[6] 二〇〇三 春休み 2

 バスを降りると、駐輪場に置いていた睦の自転車に二人乗りして店に向かった。しばらく走ったところで、通りかかったパトカーに注意され、尚斗は降りて歩く。睦は自転車に乗ったまま地面を両足で交互に蹴りながら、尚斗と同じ速度で進んだ。店に到着すると、駐車場には数台の車があり、いくらか客は入っているようだった。ドアのベルが鳴ると千歳の声がする。

「あら、睦くん久しぶり」

それを聞いて調理場から片桐が顔を出す。

「お、久しぶりだね! どうしたんだい」

ピースサインする片桐に、睦は軽く会釈すると、店内を見回す。

「いや、島内さんいるかなと思って」

片桐は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐ笑顔を作り

「そうかい! まかない食べてきな」

と手を挙げて調理場に引っ込む。尚斗は片桐に続いて調理場に入っていった。睦は千歳に促されてカウンターに座る。

「島内さんって、来ます?」

「んー、今日はお昼に来てたから来ないと思うわよ。どうかしたの?」

「冬休みバイトしてたとき、息子さんが乗らなくなったバイク安く譲ってくれるっていってたの思い出して」

「あらそうなの、だったら島内さんのお宅の電話番号教えましょうか?」

「え、いいんすか」

「いいわよ、島内さんも喜ぶわよ。冬休みのアルバイト終わってからも、睦くんのことたまに話してたから」

千歳は携帯を取り出し、メモ用紙に電話番号を書くと睦に渡す。

「ありがとうございます」

「島内さん寝るの早いみたいから、明日にした方がいいわね」

「了解っす」

片桐が調理場から出てくる。割烹着ではなく、紫色のカーディガンを羽織っていた。

「そいじゃ、あたしは帰るね。まかないは尚斗が作ってるから食べな。またね」

睦の肩をポンポンと叩くと、少しよろよろしながらドアを開ける。

「じゃあ、店長、お疲れさまです」

と手を挙げて出ていった。割烹着の時はシャキッとしているのに、私服だと普通におばあさんみたいだなと睦は思った。

「髪、茶髪やめたのね」

千歳が睦の頭を眺めている。

「ああ、絡まれるの、めんどくさいなと思って」

パーカーのフードを脱ぎ、短くなった髪を自分で撫でまわしながら言う。

「絡まれるってなに?」

「尚斗が弾き語りしてる時に、用心棒してるんで。あんま目立たないようにと思って」

「用心棒してるの? そんなに危ないの?」

心配そうな顔をする千歳の後ろから、肉野菜炒めを持って尚斗が出てきた。両手に持った皿の一つを睦の前に、自分の分をその隣に置く。

「危なくないですよ」

千歳に言った後、顔を睦の方に向けて

「ていうか用心棒だったの?」

と割り箸を割りながら言う。

「だって危ないだろ、正月みたいなやつらがいたら」

尚斗は考えるそぶりを見せて

「あれは、初売りだったから変なのが居ただけなんじゃないかな」

と返す。レジで接客している千歳は、まかないを食べながら会話する二人を微笑んで見守る。

「そういえば、たまきって子、今日いたぞ」

「誰、たまきって」

「あの、ハンカチ貸してくれた子だよ」

「……ああ、え、居たの? 気づかなかった」

「CD屋で働いてるって言ってた」

睦はそう言うと箸を置いて、携帯を取り出しメールを送る。

「今送った」

「なにを?」

尚斗の携帯がブブブと鳴る。メールを開いてみると、地図の画像が添付されていた。

「それが店の地図だって言ってた」

「そっか、ありがとう。これでハンカチ返しにいけるな」

「ハンカチまだもってんの?」

「だって、捨てるわけにはいかないでしょ」

「ふーん」

テーブルの片付けをした千歳が食器を乗せたトレーを持って戻ってきた。

「二人ともコーヒー飲む? 淹れようか?」

二人は口をモグモグさせながら、無言でうなずいた。千歳はニコリと笑って、食器を調理場のシンクに浸けると、カウンターの中で準備を始める。

「バイク、安く譲ってもらえるといいわね」

「そうっすねー。あんま金ないんで」

「バイク?」

尚斗が不思議そうな顔をして二人の顔を交互に見る。

「あら、知らないの、睦くんバイク買いたくてアルバイトしてたのよ」

尚斗が睦の顔をまじまじと見る。

「え、そうなんだ、知らなかった」

「言ってなかったっけ?」

「言ってないよ」

千歳がお湯を注ぐと、コーヒーの香りが立ち込める。

「春休みはアルバイト募集してなくてごめんね」

「いえ、全然問題ないっす。春休みは工事現場でバイトさせてもらってるんで」

そう言うと睦は思い出したように

「尚斗ごめん、明日俺バイト入ってるから一緒にいけねえわ」

と言った。尚斗は睦の方を向くと

「うん、わかった」

とだけ言った。やや肩透かしを食らったような顔の睦にコーヒーを差し出しながら

「夏休みはまたアルバイト来てね」

と千歳が言う。尚斗の分も置くと、カウンターの端にレコードを替えに向かった。ギターの前奏が始まるとすぐに、オードリーヘプバーンの穏やかな歌声が流れ始める。店内に響く食器の音や客の話し声が、異国の食堂のそれに聞こえてきた。

「いつもCDなのにレコードかけるなんてめずらしいですね」

二人分の食器を片付けてきた尚斗が、興味深そうに見ている。

「たくさんレコードあるんだけど、ずっと聴いてなかったから最近聴くようにしてるのよ。お店が無くなる前にここで聴いておきたいと思って」

「お店が無くなる?」

睦がコーヒーに角砂糖を溶かしながら聞く。

「あ、そっか、言ってなかったわよね」

千歳は小さなため息をついた。

「お店ね、閉店するかもしれないの、もしかしたら夏の終わりごろかしら」

驚いた顔をする睦と対照的に、尚斗はうすうす気づいていた様子だ。

「お客さん、あんまり来ないですもんね……」

残念そうに尚斗が言う。千歳も伏し目がちに、口に少しぎゅっと力を入れてうなずく。

「だから尚斗くんも、片桐さんもここでの仕事はおしまいになります。ごめんなさいね。もう少し詳細が決まってからきちんと話そうと思っていて」

尚斗の目は少しだけ揺れた後、千歳に焦点を合わせる。

「いや、むしろ俺たちを雇ってくれてありがとうございます」

千歳は尚斗の目を見て、片桐が店を訪ねてきた日のことを思い出した。尚斗と食事に来た次の日、雨の中、軽トラから降りてきた片桐は店内に入ると、カウンターに誰もいないことを確かめて、千歳に話しかけた。昔なじみで同級生の母親でもある片桐が、深刻そうな顔でたたずむのを見て、千歳は人気のないところに案内して話を聞くことにした。片桐は少しためらった後、孫を置いて出て行った娘のことを話し、どうか雇ってほしいと頼んできたのだった。同級生の母親から懇願された千歳は困惑したが、そのまっすぐに自分を見つめる目を見て「ぜひ、お願いします」と承諾した。夏也がいなくなって間もないころだった。


「こちらこそありがとう。閉店の日までよろしくね。睦くんも、夏休み待ってるから」

じっと黙っていた睦だったが、

「もちろんす」

と元気に返事をした。千歳は眉尻を下げると、少し遅れて笑顔を作った。

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