第9話:信仰の街1
② 『信仰』の街
そこは湖に囲まれていた。
その湖は森に囲まれていた。
その森は山々に囲まれていた。
どこか桃源郷みたいな雰囲気を醸し出していた。軽く霞が掛かっているので、はっきりとは見えなかったが、白に浮かぶ黒が存在を物語っている。オイラ達は湖のほとりから絵を見ている気分だった。
「この先に街があるの?」
オイラは聞いた。
「あるらしいよ」
飼い主は答えた。
「こんな辺鄙なところに、信仰深い人が集まる街があるのかい?」
「そうだよ。ここに来る途中に行商人のおっちゃんが言っていたよ」
確かにオイラも聞いた。しかし、街が見えなくて心配になった。
「でも、ホントにいるのかな?」
「こういうところだからいるのさ」
「どういうこと?」
オイラの疑問を聞き、シューは背中を伸ばし自慢げに言う準備をしていた。人に自分の知識をひけらかすのは愉悦を感じるものということだ。
「昔から宗教やスポーツでは修行の時に人里離れた場所でするという約束があるんだよ。人目を気にせずに集中したり、自然のものを使って修行したりと理由はいろいろあるけどね。だから、信仰深い人がこういう自然豊かな場所に来るのは間違っていないよ」
自慢気な目だった。自分に酔っている様子だった。
「人里離れたっていうけど、街があるんだよ」
オイラは湖の先を見ながらボソッとつぶやいた。人がいる街が人里離れたところにあるという矛盾を突いた。
「街って言っても、人が少ないところなんだよ、たぶん。それも、自然豊かで、修行するにはいい場所が多いんだよ。そういう場所なんだ」
シューは自信なさげに目をつぶっていた。矛盾を感じたのだろう。
「まあ、いいんだけど、オイラ達の問題は、その街までどう行くのかってことだよ」
「たしかに、湖に囲まれているから歩きは無理だね」
「泳いでいく?」
「犬かきしてもいいけど、荷物はどうするの?濡らしたら後々大変だよ」
「じゃあ、どうする?」
「こういう時は、船があるはずだから、船場を探そうか」
オイラ達は湖を右手に時計回りで歩いた。時々枝葉が邪魔をするので回り道をした。何回か遠回りして面倒くさくなったので、場合よっては無理くり侵入したりした。その何回目かに、枝葉の視界の向こうに船場が広がった。
「ポー、あったよ」
そこには4人くらい乗れそうな木のボートが3つあった。漕ぐための棒2つが備え付けられた、原始的なものだった。近くには体躯の良い1人の男性がタバコをくわえていた。
「あのーすみません」
「はい。お客さんかい?」
男はタバコを手に挟んだ。タバコを口に挟んで話すのは失礼ということで、せめてもの礼儀だ。
「あの湖の向こうにある街に行きたいんですけど」
「いいですよ。どうぞ」
男はタバコを地面に落とし靴でグリグリした。オイラはそのタバコに近づこうとしたらシューに咎められた。男も「犬には早い」とオイラが言葉を分からないと思いながら笑っていた。
「――お客さんたちも、神のお導きってやつですか?」
男は2本の棒で漕ぎながら、目の前に座っている2名の客に尋ねた。オイラ達は船に乗っていた。
「そういうところです。同じような人は多いのですか?」
「そうですね。あそこに向かう方は宗教的な理由の方が多いです。みなさん、何かを頼りたいようで」
「まあ、不安ですからね」
「お客さんはそういうふうには見えないですけど」
「え? そうですか?」
「ええ。宗教に頼る人というのは、不安であることに安心しているんです。なんていうか、不安であることがうれしいというか、一種のステータスと思っているフシがあるんです。それに比べて、お客さんは不安な時は本当に不安げで、安心しているときは本当に安心している感じです」
男は力強く漕いだ。なにか力を込める理由があったのだろうか?
「どうしてそんなことが分かるんですか?」
「長年の勘ですね。船に乗った瞬間の『大丈夫かな』と不安に思う顔と、乗っているうちに『大丈夫だ』と安心する顔とを見たら、そう思ったんです。特に、その犬と一緒にいるときは本当に安心しきっていたので、本当に仲がいいんだなあと羨ましく思ったほどですよ」
「いや、そっちではなくて、宗教に頼る人の特徴の方です」
「失礼、そちらですか。そちらも勘です。何の根拠もありませんが、いろいろな人を見てきたものでして。特に、宗教に頼る人をよく見てきたんです。一概には言えませんが、私がよく乗せてきた人たちは常に不安そうでしたが、その不安そうな顔に逃げ道を作って安心しているふうでした」
男はさらに強く漕いだ。オイラは少し怖くなってきた。
「すごい観察眼ですね」
「いえいえ、たいしたことないですよ。それよりもお客さん、気をつけてくださいね」
「何をですか?」
「いえね、違う人たちの中に入ることですよ。価値観の違う人たちの中に入ったら、色々と大変なんです。馴染めずに終わるか、洗脳されるかの二択だと思うんです。どっちがいいというわけではないですが、それは理解しといたほうがいいと思うんです」
「なんとなく理解しています」
「ははっ。なんとなくそんな気はしていました。でも、それを分かった上で忠告なんです。あの街に入ったら、その信仰に洗脳されるか、信仰に馴染めずに終わるかです。私は馴染めることはできませんでした。一方で、妻と娘は洗脳され、いえ、馴染めました。だから、あなたがどちらになるのかが興味があるのです」
男のボートを漕ぐ力は弱くなった。
「ご忠告ありがとうございます。ところで、ご主人の奥様とお嬢様は?」
シューは聞いていいのかどうか迷ったのか、少し声の音楽が濁った。なにか不審なイメージを持っているらしい。
「元気だと思います。さあ、着きました。お気をつけて」
男の声の音楽も濁っていた。何かが不穏だ。
先程まで美しいと思っていた湖を間近でよく見たら、水面が濁っていた。
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