第20話:自殺の街1
③ 『自殺』の街
今、目の前でひとりの人間が自殺した。
灰色のビルを背景に、上から落ちてくるのを見た。
下では、赤い液体の横を人が蠢いていた。
この街では、人は物事に興味を持たないらしい。人は皆、顔を合わせることもなく、自分のことを淡々とこなしている。それは、人が自殺した今もである。
色が無いオフィス街を表情が同じ人々が行き交う。何重にも重ねられた四角い箱が高さを競うがごとく立ち並んだ。五目状に生えたコンクリートの道を車が行き来しており、排ガスがビルよりも高く登っていく。そんなビルも道も車も人々の意識にはなかった。偶に排ガスを嫌う人が咳き込むくらいで、何事もなく物事は進む。
そんな街では、自殺でさえ人の意識に入らなかった。いや、咳き込む排ガス以上に興味がないらしい。自殺を見ても誰も立ち止まらない。気分を害するものもいないし、見ない人もたくさんいた。
「人って、自殺に興味がないのかい?」
「そんなことはないよ。この街が少し変わっているだけだよ」
「そうなんだ」
「そういう犬はどうなの?」
「犬だって人並みに興味あるよ」
オイラは馬鹿にされたようで、少しツンツンした。でも、少しだけだった。この街の異様な空気では、怒る気力もない。
「そもそも、本当に自殺なのか?」
シューは辛気臭そうに言った。シューもオイラのように気が滅入っているのだろう。それにしても、気になる発言。
「自殺じゃないの?」
「他殺かも知れないじゃないか」
「でも、誰かが自殺だと言っていたよ」
「誰だよ?」
「知らないよ。小さな声で誰かが言っているよ」
オイラは耳を前足で指した。人間と違って犬の耳は良いというジェスチャーだ。少し自慢げにしてみた。
「誰が言っていたんだよ?」
「だから、知らないよ」
「だから、誰だよ?」
「ワシじゃよ」
オイラ達が振り向くと、老人が曲がった腰を棒で支えながら立っていた。よれよれの服に破けたズボン、靴は両方とも右靴用だった。頭は禿げており、それを隠そうと残った髪の毛を乗せていた。
オイラは自分が話しているのを聞かれたのではないかと焦った。シューも同じことを考えているらしく、焦ったように頬をピクピク痙攣させながら応答しようとする。聞かれていなければいいのだが……
「どちらさまですか?」
「名乗る程のものではございません」
「はあ」
「それにしても、しゃべる犬とは珍しいですね」
オイラ達は身構えた。やはり聞かれていた。
「そんな警戒なさらんでも、取って食いはせんよ」
老人は抜けた歯を見せながら笑った。たしかに取って食えそう健康な歯では無さそうだ。
「いえ、そういう人に限って危ないんです」
「では、どうすればいいのかな」
「あなたは何もしなくて結構です。すぐに出ていきます」
「それは困るな」
「何に困るんですか?」
「せっかく話し相手ができたのに、すぐにいなくなったら悲しいわい」
老人は抜け歯が見えなくなった。笑顔でなくなりしょんぼりしている。それほど人と話したかったのだろう。
シューはこちらを横目で見て合図した。それは、老人が可哀想だから会話を希望しているようだった。オイラは了解の合図として舌を出した。
「やっぱり残ります」
それを聞いて、老人は再び抜け歯が見えるくらいの笑顔になった。話せることが嬉しいようだ。わかりやすい反応だ。
「本当かい?」
「本当ですとも。その代わり、交換条件があります」
「なんですかな」
「僕たちがここに残ってあなたとお話する代わりに、あなたは僕の犬がしゃべることを黙りながらこの町のことについて話してくれませんか?」
「おお。そんなことでいいのか。よし、その条件を飲もう。では、こっちで話そう。ついて来てくれ」
老人は体を揺らしながら歩いて行った。年のせいでまっすぐ歩くことができないのだろう。体全体の反動で歩いている。
「ねえ、シューってやさしいね」
「そうかい?」
「だって、さっきの交換条件、あのおじいさんと話すことにが目的でしょ?」
「そうだよ、この街について話してもらうんだ」
「そういう問題じゃなくて」
「ん?」
「またとぼけて。それよりも大丈夫なの? あの人怪しくないの?」
「大丈夫だと思うよ。悪そうに見えないもの」
「どうして?」
「勘」
「そんな馬鹿な」
オイラは呆れた。女の勘ならまだしも、男の勘は当てにならない。行き当たりだったりだ。
「僕の勘は、たまに当たるんだよ」
「みんなそうだよ」
「まあ、ダメな時はそれまでの人生だったってことで、諦めよう」
「オイラ、犬だよ。だから犬生だよ」
そう会話しながら、オイラ達は老人の後についていった。
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