二 夢告の王子
ゆめのつげのみこ〈1〉
上陸から二日目。
朝食が終わるころ、旅籠の外が騒がしくなった。大勢の人のざわめきや馬の嘶きが聞こえる。
「王宮からの迎えが到着したようですね」
窓の下を確認した真赫が笑顔で報告する。
好奇心に負けて窓帷の陰から覗きこむと、旅籠の前の路地が何十人もの大行列で埋め尽くされていた。
屈強な男たちが四人がかりで担ぐ豪奢な輿がふたつ前後に並び、その周囲では槍や剣を携えた歩兵が整列している。更に行列の外側を騎兵が取り囲み、兵士たちが纏う金属製の甲冑が南国の陽射しをまばゆく照り返す。
行列の先頭では醒めるような山吹色の流れ旗がたなびいている。ひと目で貴色だとわかる深く澄んだ紫――のちのち、貝紫だと知った――で染め抜かれているのは、流水紋を思わせる円形の図柄だ。
「あの旗印は大神女と稚神女だけが使うことを許されている特別な紋章です。稚神女からの勅使に間違いありません」
「な、なんだか大袈裟ではない? もっとこっそり王宮に入るのかと思っていたわ」
「何をおっしゃいますか。おふたりは常夜大君のご神託によって伊玖那見に迎えられた
真赫が大仰に目を見開いてたしなめる。
伊玖那見では
私はこっそりため息を噛み潰した。ふと視線を感じて再度窓の外を見遣ると、ある騎兵が目に留まった。
行列の右側についた騎馬の上から、甲冑を着こんだ兵士がこちらを見上げていた。
ほかの兵たちに比べてやや小柄――七洲人の中背ほどの体格で、日焼けしているものの伊玖那見人より肌の色が明るい。目深に冑を被っているので髪色は確かめようがないが、鋭い三白眼は薄い茶色だとはっきりとわかった。
――私を見ている。
兵士はゆっくりと瞬き、何事もなかったように前へ向き直った。
「媛様? どうされました?」
急に黙りこんだ私に、真赫が怪訝な顔をする。
兵士のまなざしから敵意は感じ取れなかった。ただ、市で出会った商人の海燕と同じ、私という存在を見定めようとする冷徹な意思は伝わってきた。
「ううん……なんでもないわ。光がまぶしくて、少しくらくらしてしまったの」
「まあ、それはいけません。伊玖那見の陽射しはきつうございますから、今日もしっかり日避けを被らないと」
真赫に促されて涼しい日陰に戻る。そのまま鏡台の前まで連行され、しばらくのあいだ着せ替え人形と化した。
最終的に落ち着いたのは、薄藍の地に淡紅や支子色、紫色の花々が大胆に咲く図柄の上衣だった。帯は鮮やかな珊瑚色、ふわふわとした紗の裳は濃紫。
髪型は、登頂部の髪だけを双髷に結ってあとは流すというすっかりおなじみになったスタイルだ。珊瑚色の珠を通した髪紐と薄橙のぶっそうげの花で双髷を飾り、真赫は満足そうに頷いた。
「よくお似合いですよ。雪の膚に花の色がいっそう美しく映えますこと」
「……ありがとう」
私は鏡越しに苦笑いを返した。
白珠と称えられる美姫であった母に似たのか、私も明星も平均的な伊玖那見人より色白だ。母方の血筋を考えれば濃い肌色になりそうなものだが――
「祖母君譲りでございますね」
「お祖母様?」
「ええ。香彌王女は白銅の御髪と白珊瑚の膚をお持ちだったそうです。混血児が多い伊玖那見では、異人の特徴を持つ子どもが稀に生まれるのですよ。藩王家も例外ではありません」
なるほど、言われてみれば人種の坩堝のような伊玖那見で白い肌の子どもが突然生まれても不思議ではない。
仕上げに眦を魔除けの紅で彩り、真赫はほほ笑んだ。
「だれが見ても、まことうるわしい伊玖那見の姫宮にございます。これからはわれらの国で、心穏やかにお過ごしください」
なんと答えればよいのかわからず、私は曖昧な笑みを取り繕った。
日避けの紗布を被り、真赫に手を引かれて部屋を出た。廊下の壁際には旅籠の使用人が並んで額ずき、私が前を通り過ぎるといっそう深く叩頭する。
正面玄関から外に出ると、強烈な陽光に視界が白くなった。
睫毛を上下させると、物々しく武装した人びとがこちらに向かって跪いていた。騎兵は下馬し、立っているのは先導の真赫と私、そして水沙比古だけだ。
緞子の帯に提げた実戦向けの長剣があまりに無骨で、なんだかちぐはぐだ。当の水沙比古は神妙そうな面持ちを装いながら口をへの字に押し曲げており、いかにも少年らしい表情に思わず笑ってしまった。
「卑流児王子殿下並びに夕星内親王殿下、お揃いにございます」
真赫が声を上げると、人びとがいっせいに平伏した。
一団からひとりの兵士が進みでた。
口髭を貯えた中年男性である。ほかの兵士よりも立派な具足を纏っており、どうやら一団を率いる勅使らしい。
勅使は恭しく一礼し、立ち尽くす水沙比古と私へ伊玖那見語で話しはじめた。
「『常夜大君のお導きにより
傍らに控えた真赫が七洲語に通訳してくれた。
巫王とは古い時代において祭司と君主を兼ねた首長を意味し、いまでは大神女の別称となっている。
「『これより、われらが王宮までお供仕ります。王子殿下と内親王殿下にはご不便をおかけしますが、おひとりずつ輿に乗って移動していただきます』」
「待て。ひとりずつ、だと?」
水沙比古が口を開くと、勅使は面食らったように目を瞬かせた。
「おれは内親王の従者……
少年が発した単語は七洲のものではなかった。伊玖那見人たちはハッと瞠目し、水沙比古を凝視する。
「おれも同じ輿に乗るか、馬で横を並走する。護り手が
真赫と勅使が視線を交わす。勅使は水沙比古へほほ笑んで頷いた。
「『承知いたしました。それでは、おふたりごいっしょに輿へお乗りください。少々手狭にはございますが、担ぎ手を増やしますので乗り心地はご心配に及びません』」
「わかった。……
おそらくは感謝を告げる言葉に、勅使は深々と
真赫が私の手を水沙比古に託す。少年に手を引かれて輿に乗りこんだ。
唐破風を思わせる天蓋に覆われた輿は、大人ふたりがなんとか並んで座れるほどの広さだった。垂れ絹が四方を囲み、床にはやわらかな織物が敷かれている。
水沙比古の隣に腰を下ろすと、号令とともに輿が持ち上がった。わずかな揺れのあと、担ぎ手たちが歩きだす。
はじめての感覚に思わず水沙比古の腕にしがみつく。すぐさま背中にてのひらが添えられた。
「平気か?」
「な、なんとか……」
水沙比古は垂れ絹をつまみ、隙間から外の様子を窺っている。
「大路に出るぞ。すごい人だかりだ」
「え――」
路地を抜けると喧騒が押し寄せてきた。
息を呑む。神女の瞳が垂れ絹を透過させ、行列をひと目見ようと沿道に詰めかけた群衆を映しだす。
老若男女が手を振って歓呼し、妣なる女神と藩王家を称える言葉を叫んでいる。どこからともなく花が舞い、色鮮やかな祝福となって人びとを熱狂させた。
固く目を瞑り、外界の情報を遮断する。水沙比古が気遣わしげに背中をさすった。
「二の媛?」
「ちょっと熱気にあてられただけ」
呼吸を整えて瞼を開く。陽射しが遮られた輿の中で、心配そうな水沙比古が顔を覗きこんでいる。
視えるものに惑わされてはいけない。視るべきものを見定め、守るべきものを見誤ってはならない。
いま、いちばん大事なのは、水沙比古と、私自身だ。
伊玖那見が私たちにとって本当に安寧の地なのか、まだわからない。夢で聞いた『声』は「生大刀を探しなさい」と伝えてきたけれど――あれは女神が授けた使命なのだろうか?
わからなくても前へ進むのだ。私が
水沙比古の手を握る。銀碧の瞳が戸惑うように泳いだ。
「それにしても驚いたわ」
「え?」
「伊玖那見語よ、さっき話していたでしょう。もしかして、昔のことを思いだしたの?」
故郷の土と風に触れて、失われた記憶がよみがえったのだろうか。
私の疑念に、水沙比古は苦笑いをこぼして頭を振った。
「違う。伊玖那見人の舟乗りに簡単な言葉を教わったことがあるだけだ」
「ああ……なるほど」
「伊玖那見の王子らしく伊玖那見の言葉で話しかけたら心証がいいと思った。要求が通りやすくなる」
呆れるほど打算的だ。
舟乗りという危険と隣り合わせの生業に就いていたせいか、水沙比古の判断には常に迷いがない。羅針盤を持たない渡り鳥が広大な海原でも針路を見失わないように。
なんだか気が抜けて笑ってしまった。
「あなたは本当に頼もしいわね」
「親父どのと婆さまから二の媛を任されているからな」
水沙比古は右の拳で胸を叩いた。
袖口から覗いた手首には舟乗りの護符のほかに、私の編んだ髪紐がしっかりと巻かれていた。いつものような気軽な束髪を許してもらえず、使えなかったのだろう。
「伊玖那見語では、『従者』は『ナグル』というの?」
「『護り手』や『護衛官』という意味が近いな。一般的には貴人の身辺警護を務める武人のことだ。『ヌル』は『主人』や『雇い主』という意味だ」
水沙比古は日常的な言葉をいくつか教えてくれた。『ありがとう』は『ニファー』、『こんにちは』は『ハーティヤ』、『さようなら』は『ウジャービルヤ』……大陸文化の影響で、礼をするときには片手のてのひらを立ててもう片手で拳を作って添える拱手というポーズを取るそうだ。
輿が王宮に到着するまで、私たちはそんな風に他愛もないやりとりを続けた。
つないだ手は、どちらからも離そうとはしなかった。
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