第8話 (第1章エピローグ)お父さん

「フィオナ! フィオナじゃないっ」


 驚いたような形相で駆け寄ってきたのは──義母だった。

 まさか、また会うなんて思わなかった。

 彼女は険しい表情でまくし立てる。


「今まで、どこ行っていたの!? 探したんだから!! 手間かけさせるんじゃないわよ! 伯爵がお怒りなんだからっ!」


 そう言って、私の手首を乱暴に引っ張った。

 私に声をかけてきた通行人のおばさんは、「お母さんが見つかって良かったわねぇ」と笑みを浮かべている。

 ──違うのに。


「やだっ!! 離してぇ!! あなたは私のお母さんじゃないッ!!」


 私は必死に抵抗した。

 ──もう、あんな家になんて戻りたくない。

 私を利用しようとする義母も、伯爵も、王太子も。十年後の未来も。ぜんぶ、まるっと拒絶する。


「……おとうさんっ!!」


 無意識のうちに、そう叫んだ。

 義母が「この……っ」と真っ赤な顔で怒鳴り、掲げた手が私に向かって振りおろされようとした瞬間──。

 雷のような激しい音がして、私はいつの間にか、父の腕の中に抱きかかえられていた。


「あ……」


 温かいぬくもり。

 父は鋭い瞳で、義母を睨みつけている。


「……俺の娘に何をする」


 義母は片手を手で押さえて、私達を見据えて歯ぎしりしていた。

 私達と義母の間には、魔法陣がいくつも浮かんでいる。

 義母は激昂した。


「お前かっ!? 私の娘を連れていったのは……!! この誘拐犯めッ!!」


 父は義母の言葉を鼻で笑う。


「その言葉、そっくりそのままお返しする。この子を実の娘だと嘘偽りを言って、利用したくせに。伯爵の後妻になるために」


 彼の言葉に、広場に集まっていた人々が騒然となる。

 聴衆の厳しい眼差しを受けて、義母は慌てて言いつくろう。


「違うっ!! この男が言っていることは嘘よ! この子は間違いなく血の繋がった私の娘で……っ」


 しかし、私の『お母さんじゃない』発言や、彼女の私に対する態度、そして父と私が同じ虹眼をしていることから、義母の言葉を信じる者はいなかったようだ。人々は冷たい目で義母を見つめている。

 誰かが警備兵を呼んだのか、義母は間もなく取り押さえられた。

 どうやら兵士達は父の顔なじみらしく、『後日ゆっくり話を聞かせてもらうぞ、虹眼』と父に言っていた。もし義母が虚偽の主張をして伯爵家に入ったなら、彼女は罰せられることになるだろう、と。父と私は魔力検査で親子関係にあるか調べられるらしい。


「また娘を傷つけようとしたら、容赦しない」


 父が冷たくそう言うと、義母は肩を落とし兵士達に連行されていった。

 私は父のシャツの胸元をつよく握りしめる。

 ──助けにきてくれた……。


「ありがとう……」


「礼なんていらない」


 今までだったら誤解していただろう無愛想な言葉の中にも、たくさんの気持ちが隠れていることに気付く。

 父は私をそっと石畳の上に降ろした。

 そして、私の手に父の日記が握られていることに気づいたらしい。

 父は露骨にうろたえだし、面白いほど顔面を赤く染めた。


「お、おまえっ……それ、俺の日記じゃ……? まさ、まさかっ、それを読んだのかッ?」


 私は少し迷ってから、日記を父に押し付けた。


「……ごめんなさい。ちょっとだけ、読んじゃった……」


 本当はちょっとじゃないくらい読んでしまった。


「そ、そうか……。いや、別に良い……いや、まったく良くはないが、まァ……その、」


 父は落ち着きなく頭を掻き回すと、ため息を落とす。


「……その……昨日は、すまなか、った……」


 私は彼をじっと見上げて、微笑む。


「わたしも、ごめんなさい」


 二人で顔を見あわせ、笑いあう。

 そして、私達は今日はひとまず家路につくことになった。

 隣で父の指がギクシャクと、何かしたそうに動いている。

 少し待ってみたけど何も起こらなかったから、思いきって私の方から父の手を握ってみた。

 父は硬直していて、私はまた、笑った。何だか楽しいことばかりだ。


「今日は、俺が晩ごはんを作ろうか」


 照れ隠しのように明後日の方角を見ながら頬を赤らめて言う父に、


「イヤ。だって、アガルトさんって、お肉焼いて塩振るだけじゃん」


 私は断固として拒否する。


「……もう、さっきみたいに呼んでくれないのか?」


 父は寂しそうな表情をしていた。

 私は「あっ」っと、口を押さえる。いつもの癖で、名前で呼んでしまっていた。

 私は緊張を押し殺し、勇気を出して、小声で彼を呼ぶ。


「……おとうさん」


 ──と。




第1章 おわり

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