[14] 二〇〇三 夏休み 6

 快晴の八月上旬、だだっ広い芝生が広がる公園には屋台が立ち並び、入場口には巨大なバルーンのゲートが設置されて、さながらアミューズメントパークのエントランスのようになっている。

「いい天気でよかったわね」

つばの広い黒の女優帽をかぶり、ミントグリーンのワンピースを着た千歳は、サングラスをしているのも相まって、女優かモデルのような雰囲気だった。その隣にはポロシャツにチノパンで、カンカン帽をかぶった島内と、キャップにTシャツ、ハーフパンツの睦、睦が押している車いすにはオレンジのブラウスに白のパンツ、麦わら帽子の片桐が座っている。皆で出かけるのは初めてのことだった。

「いい天気なのはありがたいけど、こりゃ日陰見つけないとぶっ倒れちまうな」

入場口でもらったうちわ片手に島内が言う。わたがし、金魚すくいなど、馴染みのある定番の屋台が並ぶエリアから、フリーマーケットのエリア、ビアガーデンになっているエリアと、公園が余すことなく活用されており、突き当りの芝生のエリアにステージが設けられている。その近くにはラジオ局のロゴが入ったテントが張ってあり、ローカルタレントが喋っていた。ステージではすでに誰かが出演しているようで、芝生に座ったり、レジャーシートを敷いて寝転んだり、各々が自由に音楽を楽しんでいた。

「尚斗の出番はいつだったっけ?」

片桐がリーフレットを開いて、近づけたり遠ざけたりしていると、千歳が

「私が見ましょうか」

と申し出て、片桐は

「老眼鏡忘れちゃってねえ」

と笑いながら手渡した。千歳は腕時計を確認する。

「ええと、今が一時だから、あと一時間もあるわね」

「一時間も! あたしたち早く着きすぎたね」

「道が思ったより空いてたからなあ」

片桐の車いすを運べるよう、今日は四人、島内が運転するミニバンで来ていた。尚斗は出演者ということもあり午前中に一人で来ている。

「あそこ休憩できそうじゃないすか?」

睦が指す先に、大きなテントが張られた仮設フードコートがあった。

「そうね、あそこなら涼しそう」

千歳が同意すると、島内が走っていって空いている席を探す。人数分の席を確保したようで、両手で大きく丸を作って合図した。


「やっぱり日陰なだけで全然ちがうなあ」

島内は帽子を脱いでハンカチで汗を拭っている。

「なにか冷たいものでも買ってきましょうか。なにが良い?」

千歳は立ち上がって、島内と片桐の希望を聞くと

「睦くん、持つの手伝ってくれる?」

と睦を連れて列の最後尾に並びに行った。二人の後姿を見ながら、

「あたしはさ、睦くんが店にバイトに来てくれてほんとによかったよ」

と片桐がしみじみとつぶやく。祭りのリーフレットを眺めていた島内が顔を上げる。

「働きもんだもんなあ」

「そう、働きもんだし、素直だし、まあちょっとやんちゃなのかもしんないけど、あたしはいい子だと思ってる」

島内が「ま、そだな」とうなずく。

「それに、尚斗がさ。あの子、兄弟もいないし、同居してるのはあたしみたいな年寄りだけだろ? なんかぼーっとしてて心配になるんだけど、睦くんといると活き活きしてて、見てるとこっちも元気が出てくるんだよねえ」

遠くで睦が千歳と談笑しているのを見ながら、片桐は穏やかな笑顔を浮かべる。

「十年、あの店で待ってても娘は来なかったけど、尚斗は睦くんと出会えて御の字だよ」

「そうだな、十年続けた甲斐があったなあ……」

そう言って島内がコホン、と咳払いした。片桐は鼻で笑うと、

「島内さんも十年通ってくれたもんね!」

と言って島内の腕をはたいた。


「なんか楽しそうっすね、あの二人」

店の壁に貼ってあるメニュー表を眺めている千歳に、睦が話しかける。

「え、なに?」

千歳が聞き返すと、睦がニヤニヤしながら片桐たちを指差した。千歳の表情がやわらぐ。

「ああ、ほんとね。島内さんもようやく恋が実ってよかったわね」

「ようやくなんすか?」

「そうよ、片桐さんは尚斗くんを一人前にしなきゃいけないって言って、男性のお誘いは受けない主義だったの」

列が少し進む。

「へー、そうなんだ、じゃあ、もう尚斗は一人前ってことすかね」

「そういうことかもね」

注文口にたどり着く。

「アイスコーヒーを二つと、コーラを一つ、あとミネラルウォーターはあるかしら?」

すぐに出てきた飲み物を二つずつ手に持って、千歳と睦は自分達の席に戻る。

「すみませんねえ、ありがとうございます」

「おお、千歳ちゃん、すまんね」

「いただきまーす」

「はーい、どうぞ」

テントの中は風が通り抜けて、日なたに居るよりもずいぶんと涼しい。じっと会場の様子を眺めていた睦は、フードコートの端に出店しているカレーの店に気が付いた。

「あ」

ストローが口から外れる。隣に座る千歳が振り向く。

「どうしたの?」

「あのカレー屋、尚斗がいつも行ってるCD屋のカレーだと思って」

「CD屋のカレー?」

三人は首を傾げたが、睦は

「ちょっと挨拶してきます」

と言うとカレー屋の方へ歩いて行った。


「こんちは」

「あ、睦くん、こんにちは」

三角巾を頭につけて、エプロンをしているたまきは、調理実習の高校生のようだった。

「なにやってんの?」

「なにやってんの、ってカレー屋だよ、カレー屋」

たまきの後ろに、弱火で煮込まれている寸胴鍋が見える。

「一人で?」

「樋山さんも来てるよ、でもギプスしてるし、できることないから、会場ぶらぶらしてるんじゃないかな」

「じゃあ一人か」

「そう言われるとそうだね。でも大丈夫、お客さん全然来ないから」

広いフードコートの一番端では、行き交う人もまばらだった。

「なんでカレー屋やってんの?」

「商店街の付き合いだよ。樋山さんがライブに出演したいって言ったら、フードコートの出店の枠が余ってるから出店しろって言われたの」

「で、カレー屋?」

「だって樋山さんカレーしか作れないから。結構スパイスとか研究してたし、出店の許可も面倒だったみたい。結局私が市販のルーで作ったけど」

たまきの後ろのテーブルにスーパーのレジ袋が見えた。

「俺、なんか手伝おうか?」

「優しいね! でも大丈夫かな。パックのご飯温めて、容器に移してカレーかけてるだけだから」

「そう、なんだ」

「うん、それより尚斗くんのライブ見に来たんじゃないの?」

「ああ、尚斗のばあちゃんとかも来てる」

「えー、そうなんだ! 素敵。楽しみだね」

睦が客に見えたのか、後ろに人が並んだ。

「あ、俺大丈夫なんで、先、どうぞ」

そう言うと、睦はたまきに向かい手を挙げて去っていく。たまきは笑顔で手を振ると、元気にカレーを売り始めた。

 

 千歳は腕時計を確認すると、ミネラルウォーターのボトルを自分のバッグにしまい、島内と片桐のカップを持ってゴミ捨て場に行く。カップを開けて氷を捨てていると、ギプスをした男が通りかかり、千歳に気づく。

「あ、こないだの」

そう話しかけてきた、髭を生やした目の大きい男を見ても、千歳は誰なのか思い出せない。

「俺、あの、病院の受付で、尚斗くんと睦くんと一緒に居た」

そこまで聞いて、千歳は「ああ」と謎が解けたような顔をした。

「樋山さん、だったかしら?」

「そうですそうです、樋山です」

「お加減はいかがです? まだギプスなさってるのね」

千歳は腕のギプスに目をやる。足元の包帯はとれているようだ。

「いや、もうほぼほぼ完治ですよ。今日は尚斗くんを見に来たんですか?」

「そうなんです。尚斗くんのおばあちゃんも来てるんですよ」

樋山は、千歳の視線の先に居る片桐と島内を見ると、

「車いすですか、見えづらいかもしれないですね」

と難しい顔をした。

「見えづらい、ですか?」

「はい、あの、ステージ見ました? 今、結構な人ですよ」

「そうなの? 一時間前くらいはのんびり寝転んでる人がいたけど」

樋山は携帯を取り出して時間を確認する。

「あ、とりあえず向かった方がいいですね、あと十分しかない」

樋山に促されて、千歳は片桐たちのところへ戻ると、ちょうど帰ってきた睦と合流してステージの方へ急いだ。

 一時間前とは打って変わって、ステージ近くには多くの観客が押し寄せており、寝転んでいた人たちはわずかに残るスペースに追いやられていた。そこもそう長くないうちに立ち見客で埋まりそうになっている。

「あら、すごい人。尚斗くん人気なのね」

そう言う千歳に、島内が「たいしたもんだ」とうなずいている。「尚斗すごいんすね」と話しかけてくる睦に、樋山は笑顔で同意して、尚斗の次の出演者が全国区の人気バンドだということは黙っていた。首をどうにか伸ばしてステージを見ようとする片桐を見て、樋山が何かを思いついた。

「ちょっと待っててください」

そう言って去っていくと、二分も立たないうちに全速力で走って戻ってきた。

「ついてきてください」

樋山の後ろに、片桐、車いすを押す睦、島内、千歳が連なって歩いて行く。『関係者以外立入禁止』と書かれた柵を超えたところにあるテントには、ラジオ局のロゴが入っている。

「ここなら日陰だし、ステージもよく見えますよ」

そう言う樋山の隣にはラジオパーソナリティがにこやかに立っている。

「あ、俺の同級生なんです」

樋山が紹介すると、一同深々とお辞儀をしてお礼を言った。

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