[13] 二〇〇三 夏休み 5

 どちらかといえば、古き良きアメリカを思わせるインテリアの中で、ポップな青色のポスターが異彩を放っている。貼り終えた千歳は少し後ろに下がって全体を眺めると、気になる箇所があったようで、再度貼りなおす。

「はい、これでどう?」

腕組みをする千歳の隣で、睦が

「完璧っすね」

とうなずいている。ドアのベルが鳴って、尚斗が出勤してきた。

「どうしたんですか、これ」

大きな文字で夏祭り、と書かれたポスターを見て困惑の表情を浮かべる。

「宣伝よ! せっかく尚斗くんが出演するんだから、うちのお客さん、皆にお知らせしないとね」

よく見てみたら、出演者の樋山の部分が修正テープで消され、手書きで尚斗の名前が書かれていた。

「あ、ありがとうございます」

恥ずかしそうにお礼を言うと、尚斗は調理場に入っていく。千歳と睦は顔を見合わせてクスクスと笑った。

 千歳の計らいはそれだけではなかった。店の一番奥のテーブルがついたてで囲まれて個室のようになっている。

「昨日病院に行ったとき、片桐さんに聞いたの。尚斗くんいつも夜中まで曲を作ったり詞を書いたりしてるって。お店もランチやディナーじゃなければ混まないし、というか暇だから、そういうときは作業してていいわよ。私と睦くんでお店まわすから。だから夜は寝なさい」

睦が「任せとけ」と得意げに言う。尚斗は唖然とした様子で、二人の顔を見る。

「えっと……、どうしたんですか? 二人とも」

「どうしたって、応援してるのよ、尚斗くんを」

「そうだよ」

やはり困惑気味の尚斗だったが、日中も作業できるのはありがたく、背負ってきたギターケースは調理場の奥のロッカー横から、店内奥の作業スペースへと移された。

 

 電子レンジの音が鳴ると、樋山はキッチンに向かって歩き出す。片手で器用に封を切り、あらかじめ温めて置いたパックご飯にカレーをかける。レジカウンターの椅子に座って食べていると、たまきが店に入ってきた。

「うわ、カレーの匂いすごい」

すぐに窓を全開にしてまわる。瞬時にエアコンの効いた部屋が湿気と熱気に満たされた。

「なんかインド感が増すなあ」

「インド行ったことあるんですか」

「ないよ?」

たまきはお客さんに頭を下げつつ、樋山をレジから奥の部屋にカレーごと追いやってドアを閉める。エアコンをフル運転にして匂いと熱気に対抗した。レジに座るといつものようにトートバッグから参考書を取り出す。参考書にまぎれてレシートが落ちた。拾って奥の部屋へ向かう。

「樋山さん、これ、郵便局の」

ドアの隙間からレシートを差し出す。

「お、ありがとう」

レシートを受け取ると、財布から現金を出してたまきに手渡す。たまきが部屋の奥を覗くと、封筒が積みあがっていた。

「まだ送るんですか?」

「うん、送るよ」

「了解です、いい返事あるといいですね」

そう言ってドアを閉めた。


 病院の談話スペースで、車いすの片桐は中庭を眺めていた。カップの自販機でコーヒーを買った島内が戻ってくる。

「はい、コーヒー」

「ありがとうね」

島内は椅子を回転させて座ると、片桐と同じ向きで中庭を見る。

「尚斗くんが市の夏祭りで歌うらしいぞ」

「うん、店長が教えてくれたよ。尚斗はなーんにも言わないから」

「店ん中にポスターがでーんと貼ってあって、千歳ちゃんも睦くんもお客さんに熱心に宣伝してるよ」

はっはっはと島内が笑う。

「ほんとに、ありがたいことだねえ」

セミの鳴き声がガラス越しに談話スペースに響いていた。片桐はコーヒーを一口飲んで、

「ほんとにありがたいよ」

ともう一度言う。島内はハンカチを取り出して渡した。

「遠慮してんだよねえ、尚斗は。あたしにさ」

島内は中庭を見つめたまま黙っている。片桐が続ける。

「歌手になって、東京に出ていくのがあの子の夢なんだろうね」

「若者らしくていいじゃないか、若いときは夢見るもんだ」

手元のカップを回しながら島内が言う。

「そんなに都会がいいのかねえ、娘も孫も。あたしは生まれ育った地元が一番なのに。いったい誰に似たんだか」

島内は、ハンカチを握りしめる片桐の手を見ながら、

「……とは言っても、尚斗くんの地元はどこなんだろうなあ」

と言った。片桐は一瞬、島内の方を見て、また中庭に視線を戻す。

「島内さんのそういう先生みたいなところ、あたし嫌いじゃないよ」

片桐はハンカチでごしごしと目を拭うと、顔を上げて

「さっさとこの腰を治して、尚斗の晴れ舞台見に行かなきゃね!」

談話スペースに片桐と島内の笑い声が響いた。


 ディナーの時間が終わると、ほぼ客は来ない。千歳は本店に行っている。それが閉店に関する用事であることは、睦も尚斗も察していた。二人はカウンターに座って千歳が淹れていったコーヒーを飲んでいる。

「店長のコーヒーってさ、いつも同じ味だよな。いや、うまいんだけどさ」

いつのまにかブラックで飲むようになった睦が言う。

「そりゃ分量とか温度をきっちり守ってるからじゃない?」

尚斗がカウンターの中に置いてある器具を見ながら言う。

「店長って几帳面なのかな?」

と言う睦に

「几帳面っていうか、プロはそうなんじゃないの?」

と尚斗が答える。

「確かにスープの素も、わかめも、あとお湯もきっちり量って入れてるもんな」

睦は合点がいった様子だ。壁の時計が鳴った。あと一時間で閉店の時間になる。

「今夜も行くの? 路上ライブ」

「うん、行くよ」

「俺も聴きに行っていい?」

「いいけど、俺、今日スクーターだよ?」

「いいよ、俺バイクで行くから」

飲み終えたカップを片付けると、二人とも店内の清掃を始める。左折して駐車場に入った千歳は、二人が働く姿を少しの間、眺めていた。


 睦は驚いた。アーケード街近くの駐輪場にバイクを置いて尚斗について行くと、市役所の前を通り過ぎて、アーケード街に隣接する公園に到着した。周囲を商業施設に囲まれた公園は、ジョギングする人、スケボーをする人、ベンチで語り合う人でにぎわっていて、その一画に立ち止まりギターケースを置くと、尚斗が歌い始める。睦が少し離れたベンチに座ってその様子を見ていると、あっという間に人だかりができ、その規模は市役所前で歌っていたときの三倍くらいあった。尚斗の歌は、もっと〝本物〟になっていて、睦は圧倒されてしまった。体を揺らして聴く人もいれば、しゃがみこんでじっと見つめるように聴く人もいて、誰しもが尚斗の歌で感情を揺さぶられ、あるいは癒されているように見えた。これを見たら片桐や千歳はどう思うだろうと考えるだけで心が躍って、思わずにやけてしまう。胸がズンと痛むような感覚を覚え、睦は尚斗から視線を逸らすことができなかった。

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