第二章 はじめてのおるすばん
第9話 再会する宿敵
小鳥のさえずりで、私は目を覚ました。
私はベッドから身を起こすと、一階に降りて洗面所で顔を洗い、まっすぐに居間兼台所に向かった。
台所の窓を開けると、まぶしい朝日に目を細める。
「あ、今日も持ってきてくれてるんだ」
窓の木枠の下部には植木鉢をおくためなのか、少し出っ張りがある。
今そこには、みずみずしい赤い果実をたくさんつけた枝が、さりげなく一房おかれていた。
私はそれを手に取って微笑む。
プレゼントをしてくれた相手が近くにいないかと周りを見まわしてみるが、それらしい姿はない。
庭の薬草畑の周りに広がる木々の梢には小鳥達がとまり、楽しげに会話しているだけだ。
「いつも、誰がおいてくれてるんだろう……?」
もともとは、私が薬草を窓の外に干していた時に、飲んでいた特製ジュースをうっかり木枠の外においたままにしてしまったことが始まりだった。
翌朝、愛用のコップがないことに気づき、慌てて窓の外を確認したのだが……その時にはコップの中身は空になっていた。
不思議には思ったが、蒸発してしまったのかな? と、その時は深くは考えなかったけれど……翌朝、窓辺に木の実が数個おかれていたのだ。
父に聞いても知らないというので、小動物のしわざかと思ったのだが──ふと好奇心から、また飲み物を木枠に一晩おいてみた。
すると不思議なことに、また翌朝にはコップが空になっており、代わりに熟れた果実がおいてあったのだ。
それから私は、飲み物だけでなく夕食を少しお裾分けをしたりと、その見知らぬ生き物との交流を続けていた。もう七日ほどになるだろう。
「小鳥の可能性もあるけど、さすがに賢すぎるし、違うか……」
おいてある果実や木の実は、鳥が突いた跡もない綺麗なものばかりだ。
時には市場だと金貨を出さないと買えないような高級キノコがおかれている日すらある。
その時、階段を降りてくる足音が聞こえた。
父がお腹を掻きながら台所に入ってくると、眠たそうな目で私と果実を交互に見て、ため息を落とす。
「また、きたのか? アイツ……」
「アイツって、お父さん。この果物を誰がくれたのか、知ってるの?」
私の問いかけに、父は肩をすくめた。頭はボサボサだが、金色の髪の隙間から垣間見える顔は相変わらず整っている。
「物々交換ができる知恵のある生き物なんて、そんなにいないだろ。それに、この家の周りには結界が張ってあるから、悪意がある者は入ってこられない」
「うん」
人間でこの家に近づけるのはディオラルドさんくらいだけど、彼なら、わざわざ夜中に黙って窓の外においておく必要なんてないだろう。扉をノックして普通に入ってくれば良いだけだ。
父が不満げに唇を尖らせている。
「……だから、思いつくのはアイツしかいない」
父には正解が分かっているようだけど、私にはさっぱり分からない。
「警戒心が強い奴だから、なかなか人前に姿を現さないんだ。……この森にずっと住んでいる俺にだって接触してこなかったのに……これが子供の力と言うやつか……?」
ぶつくさ文句を言う父に、私は首をひねった。
ちょうどその時、玄関の呼び鈴が鳴り、話が中断してしまう。
私が来客を迎えにトタトタ歩いて行くと、扉の向こうに立っていたのはディオラルドさんだった。
ディオラルドさんは魔法協会のお偉いさんで、父に仕事を仲介してくれている男性だ。
だが、今日はいつもの穏やかな表情もくもり、疲労の色が見える。
「おはよう、フィー」
「おはようございます。ディオラルドさん。どうしたんですか? 寝不足みたいな顔をして……」
「いや〜、それがねぇ……困ったことになっちゃって……」
ディオラルドさんはそう言いながら、私の背後に視線を向ける。
無表情でやってきた父に、ディオラルドさんは硬い表情で言った。
「アガルト、リールカールの王様から仕事の依頼がきてるぞ」
「断る」
父は顔をしかめて即座に言った。
リールカールといえば……このグランディア王国の隣にある、友好国だ。
私は目をぱちくりさせて、二人を交互に見つめる。
ディオラルドさんが父にまくしたてた。
「断れるわけないだろ! おまっ、これ、リールカール王がうちのグランディア国王に直接頼んできたんだ。これは両国の王家からの魔法協会に入ってきた依頼なの! 断ったら国際問題になるわッ!!」
血走った目でディオラルドさんが父の肩をつかみ、ガクガクと揺さぶる。
父はうっとうしそうにディオラルドさんの手を払いのけて、舌打ちした。
──国際問題って……かなりおおごとなのでは。
私は心配になって、父に聞いた。
「お父さん、受けないの?」
私の問いに、父は気まずそうに目を逸らす。
「……だって、その隣国なんて遠すぎるだろう。家を一週間は空けなきゃいけなくなるじゃないか」
日用品の買い物のために、王都へは【転移の魔法陣】で行くことはあるが……隣国は別だ。
【転移の魔法陣】は事前に準備が必要な大魔法だから、リールカールへ行くためには【飛翔】の魔法を使うか、地道に馬車で行くしかない。
「別に一週間くらい良いだろう!? なにがダメなんだ?」
ディオラルドさんはこれまで見たことがないほど必死だった。それほど、事態が深刻なのだろう。
「……裁判がいつ始まるか分からないし」
そう──、ついニ週間前のことだ。義母が捕まって終わるかと思いきや、義母は己の潔白を主張しはじめたのだ。私の誘拐などしていないし、ただ友人の子供を保護しただけだと。
伯爵との間の子供だと嘘を吐いた件に関しては、『フィオナは私の義理の娘ではあるが、伯爵と血の繋がりがあるとは言っていない』と言い張っている。
義母は現在、城の牢屋に
「もしお前の任務中に出廷命令がきても、お前が戻ってくるまで延期するよう口添えするから。さすがに陛下もそれはご考慮くださるはずだ。父親のお前がいないと裁判も行えないだろう」
ディオラルドさんは、そう父を説得する。
だが、父は視線を落として、唇を尖らせた。
「……それに、フィオナが家で一人きりになってしまうだろう。こっちの方が俺には問題だ」
「えっ、私!?」
まさか私が原因で、断ったら国際問題に発展しかねない依頼を父が拒否しようとしているとは思わなかった。
父は眉間にしわをよせて、ため息を落とす。
「……あんな魔の巣窟にフィオナを連れていけないからな。留守番させることになる。だが幼いから、まだ心配だし……」
ディオラルドさんはこめかみを揉んでいる。
「……うん、まぁ、確かにね。さすがに女っ気のないお前が娘を連れてきたらリールカール王もビックリするだろうけどさ……それにお前一回王女との縁談も断ってるしな。……フィーを連れて行くのは良くないな」
なんか、すごい情報がさらりと流されていく。
父がディオラルドさんの言葉に同意する。
「だろう? 危険だ。誘拐されかねない」
私は物騒な言葉に目を剥いた。
「ゆ、ゆうかい?」
ディオラルドさんが困ったような表情で、うなずく。
「フィーを誘拐すれば、大賢者であるアガルトを思い通りに動かせると思う悪い輩もいるだろうからね。ま、こいつがその気になれば世界も滅ぼせるだろうから、無理もないことだけど……」
私はその想像に血の気が失せてしまった。もう誘拐は嫌だ。
父の足を引っ張るような真似は絶対にしたくない。
「……お父さん、私、おるすばんしてるよ」
私の言葉に、父は目を丸くする。
「フィオナ?」
「この家の周りには結界が張ってあるから安全だよ。大丈夫」
それに私は一応、十六歳まで生きた記憶もあるのだ。
最近は七歳になったし。一週間くらい、一人で留守番できる。
戸惑っている父に、ディオラルドさんが言う。
「幼いフィーを残していくのが心配っていうなら、俺が毎晩泊まりにくるし」
「それは、めちゃくちゃ嫌なんだが……」
渋い顔をする父に、ディオラルドさんが焦ったように続ける。
「じ、じゃあ、俺の弟子も一緒に泊まらせるからっ! あいつは確かフィーと同い年だし、友達になれると思うよ! ほら、フィーも大人な父親とばかり話すより、同じ年頃の友達もできた方が良いだろ!?」
父は頑として拒否の姿勢を続けていたが、一時間ほどディオラルドさんに説得されて、根負けしたように首を縦に振った。
「分かった。フィオナのことはお前に任せよう。だが、フィオナに傷ひとつでもつけたら許さないからな」
父の眼光が鋭く光る。
ディオラルドさんが「任せなさいっ!」と自身の胸を叩いていた。
◇◆◇
そして、その数時間後──お昼を少し過ぎた頃に来客があった。
私は家の戸口に立つ少年を凝視する。
私より少し身長が低いくらいの少年だ。六歳か七歳くらいだろう。
銀色の髪と、薄氷のように青みがかった瞳、整った顔立ち。
白いシャツの首元には黒いリボンが巻かれており、ショートパンツからは膝が見えている。
ディオラルドさんの隣にいるその少年に、目が釘付けになった。
ディオラルドさんはニコニコしながら、その少年を私に紹介してくれる。
「フィー。この子が、俺の弟子のクラウスだ。仲良くしてくれ」
私はその少年の顔に見覚えがあった。
──クラウス・ディーデリヒ・グーラ。
グーラ公爵の息子で、私の元婚約者・王太子ラインハルトの親友でもある。
しかも王立学園の魔法科にいた時も私と同じクラスで、何かと張り合っていた相手だった。
どうして、奴がここに──ッ!?
仇敵を前に、私は後ずさりしてしまう。
助けを求めたくても、父は家にいない。
父はすでに荷物をまとめて一時間ほど前に出て行ってしまっていた。
ディオラルドさんは私とクラウスの因縁など知る由もないので、固まっている私を見て、不思議そうにしている。
「ん? フィー、どうしたんだ?」
そのディオラルドさんの声にハッとして、私はぎこちなくクラウスに笑みを向ける。
「私はフィオナ・リッター。……よろしくね」
クラウスと私が出会ったのは王立学園に入った十三歳の頃からだ。魔法科は希少で、一クラスしかなかったから、本来なら卒業する五年後までクラスメイトとして腐れ縁を続けることになっていただろうけど、私が十六歳の時に断罪されてしまったから、クラウスと付き合いがあったのは三年間だ。
私は彼と成績の学年首位争いをしており、犬猿の仲だった。しかもクラウスは、私の元婚約者である王太子を奪ったオリヴィアの派閥の人間だ。できれば関わりたくない。
「……よろしく」
クラウスは、そうぶっきらぼうに言う。
彼はかつて【氷の貴公子】という色んな意味でサムいあだ名で呼ばれていた。
確かに整った美貌とさらさらした銀色の髪、そして冬空のような薄青の瞳は、冬の精霊王のようではある。
だが品のある見た目とは違って、私に放たされる言葉は嫌味しかなかったので、また何か言われるのではないかと私は身構えた。
だが、さすがに初対面で子供同士だからなのか、クラウスがそれ以上何かを言ってくることはなかった。
私は助けを求めてディオラルドさんに視線を向けたが、彼は困ったような笑みを浮かべているだけだ。
「あれ? 二人とも緊張しているのかな?」
ディオラルドさんは私の過去の事情など知らないし、私もさすがに「この子とは遊びたくない。連れて帰って」などと子供じみたことは言えなかった……。
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