ワタシタチノセカイ

阿賀沢 隼尾

ワタシタチノセカイ

 数十年ぶりに中学の同級生から手紙が来た。

 同窓会の誘いだ。

 名前は何となく聞いたことあるような。

 でも、顔は思い出せない。


 その程度の関係性だった人。


 陽光のように輝かしくも影を映した残り香が脳裏に浮かぶ。


 あの頃は3年間がとても長いと感じていた。

 部活も塾も通っていなかったけれど、放課後の図書館だけは通っていた。


 別に本が好きだった訳じゃない。

 理由は3つある。


 1つは、親と顔を合わしたくなかったから。

 親も教師も何となく好きになれなかった。

 親は別に仲が悪かったという訳では無かった。


 けれど、私はお母さんが不倫をしているのを知っていた。


 小学校6年生の頃、いつもより学校が早く終わって家に帰ると、玄関に知らない男の人の靴が置いてあった。


「おかあさーん?」


 声をかけても誰も返事しなかった。

 母の部屋を覗くと、知らない男の人といて。


 母は私の知らない「女性」の顔をしていた。

 父と私には決して見せない笑顔。

 見てはいけないものを見てしまった背徳感と罪悪感。

 その瞬間、私の中で何かが崩れ落ちて壊されたんだ

 。


 だから、放課後に図書館に行ったのは、親から、教師から、「おとな」から逃げていたんだと思う。


 2つ目は、街行く人々の目が、クラスメイトの目が怖かったから。


 当時はいつも私の一挙一動を監視されていように感じていた。


 でも、人は自分が思っている以上に私のことに関して興味はないけど、私に関心ある人間は私の思っている以上に私のことを知っていたり、見ていたりするのを知ったのは高校に上がってからだった。


 それでも、今でも私は人と顔を合わせるのが苦手だ。

 人の目を見つめていると、心の中を見透かされているような気持ちになってしまうから。


 3つ目は気になる子が、今では友人と呼べるほどの関係の同性の子がいつもいたから。


 彼女の名は葉月と言った。

 ——葉月理菜。


 彼女はいつも窓際にいた。

 背中まで流れる濡鴉色の髪を無防備に垂れ流して、水色と純白のセーラー服がとても似合う女の子だった。


 いや、きっと、何を着ても似合っていたのだろう。

 プライベートで見た事はないけれど。


 私は何よりも彼女の乳白色の肌が、宝石のようで、闇のように吸い込まれる瞳が、お人形さんのような細身の体が、さくらんぼのようなつるつるとした桜色の唇が好きだった。


 いつも私には分からない難しそうな本を読んでいて、本を読んでいる姿の彼女を見るのが私は好きだった。


 耳にかかった髪をかきあげる仕草や、本を読んでいる時にまつ毛が落とした影とか。


 そんなちょっとした仕草が神秘的で幻想的で。

 どこか非日常、非現実な世界にいるような気にさせてくれた。


 幸い、放課後にいたのは私と彼女のみだった。


 そう。

 それは聖域だった。


 私と彼女だけの特別な空間と時間。


 理菜はどう思っていたのかどうかは分からないけれど、少なくとも私は放課後に彼女と2人で過ごす時間は特別で。


 理菜は理知的で感性的な女の子だった。

 私は彼女から色んなことを教えてもらった。


 川端康成とかドストエフスキーとかチェーホフとか坂口安吾とか伊藤計劃とか伴名練とか。


 いつも彼女の方から一方的に話してきた。


 内容は文学的な話が中心で分かりやすくてリズム感のある言葉選びと鈴のような澄んだ声に私は夢中で良く聞き入っていた。


 教室では見せない彼女の顔を私は見ることが出来た。

 きっと、彼女にとっても私といる空間と時間は特別だったのだろうと思う。


 私の青春は宝石のように光り輝いてもいなかったけど、どん底でもなかった。


 中途半端な青春。

 それが私の青春時代だった。


 思い出はいつしか風化してしまう。


 彼女は来るのだろうか。

 もし、来るのなら、私も行くけれど、連絡先を知らない。


 取り敢えず、行ってみるか。


 彼女がいないならいないで別にどうでもいい。

 でも、いてくれたら嬉しい。


 彼女は変わっているだろうか。

 いや、変わっていない気がする。


 中学生の時のまま体だけが成長している。


 そんな気がする。


 そう思うと、顔がニヤついてしまう。

 理由は自分でもよく分からない。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 会場に行くまで心身が軽やかに浮き足立っていた。

 理菜の成長した姿を見るのがとても楽しみだった。


 これほどまで気分が高揚するとは自分でも正直驚いている。


 会場には同級生であろう人物がうようよといた。

 あー、こんなやつもいたな。名前忘れたけど。

 みたいな人ばかり。


「あ、橋本さ〜ん。久しぶり〜」


 振り返ると、恐らく同級生であろう人物が立っていた。

 心が急に冷めていくのを感じる。


「橋本さん……だよね?」

「あ、う、うん」


 仮面の笑顔を作りながら対応する。


 名前も顔も知らない相手。

 ほぼ、「他人」としか思えない。

「同級生」という特別な感情はどこへやら。


 これが理菜ならきっと違うのだろうけれど。

 その後もあの人がイケメンだとか。あのいじめられっ子が一流企業に就職してるだとかどうでもいい話を一方的に聞かされた。


 もう、仮面の笑顔で相槌を打つしか無かった。


 やっとこさ長話が終わったかと思うと、当時の男子が絡んできて「実は俺、中学の時お前のこと好きだったんだよね〜」とか心底どうでもいい下らない話ばかり聞かされた。


 みんな「オトナ」になっていた。

 男の収入や女の体を追い求めて、毎日毎日同じ様な平坦な日々を繰り返す。


 私はそんなもの興味無い。

 私には理菜さえいればそれで良かった。

 私の青春は理菜と過ごした時間そのもので、理菜その人だった。


 上の空で彼らの話を聴きながら、会場を見渡すと、1人の女性が目に付いた。


 いや、引き付けられたと言う方が正しいのかもしれない。


 背中まで無防備に垂れた濡鴉の黒髪は絹のような滑らかさを纏い、光を反射している。


 セーターとロングスカートというシンプルな服装だけれど、気品に溢れ、かつ厳かな雰囲気を漂わせている。


 中学生の頃とは違って、大人の色気と妖艶さを醸し出していた。


 脳内に電撃が走った。


 間違いない。

 理菜だ。


 この私が彼女を見間違える筈がない。


 彼女も誰かに捕まって話し込み中だけれど、私と同様心ここに在らずといった感じだった。


 ————目が合う。


 私は彼を無視して理菜との距離を縮めていく。

 これまでの空白の時間を埋めるかのように物理的距離を少しずつ、少しずつ詰めていく。


「久しぶり、理菜」

「久しぶり」

「理菜変わらないね。」

「変わるよ。私だって」

「でも————」


 視線を右手に移した瞬間、氷解しかけていた空白の時間が氷点下まで下がる。


 指輪をしていたのだ。

 小さいけれど美しいダイヤモンド。


 どす黒い混沌とした感情が渦巻き始める。


「理菜、結婚したんだね」

「あ、ああ。これ? うん。実はそうなの。大学時代に隣人で付き合いがあってね。3年生の頃に同居してその流れのまま」

「そ、そうなんだ」


「おめでとう」も「幸せ」も喉につっかえて吐き出せない。

 そんなお世辞でさえも胃の中へと逆流して胃液に溶かされてしまう。


「美優は変わらないね」

「そうかな」

「うん。あの時からずっと変わらない」

「あの時?」

「私たちが私たちを殺した日。私たちが生まれ変わった日。私たちがセカイに、オトナに叛逆した日」

「なに、それ?」

「本当に覚えていないの?」

「うん。残念ながら」

「そっか……」


 微小を浮かべる。

 彼女の吐く言葉は魔力を纏っていた。


 心が、体が、魂が————。

 言葉の魔素によって絡められていく。


「私達が15歳の頃、私達一緒にしたよ。一緒に首を絞め合ったり、廃屋に火をつけて死のうとしたり。あの頃が一番『普通』だったよ。私たちが一番私たちらしく、自分らしくいられた。そうは思わない?」

「うん。思うよ。私もそう思う」


 ああ、なぜ忘れてしまっていたのだろうか。

 彼女は私にとって宝のような存在なのに。


 言葉は刃物で祈りで魔法で劇薬で呪いで毒薬で薬で祝福だ。


 死と生の境界にいたあの頃が一番刺激的で生き生きとした生活をしていた。


 輝かしき日々。

 そんな彼女も大人になってしまった。


 結婚して男がいて。


「大丈夫?」

「え? 何が?」

「苦しそうな顔をしていたから」

「あ、うん。大丈夫」


 無意識に顔に出ていたらしい。

 私は彼女とずっと一緒にいたかったのに。

 彼女はどんどん離れていく。

 みんなどんどん「オトナ」になっていく。


 私だけが「子供」と「オトナ」の狭間にいる。


 そんな私を見かねてか、私の手を彼女の冷たく柔和な手が握り締めた。


「ね、行こ」

「どこへ?」

「ここでは無いどこか。私達が私達でいられる場所」


 一言そう呟き、私の手を引いて駆け出した。


 私の彼女は変わっていなかった。

 心が踊り出した。

 心臓が舞い踊り出した。


 ほかの同級生なんて嫌いだ。

 もう、男の話なんてうんざりだった。

 私は同級生の女の子達がする「男の話」なんて興味無かった。


 彼女とならどんなことでもやっていける。

 彼女なら、どこへでも連れて行っていける。


 時間は逆行しない。

 それでも、彼女とならあの頃の時間をもう一度味わえる気がした。


「オトナ」の色が爛々と輝く建物を背に走り抜ける。


 私達は「オトナの世界」から抜け出した。


「どこへ行くの?」

「どこへ行こうか」

「私は理菜とならどこへでも行けるよ」

「ほんと?」

「うん。ほんと。地獄でも行ける」


「それは嬉しいな」


 笑みを浮かべる彼女は天使のように可愛くて。


「一緒に死んでくれる?」

「理菜となら良いよ。死ねる」

 

 ポンと言葉が口から出た。

 寧ろ、理菜としか死にたくない。

 彼女の傍で私は体を、心を、魂を溶かしたい。


「それじゃあさ————」


 その微笑みは悪魔か天使か。

 少なくとも、私には満面の笑みに見えた。


 今にも踊り出しそうな彼女の軽やかさ。

 手を差し伸べる彼女の手を私は強く握りしめる。

 決して離さないように。

 ずっと一緒にいられるように。


「もう一度私と共犯者になってくれる?」

「もちろん」


『知ってる? 共犯者って、この世で最も親密な関係なんだって』


 どこかで読んだ小説の台詞が脳裏に浮かぶ。

 いつの間にか、彼女が右手の薬指にしていた指輪は消えていた。


 友人も家族も恋人も幼馴染もそんなもの私には必要無い。

 彼らは一緒に罪も罰も背負ってくれない。


 あの頃のように、誰にも知られない二人だけの罪と罰を背負ってくれる人がいるなら私はそれでいい。


 罪と罰は2人を繋ぐ愛の鎖。

 世界で最も強い絆を生み出す愛憎の鎖。


 それを私も理菜も求めていた。


 私達はこのセカイから飛び立つ。

 共に十字架を背負って。


 永遠を得るために。

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