第10話 変化
なんとも最悪なことに、ディオラルドさんは「まだ仕事が残ってるから魔法協会に戻るよ。二人とも、仲良くするんだぞ」と言って去ってしまった。
──夜には泊まりにくるらしいけど……つまり一週間はディオラルドさん、クラウスと共に寝泊まりすることになる。
ディオラルドさんが去った玄関扉を呆然と見つめていると、クラウスはスタスタと無遠慮に居間に向かって行く。
「どっ、どこに行くの!?」
まさか部屋を荒らされるんじゃないかと思って、私は慌ててついていく。
クラウスは足を止め、わずかに肩をすくめた。
「……居間。ソファーくらいあるだろ。オレは持ってきた本を読んで過ごすから、お前も無理にオレに合わせなくて良い」
まだ七歳くらいだろうに、大人びた態度で彼はそう言う。
「え、で、でも……」
仲良くするんだぞ、と言ったディオラルドさんの顔を思い出し、私は戸惑った。
──それで良いのかな? いや、クラウスと無理に交流しなくて良いのなら、私は助かるけど……。
皮肉ばかり言う彼が苦手というのもあるが、何より彼のそばにいたら王太子にいつか接触してしまう可能性があるから困る。王太子は世界で一番会いたくない相手だ。
クラウスは冷たい目で私を見つめてきた。
「オレは師匠からお前の子守をするよう命じられた。……だけど、こんなお子様の相手をするなんて冗談じゃない」
「こ、子守!?」
子守をされるような年ではないし、しかもクラウスだって同い年じゃないか……。なに言ってるんだ……。
「子守なんて、本当にディオラルドさんがそう言ったの……!?」
「いや、仲良く遊ぶよう言われただけだけど……まぁ、最初はそうしてやるつもりだったけど、お前を見て、気が変わった。お前と遊ぶくらいなら、一人で本を読んでいた方がマシだ」
ムカつく。
なんで、こんなふうに言われなきゃいけないわけ!?
クラウスは王立学園にいた頃も、なぜか初対面の時から私を目の敵にしていた。ろくにまともに話したこともないのに、私と顔を合わせれば私を馬鹿にすることばかり言うのだ。
『虹眼を持って、恵まれた立場にいるくせに、俺より実技の成績が低いとか……ププッ』
そう笑われたことを思い出し、頭が沸騰する。
「あんたなんて、だいっきらいっ!!」
そう叫ぶと、クラウスはふざけて私の物真似を始めた。
「お? どうする? 英雄のお父さんに泣きついちゃうのかな? 『え〜ん、パパァ、いじめられたよぅ〜』って」
ぜんぜん似てないし、私はそんなことしないし。
思わず手が出そうになるのを、ぐっと堪える。
──相手は子供なのだ。
見た目年齢はほとんど同じだけれど、今は私の精神年齢の方がずっと上だ。大人げないことはしてはいけない。
正直、めちゃくちゃ殴りたいけれど。
そう自身に言い聞かせる。
「……勝手にしたらッ」
そう言い捨てるのが精々だった。
私はさっさと二階の自室に戻ることにした。
クラウスは昔とまったく変わっていない。本当に嫌な奴だ。とても仲良くなれそうにない。
◇◆◇
私は引き受けていたポーション制作の仕事のために、乾燥させた薬草をすり鉢ですり潰していた。
窓の外に視線を向けると、いつの間にか日が傾いてきている。
空が茜色に染まり、夕陽が森の木々を黄金色に染めていた。秋は静かにやってきて、夜を早めていく。
「……そろそろ、晩ごはんにしようかな」
ランプや魔法の光を灯せば夜でも過ごせるけれど、夕食やお風呂は日の出ているうちに済ませるものだ。
屋外にある露天風呂に入るなら、お湯の準備も早めにしなきゃいけない。
私はそろりと一階まで降りて居間を覗くと、クラウスはソファーにあぐらを組んで静かに本を読んでいる。
私は少しどうしようか迷ったが、ここは私の家なのだ。堂々と行こうと決意し、無言で居間に入って鍋などがおかれている
クラウスはチラリと一度に視線を向けてきたが、言葉は発しない。
「……あなたも晩ごはん食べる?」
さんざん迷ったあげく、私はそうクラウスに尋ねた。
夜にディオラルドさんもくるから、彼の分も用意しておくつもりだ。さすがにクラウスにだけ何も出さないのはどうかと思うし。
緊張しているせいで調子の外れた声になってしまった自覚はある。
クラウスは私の言葉が意外だったのか、少し戸惑ったような空気を出したが、「……もらえるなら、もらう」と言った。
私は『謝らないならご飯あげないからねっ』と言いたかったが、相手が坊やなので黙っていた。
さすがに七歳の子供相手にそんなことできない。
寒くなってきたから、晩ごはんは野菜とお肉の煮込み料理にしようかな。
魔導冷蔵庫から吊るされたお肉を取り出し、芋などの根菜を野菜入れの棚からいくつか選び出す。
台所の作業台に食材をおいて、魔導炉の前に立った。
見たことのない魔導具に興味津々なのか、クラウスがそばに近づいてきた。私の手元をジロジロ見てくる。
「あ、お皿……」
手を伸ばして届く棚にあるのは、私と父がふだん使うお皿だけだ。
客人用のものは上の棚にしかない。
私は折りたたみ式の踏み台を広げて、階段をのぼって上の棚に手をかけた時──態勢を崩してしまった。
「わっ……」
ふらりと後ろに倒れそうになる。
頭が真っ白になり、とっさのことで防護魔法の呪文が出てこない。
迫りくる衝撃を覚悟して目をつむったが、背中にぶつかったのは柔らかな感触だった。
「いて……」
私はクラウスを下敷きにしてしまっていた。
クラウスは床に尻もちをつき、しかめ面で自身の後頭部を撫でている。私は彼の上に乗っかっていた。
「えっ、ご、ごめん! 大丈夫!?」
っていうか、なぜ私の下にいるんだ。
さっきまで、ぶつかる位置にいなかっただろうに……。
──まさかとは思うが、受け止めようとしてくれた?
私は焦ってクラウスの頭の後ろを撫でさする。たんこぶなどはできていないみたいだけど……。
他に怪我してないか、顔や腕をさわって確認させてもらう。
「大丈夫? 怪我してない?」
そう尋ねると、至近距離にあったクラウスの顔面が一気に朱に染まった。
「……近い」
そう言われて、私はクラウスを押し倒すような態勢になっていることに気づいた。
「あっ、ごめん……」
慌てて飛びのこうとしたところで、手首をつかまれる。
「え? あの……?」
これでは動きようがないのだが……。
クラウスは深くうつむいたまま、小声でぼそりと言った。
「……ごめん」
「え……な、何が?」
何に謝られているのか分からなかった。
「さっき、オレがお前を馬鹿にしたことを言っちゃったから……」
「……さっきって……会った時のこと?」
私が困惑ぎみに問いかけると、クラウスはうなずく。
「……どうして、そんなこと言ったの?」
それは、ずっと聞いてみたかった問いだ。王立学園にいた頃から。
学年首位の座を争っていたから、私の存在が目の上のたんこぶだったのかもしれないけれど……最初のテストの結果が出る前から彼の私への態度は剣呑だったから。
「……うらやましかった」
「……は? え、……私を?」
クラウスは私がいた伯爵家より格上の公爵家の人で、容姿端麗で成績も優秀だった。しかも王太子の友人で、将来有望。
私に嫉妬する要素なんてなかっただろうに。
「虹眼の魔法使いだし……師匠もなんか特別扱いしてるし、しかも英雄の娘だし。そんなの、恵まれすぎてるだろう」
「…………」
そうか。客観的に見れば、そうなのかもしれない。
──クラウスが昔私にやたら突っかかってきていたのは私が虹眼を持っていたから?
あの頃は、今みたいに父やディオラルドさんに会っていなかったから、それくらいしか嫌われる要素が思いつかない。
「……良いことばかりじゃないよ。私、誘拐されてたし」
私がぽつりとこぼした言葉に、クラウスは目を剥いた。
「……は?」
私は苦笑する。
「私、この眼だったから、物心つく前に誘拐されてね。去年それを知って、お父さんのところに助けを求めて逃げてきたんだ」
口にすると、すごい内容だなと改めて自分でも思う。
絶句しているクラウスに、私は笑みを向ける。
「だから、お父さんとは一年くらいしか一緒に暮らしてないんだよ。──ディオラルドさんが私に優しくしてくれるのは、たぶん同情もあると思うし……」
私の言葉に、クラウスは深くうつむいた。
「……ごめん。知らなくて……」
そのかすかな声が耳に届いた。私は「うん」と、だけ言う。
お互い外側しか見ていないと分からないものもあったんだな、と知った。
私も昔はクラウスの内面なんて知ろうともしなかったし。生まれながらに性格の嫌な奴なんだろう、と思っていた。
──でも、さっき身をていして助けてくれた。
子供の素直さからなのか、悪口を言ったことも認めて謝ってくれたし。
「気にしないで。私もクラウスを誤解してたから」
私は笑みを浮かべる。
クラウスはほうけたような顔で私の顔を凝視していた。
「クラウス?」
首を傾げて問いかけると、クラウスは耳まで真っ赤にして顔を背けた。
「な、なんでもないッ」
「? そう?」
私は立ち上がり、今度は慎重にお皿を取ろうとしたが、クラウスに「オレがやる」と青い顔で止められた。
そして、なぜか流れで一緒に夕食を作ることになってしまった。
自分でも、こんなふうにクラウスと仲良く料理するなんてありえないと思ってしまうのだけど……。
──不思議と、今はその距離感が心地いい。
この一週間くらいは、かつて敵同士だったことは忘れて、交流しても良いかな、なんて思ってしまった。
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