[3] 二〇〇二 冬休み 3

 世間が年末休みに入るころ、店内はにぎわっていた。駐車場は満車、そのほとんどが他県ナンバーで、待ち時間を確認して出ていった客が三組あった。調理場では片桐と尚斗が二人動き回り、カレーライスくらいなら睦が自分でよそっている。片桐が作ったポークソテーと一緒に運ぶ。丁寧な口調で会計の対応をする千歳の横を通り抜けていると、おいしかったと感想を伝える客の声が耳に入り、睦は誇らしいような気分になった。どうやら毎年帰省の際に来店している常連のようだった。配膳をして戻る途中、

「ちょっと、兄ちゃん、フレッシュある?」

と話しかけられた睦は、何のことを言われているのかわからず、

「フレッシュ、ですか?」

と聞き返すと、関西弁らしきアクセントの客は

「そう、フレッシュ」

と不思議そうな顔で繰り返す。

「少々お待ちください」

睦は速足で千歳の方へ向かうが、まだ常連客と会話しているようだったので、そのまま通り過ぎて調理場へ行く。ちょうど片桐が料理を出そうとしていたので

「あの、フレッシュって何すか?」

と聞くと、片桐は眉間に皺を寄せて

「フレッシュゥ? ジュースかなんかかい?」

と要領を得ない様子だ。

「お客さんが、フレッシュあるか、って言ってて」

片桐と睦が顔を見合わせて首を傾げていると、後ろでフライパンを振る尚斗が

「ミルクのことじゃない? コーヒーの」

と会話に入ってきた。腕組みをした片桐は振り返り

「なんでミルクがフレッシュになるんだい」

と納得していないようだが、睦は指を鳴らして

「あ、確かにコーヒー飲んでたわ」

と言うと、カウンターにあるコーヒー用のミルクを持って客のもとへ戻った。

「お待たせしました、こちらでよろしいですか」

「おう、ありがとう」

客の反応を見る限り正解だったようだ。睦は調理場に戻って

「やっぱミルクのことでした!」

と二人に報告する。後ろで千歳が「なになに? 何かあったの?」と聞いている。

 ランチの時間が過ぎて、店内も落ち着いたころ、片桐が作ったまかないの肉野菜炒めを尚斗、睦がカウンターに並んで食べている。店内では一番奥のテーブルに、にぎやかな家族連れが一組いるだけだった。二人の目の前の千歳は、ブレンダ・リーの陽気な歌声に合わせて、機嫌よく体を揺らしながらコーヒーを淹れている。

「片桐さんの野菜炒めってうまいよな、うちの母ちゃんのと何が違うんだろ」

睦は片桐が作る野菜炒めがお気に入りだった。香ばしさがあって、野菜がシャキシャキしていることが理由だ。

「店と家庭じゃ火力が違うからじゃない?」

わかめスープを飲みながら尚斗が答える。睦は箸を止めて隣の尚斗の顔をまじまじと見るようだった。

「何?」

カップを口に当てたまま怪訝そうな顔で尚斗が言う。心なしか上半身が左側に傾いている。

「尚斗ってよくいろいろ知ってんなと思って。今日もフレッシュ? のこと知ってたし」

「ああ、あれは、よく知らないけど、関西の人はそう呼ぶんだよ。俺、昔大阪住んでたから聞いたことあった」

「大阪住んでたの? まじか」

「そう、小学校上がる前まで」

「んで、こっち引っ越してきたってこと?」

「うん、親が離婚した、ていうか母親がどっか行ったから、俺はばあちゃんちに来た」

「え、父ちゃんは?」

高校生らしいというのか、睦の遠慮のない質問に千歳は内心ハラハラしていた。

「一緒に住んでた人は母親の再婚相手だったから、引き取ってくれなかったぽい」

実際には内縁関係だったが、片桐もそこまでは伝える必要がないと思ったようで、尚斗は再婚相手だったと思っている。

「そっか、じゃあ母ちゃんどこにいるのかわかんないのか、きついな」

睦は細い眉毛を八の字にしながら、心底同情している様子だった。

「いや、たぶん東京にいるんだよ」

そう言いながら、尚斗は千歳の方を見る。千歳は少し困ったような顔で「たぶんね」と言葉を返して、二人それぞれにコーヒーを差し出した。尚斗と睦は声を揃えて「ありがとうございます」と言う。その気の合った所作に、千歳は二人が兄弟のように思えて笑みがこぼれた。

「ここに来たんですよね?」

たずねる尚斗に返事をする前、千歳は一瞬、調理場に視線を向けた。片桐はタバコを吸いに出ているのか人の気配はない。

「そうね、もう十年前のことだけど」

そう言って目を伏せる千歳は物憂げな表情だった。

「私と尚斗くんのお母さんは高校の同級生でね、彼女、十年前突然ここに来てくれたの。会うのは成人式以来だったから、久しぶりね、なんて言って」

カウンターをさすりながら千歳が話す。睦はじっと千歳を見て話に聞き入っていたが、千歳はそれ以上話す気がないようで、尚斗が続けた。

「で、その時、今東京にいるって言ってたらしくて。あのころ、ばあちゃんと俺もこの店によく来てたんだけど、店長はうちの家庭の事情なんてわからないだろ? 店長がばあちゃんに母親のことを話したら、ばあちゃんがここで働きたいって言いだしたんだよ」

「もしかしたら、また来るかもしれないもんな」

そう言う睦に、尚斗は何度もうなずいた。

「そう。ばあちゃんは待ってるんだ」

その時ガタンッと調理場から音がした。三人は目を見合わせたあと、ゆっくりと調理場を見る。千歳が様子を見に行くと、ギターケースが倒れていた。

「尚斗くん、ギターケース倒れちゃったみたいよ、中身大丈夫か確認した方がいいんじゃない?」

急いで調理場へ向かう尚斗を見ながら、睦は二人分の皿を重ねてシンクへ運んだ。

「ロッカーに入らないから、何か固定するものが必要かもしれないわね」

千歳が備品棚から使えそうなものを探す横で、尚斗はギターケースを開けて確認をしていた。幸い目立った傷はついていないようで、胸を撫でおろす。すると裏口のドアが開き、タバコの匂いとともに片桐が入ってくる。

「あら、あんたこんなとこでギター弾くの!」

「いや、ケースが倒れたから確認してるだけだよ」

「新しいサービスかと思ったよ、ねえ、店長! 客席まわってあの歌うやつ。メキシコかどっかの、あれみたいにね。アハハ」

そうまくし立てて割烹着に袖を通す片桐の勢いに、千歳もなんだか可笑しくなって

「そうねえ、サービス始めようかしら? どう? 尚斗くん」

と笑うと尚斗が

「時給アップしてくれたら考えます」

と答えた。片桐が

「なあに生意気なこと言ってんだい! まったくもう」

と頭を叩く真似をしてたしなめている。睦は皿を洗いながらそれを眺めていた。

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