 先生と言われている白衣の老人は離れた席に座った。自分の席なのだろう。


「忘れ物です」

「ほう。何も残ってないような気がするが」


 白衣の老人は整理されすぎた机の方に体を寄せて眺めた。そこがサジの席だったのだろう。


「いえ、私の机にはありません」

「では、どこにあるのかね?」


 オイラは老人と同じように部屋じゅうを見回した。書棚や薬品の入ったガラス棚や蛍光灯が見えた。どこにあるのだろう。


「ここにはありません」

「ん? どういうことかね?」


 視点をサジに固めた老人と同じことを思い同じく視点を固めた。そんなオイラを持つシューはさっきから身動き一つしていなかった。


「私の忘れ物は、自殺病を変えることです」

「なに?」


 老人は明らかに嫌な顔をした。その苦虫を噛んだような顔は、吐き捨てるように言葉を述べる。


「自分が何を言っているのか、わかっているのかね?」

「わかっています」

「わかっていない。君はもう研究者じゃないんだよ」

「そうです。だから、頼みに来たんです」

「何をだ?」

「街のシステムを変えることです」

「それはダメだといっただろう」


 老人はさらに吐き捨てるように言った。路地裏の野良猫が漁るゴミを見るような目だ。オイラは犬だけど。


「はい。確かに言われました」

「そうだ。そして、それで君はクビになった」

「そして、自殺病に」

「そうだ、君、なんで生きているんだ?」


 老人は思い返したように言った。死んだ人を見たように目を皿のようにしていた。老人からしたらサジは生きているわけがないらしい。


「この方に助けていただきました」


 そう言うと、サジはオイラ達を紹介した。オイラ達は軽くお辞儀した。


「どうも」

「この人たちは?」

「外の人間です。そして、自殺病のことは全て知っています」

「なんということだ」


 老人は頭を抱えた。どうやら自殺病のことは門外不出だったらしい。黙っていたシューはここぞとばかりに口を開いた。


「失礼します。僕はシューといいます。あの、先生、とお呼びしたらいいのでしょうか。先生に言いたいことがあります。自殺病自体は仕方がないことかもしれません。しかし、自殺するように命令するシステムはおかしいと思います」

「外の者に何がわかる」

「外の人間にはわからないことはあると思います。しかし、外の人間にしかわからないこともあると思います」

「それは何かな」

「それは、この町のシステムが変だということです。」

「何を勝手な」

「さっきここに来る途中にサジに聞きました。自殺病が発生しても死なないものがいることを。しかし、それでは自殺病の考え方が変わってしまうので新たな自殺病患者が増えてしまうことを。そして、それを防ぐために自殺病の人間に死ぬように強制することを」


 ああ、あの時にその話をしていたんだ。宿屋からここに来るまでに作戦会議といったところだろう。オイラの知らないところで話が進んでいたことに関する疎外感を感じた。しかし、オイラは犬だからまぁいっかと楽観的にも考えた。


「僕はそれを聞きながらも、聞いたあとも、歩きながらズーッと考えていました。それは正しいのだろうかと。確かに、多くの人びとのことを考えたら正しいのかもしれません。伝統的には正しいのかもしれません。しかし、僕は他の街で見てきました。そういう正しいと思っていたものに立ち向かい、環境を変えていこうとする人びとを。自分のいる環境を変えることを無理だと思ったら、違う環境に行ったりして自分自身を変えていこうとする人々を。その観点から言いますと、この街にシステムは最大多数の最大幸福のために大多数の人々を不幸にしています。変えるべきです」


 シューは溜め込んだ思いをぶつけたようだ。あの時、街中を歩きながら聞かされた後にズーッと思っていたことを。オイラが研究者に対する変な期待に胸膨らませていた時からズーッと思っていたのだろう。


「それでも変えるわけにはいきません」

「では、サジが自殺することを却下してください。そして、街から出ることを許可してください。」

「何を言っているんだ!」


 老人は額に青筋を立てた。言語道断だと拳を机の上で握り締めていた。シューの提案はこの街では御法度のようだ。


「そうよ、シュー。それはいいの」

「サジ、何がいいんだ。死にたくないんだろ?だったら、そうするしかないじゃないか」

「死にたくはないわ。でも、私だけが助かるわけには」

「そんなこと言ってられないよ。君が助かる方法は2つ。街のシステムを変えるか、街から出て行くかだよ。そして、街のシステムは変わらないらしいから、出ていくしかないよ」

「それはそうかもしれないけど」

「だからね、先生、街から出る許可を」

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