アルトの戦い

 そして次の日。


 朝日が辺りを照らし、周りでは生徒達がざわめいている。


 集合場所のここは闘技場。広く開けたコロッセオのような場所で模擬戦などをする時はいつもここを使う。


 まあ何ともいい天気で……絶好の模擬戦日和だ。が、


(くそ気持ち悪い……)


 結局昨日の内にアルトの制服は乾かず、湿っぽい制服を着る事になってしまった。


 ただでさえ追い詰められた状況での模擬戦なのに、このジメジメとした制服を纏った状態だと更に苛立って仕方ない。


「ようアルト!」


 声をした方を振り返ると、そこには余裕そうに笑顔を振り撒くディオが居た。流石は優等生だ。模擬戦前なのに余裕綽々だ。


「今日も朝から眠そうだな?」


「眠くない」


 余裕の無いアルトは、自然に語勢が強くなってしまう。


「ああ、悪かった。今日は冗談は無しだったな?」


 両手を前に出しディオは半歩引いた。


 はぁ……と息を吐き、アルトは言った。


「……悪いが今日は余裕が無いんだ」


「はは……悪かったな。まあお互い頑張ろうぜ?」


 ああ、と返事をすると……


「全員揃ってるか?」


 我等が教官が現れた。


「全員揃ってると思うが、一応点呼とるぞ~?」


 何とも気の抜けためんどくさそうな声で、アルト達の担当教官、ラウドが名前を読み上げて行く。


「教官が今日もあの調子なら、いつも通りに行けるかもな?」


「……だと良いがな」


 いつもはラウドの手加減もあり、何とか勝てて来た。


 だが今回も上手く行くとは思えない。


 あまりこういうのは宛てにしないが、嫌な予感がしていた。


「レ――」


「はい!」


 自分の名を呼ばれる前に、アルトは返事をした。


 名簿を持ったラウドに少し睨まれたが、名前を呼ばれるよりはずっと良かった。何か言われるかとアルトは思ったが、何故かニヤリと口元で不気味な笑みを浮かべながらラウドは名簿に目を戻し、次の生徒の名前を呼んだ。


 嫌な予感がして仕方ない……。


「じゃあ、模擬戦を開始する。名簿一番の奴から広場に出ろ。それ以外は、観客席に居る様に」


 最後の生徒の名前を呼ぶとラウドは皆にそう言った。


 その場に一人残し、アルト含める他の生徒は安全地帯の、2~3メートル高い位置にある観客席へと移動した。













「ぐあっ!」


 闘技場内に砂塵が舞う。ラウドの魔術により、十五番目の生徒が吹き飛ばされる。


「く……」


 立ち上がろうとする生徒だが、倒れた所に、ラウドが剣の切っ先を向ける。


「終了。立ち回りがまだまだ甘い、もっと相手との距離を意識して戦え。実戦なら魔術を使われた時点で負けなんだ、慎重になり過ぎるな」


 そう言い、ラウドは剣を降ろす。


 生徒は吹き飛ばされた際に手放してしまった剣を拾いに行くと、ありがとうございました、と一礼して闘技場を出て行った。


 この試験は五段評価で採点され、一番優秀なのが5、平均的なのが4と3、それ以下が2、1となっている。


 稀に評価0という言葉を聞くが、それは試験を受けなかった場合以外まず有り得ない。と、アルトが気付いたのは最近の事だったが。


「次、ディオ・ルーバニア」


 名前を呼ばれ、闘技場の入り口からディオが出て来る。クラスで一、二を争う優等生だけあり、周りの生徒達も皆が雑談を止め、2人を見た。


「さて、どれくらい成長したか楽しみだ」


 そう言いながら、ラウドはディオの方を向く。慎とした闘技場内に、ラウド教官の声が響く。


「本気出さないでくださいよ教官?」


 ディオもラウド教官の方を向き、腰に差した剣を抜く。


 学校側から支給されるあの剣は、刀身が長く、刀身と柄の部分を細い鉄で接続しているのが特徴のロングソードである。


「お前の成長次第だ……」


 ラウドがそれきり押し黙る。ディオも同様で、闘技場内に不穏な空気が流れた。いつ、どちらが動き出してもおかしくない。


 まだ開始の号令が掛かっていないにも関わらず、2人は今にも戦い出しそうだった。


そして……


「試験開始!」


 ラウドの合図で2人は動き出す。


 剣と剣がぶつかり合い火花を散らす。


 しかし、流石に生徒が教官に力で勝てる筈も無く、ディオは教官の攻撃に打ち負けて後ろに下がる。


「来いよ」


 ラウドに挑発されるも、ディオは冷静さを失わずに剣を構え、ラウドを中心に摺り足で右に弧を描く。


 するとラウドもディオに向かって攻める事は無く、剣を前に構えたままディオと向き合い回り込ませない。


 ラウドはディオに隙を見せなかった。


 が、この戦い方はディオが得意とするものだ。拮抗状態を維持し、ジリジリと相手を精神的に追い詰める。そして狡猾に相手の攻撃を待ち、勝ち筋を見出だす。


 だがそれを知っていようとも、ラウドは気にせず動き出し、ディオへと剣を振り下ろす。


 対するディオはラウドの踏み込みに合わせて半歩下がり、剣を横に構えて振り上げた。


 するとラウドの踏み込みは僅かに浅くなり、結果ラウドの剣は剣先でディオの剣の腹に当たる。


 ディオはラウドの剣閃を自ら持つ剣の切先の方へと受け流して外し、その勢いのまま剣を背中に回す様な形で上段に構えた。が、


「甘い!」


 ラウドが剣を振り終えた形のまま、更にディオへと肩での突進を試みる。


 だがその言葉に僅かに笑みを漏らしながら、ディオは更に半歩下がる。


 ラウドの突進は不発に終わる。更に、


「“我命ずる!”」


 詠唱。ディオは構えていた剣を振り下ろしながら詠唱を開始した。


 ラウドは剣を構えて寸前の所でディオの一撃を防ぎつつ、すぐさま飛び退く。そして……


「“我は形無き刃……”」


 ラウドも遅れて詠唱する。だがもう遅い。


「“紫電よ来たれ!”」


 ディオは飛び出し、剣を構える。


 そして次の瞬間、パチンッと音がしたと思えば、辺りが強烈な光に包まれた。


 それを見ていた皆が、視界を白く塗り替えられ、強い衝撃波に目を瞑る。


 衝撃波が通り過ぎると、辺りが静まり返った。


 少し焦げた様な臭いを気にしつつ、アルトは目を開いた。


 そこには……


「うお、目がちかちかすんな……」


 何事も無く、ラウドが立っていた。周りの生徒もだが、誰よりディオが一番驚いた表情をしていた。


 ディオの剣はラウドに到達する前に、何か見えない壁にぶつかったかの様に停止していた。


「何だその顔は?俺に黒焦げになって欲しかったのか?」


 何事も無くラウドがディオにそう言い放つ。


 するとディオは、少し表情を緩め、いいえ、と一言言って剣を引いた。


「それにしてもよくやった。状況の把握に冷静な判断力。剣術はまだ荒削りな所もあるが、現状を考えれば十二分に技量が足りてる。満点だ」


 そうラウドに言われると、ディオは一気に表情を明るくした。


「試験終了、お疲れさん。戻って良いぞ」


 そう言われたディオは、ありがとうございます!と大きな声を出して頭を下げ、闘技場から出て行った。


「おうアルト!お先に満点貰って来たぞ!」


 調子良さそうにディオは観客席へと帰って来た。


「……良かったな」


 当然、まだ結果の出ていないアルトはあまり言われ心地よくない。


「冗談だ。気にするなって。お前だって必ず満点貰えるさ」


「……だと良いがな」


 闘技場ではラウドと生徒が戦っている。


 特に興味も無く、それを見ながらアルトは答えた。


 今はすぐ来る自分の順番に緊張していて、とても試験を見る余裕など無かった。


「なんだ?怒ってるのか?」


 アルトは首を振った。


「……緊張してるんだ」


 去年はこんな事無かった。至って落ち着いた状態で試験に臨む事が出来た。


 なのにどうしてこんなにも緊張しているのか。やはり先程の予感から不安でも覚えたのだろうか。アルト自身、何故そこまで緊張しているのか分からなかった。


「珍しい。お前も緊張ってするんだな?」


 からかう様な口調で聞いて来るディオに、アルトは頷いて返す。


「まあお前の事だから、いざ戦いになれば忘れるだろ」


 そう彼の声がした後に、ガンッ!と闘技場内に剣が吹き飛ばされる音が響いた。


「試験終了。まあ70点って所だな」


 ラウドが剣を降ろす。


 そしてラウドは真っ直ぐにアルトを見た。


 もう直ぐお前だ……


 その目はそう語りかけて来ていた。





 そして数十分後……ラウドと目が合ってからもう6人程の生徒の試験が終わった。


 いよいよ次がアルトの番である。


「頑張って来いよ?」


 ディオの声を背に、アルトは階段を降りる。


 胸の中が緊張で溢れかえりそうになっていたアルトは、ディオの声など聞こえなかった。


 階段を降りながら……いや、さっきからずっと、アルトは何故こうも追い詰められた気分になっているのか考えていた。


 嫌な予感だけで無い事など、緊張を感じた時から分かっていた。


 ならば一体何なのか。それを考えるが、答えが見つからない。


 気にしない事にしようとしてみても、こうやって緊張し、心音が高鳴る度に気になって仕方ない。


 何だか自分でもおかしな気分だが、だんだん苛々して来る。


(……これじゃ集中して戦えない)


 心の中で呟き階段を降り終えた後、突き当たりの角を曲がる。


 そこからは光が射し、先には広く開けた闘技場が見える。


 目の前では未だ試験の真っ只中……と思った。


 しかしその予想は外れ、試験を受けていた少女が、大粒の涙を手の甲で拭きながらこちらに歩いて来ていた。


 拭いても拭いても溢れて止まらない涙を流し続ける彼女が、こちらに気付いた様子も無く、うめき声を上げながら横を通り過ぎる。


 恐らく酷い結果だったのだろう。


 ラウドは腹に思いを貯めるような人ではないから、恐らくはストレートに退学を宣告する様な事を言ったのだろう。


(俺も下手をすれば……)


 そう思い掛ける。だが、そんな事になる訳には行かない。負けてしまえば……


「アルト何やってる!早く来い!」


 ラウドの声だ。


 アルトはその場で大きく深呼吸した。


 そして……


(……絶対に負けない)


 そう決意し、闘技場へと一歩を踏み締める。


「遅いぞ。何してたんだ」


「……すみません」


「全く……」と少し怒った様子を見せたラウドだったが、口元ではニヤついていた。


 (さっきから何なんだ、その不気味な笑みは)


「喜べアルト。今回はお前の為にスペシャルゲストを呼んでるんだぞ?」


「は?」


 と首を傾げるアルト。


 対するラウドは闘技場の入り口の方を向き、お~い、と気の抜けた声を掛けた。


 すると、入口の暗がりから身長190cm程はある巨躯の生徒が入って来る。その光りの元に晒された生徒の目付きは鋭く、そして茶髪の髪をオールバックにしたその容姿はその巨躯も加わって威圧感に満ち溢れている。


「随分待たせてくれましたね。そこに居るのが俺の相手で良いんですよね?」


 見た目の予想通り獣の唸り声のような低い声を発する生徒だが、それなりに礼儀正しい事を意外に思うアルト。だがそれより……


(相手……?)


 アルトは怪訝な表情を浮かべた。


 と、その時


「……おいあれって」


 その生徒の登場からその威圧感に気圧されていた観客席の生徒達だったが、ふと一人が口にしたのをアルトは聞き逃さない。


「……あれって、“スティル・フィルハート”だよな?」


 スティル・フィルハート。その名をディオから聞いた事がある。いや、ディオから聞かずともその名はアルトでさえも耳にした事がある。


 スティルはこの学園に居る生徒の中で、最強の魔術師の一人に数えられている。しかもフィルハートとは隣国の王家であり、彼はその長子で第一王子という肩書きまである。


「やる気無さそうな顔だろ?」


 ラウドは、スティルに問い掛ける。


「わざわざ許可証まで提示して、戦わせたいのはこの生徒ですか?」


 見かけ通りの低い声とは裏腹に、丁寧な言葉でスティルはラウドに返す。


「なんだ不服か?」


「いえ。ただ私が戦う程の相手なのかと疑問だったので」


「まあ、見てくれはただの腑抜けだからな」


 と軽く笑い飛ばしながらも、ラウドはだが……と続けた。


「内面も腑抜けかどうか確かめたら良い。そのままの態度で戦ってみろ、開始早々に度肝を抜かれるぞ」


「私が負けると?」


「いいや、十中八九お前が勝つだろう。だが問題なのはアイツがお前さん相手にどこまでやれるかだ」


「もし仮に、私が圧勝した場合は?」


 ニヤリと口元で笑い、ラウドは答えた。


「それが出来たら俺が相手してる」


 その言葉を言うと、ラウドはスティルの側を離れる。


 そしてスティルとアルトの間に割入る様に立つ。


「アルト、準備は良いな?」


「……ちょっと待ってくださいよ。俺の相手、あのスティル・フィルハートなんですか?」


「ああ。棄権するか?」


 それを言うと、アルトは、眠たげな目を鋭く変えた。


「……いいえ。やります」


 それを聞いてラウドは安心した。


 相手がかのスティル・フィルハートと聞いて少し不安になるのではと思ったが、それでもアルトに変わりはない。


「スティル、お前も準備出来てるか?」


 スティルは頷いて返す。その目は既に戦う意思を決めた事を決意しており、アルトを捉えて離さない。


「よし。両者抜刀!」


 ラウドの合図でスティルは支給されているロングソードを抜く。


 対するアルトは深く息を吐いて体制を低くする。


(構えない……?)


 そんなアルトをスティルは怪訝に思う。アルトの腰には確かに剣が携えてあるにも関わらずそれを抜かないのはおかしい。


 何か仕掛けて来るとスティルは確信する。


「用意……」


 ゆっくりとラウドの手が持ち上がる。そして……


「始め!!」


 開始の合図。ラウドが手を振り下ろした瞬間、だった。


 体制を低くしていたアルトが合図と同時に動き出す。アルトの踏み込みは風の様に鋭く、十数メートルある二人の距離を一瞬で埋めにかかった。


(速いな……。だが!)


 対するスティルは構えた剣を振り上げる。並の者ならその踏み込みは驚異になるだろう。


 だが学園で最強の一角に数えられているスティルにとってそれは十二分に対応出来る速さに過ぎない。それも、何か仕掛けて来ると分かっているなら尚更に。


(この程度か……こいつは?)


 突っ込むアルトにスティルはタイミングを合わせて剣を振り下ろす。


 その一撃は鋭く、一切の無駄なく真っ直ぐにアルトへと向かう。


 しかしその一撃さえも、集中しているスティルにとってはスローに見えた。


 アルトは反応出来ていない。スティルは勝利を確信する。


 だが……


(待て……)


 そのスローの世界で、アルトは止まろうとしない。振り下ろされた剣へ真っ直ぐに向かって行く。


(コイツ!!)


 剣が速すぎる為か、アルトは振り下ろす剣に全くの無反応なのだ。


 不味いと判断し、スティルは剣を止めようとする。


 だがその時だった。


 もう間に合わないと思った剣をアルトはギリギリで体を反らしながら避け、いつの間にか持っていたナイフを振りかぶる。


(しまった!)


 慌ててスティルは後ろに大きく飛び退く。


(まあやっぱりそうなるよな……)


 それを見ていたラウドは胸の内でふと呟く。


 そしてラウドは知っていた。その行動がアルトに対して最もしてはならない行動だと。


「!?」


 その行動には流石のスティルも目を見開き驚いた。


 後ろに飛ぶスティルに合わせて、知ってましたと言わんばかりに同時にスティルを追う。


 殆ど体が密着しそうな程の近距離。正に零距離の位置にアルトは居る。


 咄嗟にスティルは剣を構えようとする。だがスティルはパニックになりそうになる気を抑え、冷静になる。


 この距離では近すぎて剣が振れない。いや、仮に振れたとしてそんな半端な剣では簡単に避けられ、次の瞬間には勝負が決するだろう。


(なら……)


 スティルは地に足が着いた瞬間、ナイフを振りかぶっていたアルトへと肩を突き出して突進する。


 だがそれすら読んでアルトも同時に後ろへと飛び退く。


 が、それを読んでいたのはスティルも同じ。スティルは肩で飛び込みながらも、腰の高さに構えていた剣を振り抜きにかかる。


 先程と違い、その一撃はスティル渾身の一撃。


 その鍛え抜き、積み重ねて来た一撃は音とほぼ同速でアルトへと襲いかかる。


 如何にアルトの読みが鋭かろうと、魔術の強化も無い人間にその一撃を避ける事は不可能だ。


 だが、剣を振り抜く瞬間スティルは自分の視界にある物を捉える。それは……


(!!)


 再びスティルは目を見開く。いつの間にか投げたアルトのナイフがスティルの顔面目掛けて向かう。


 スティルはギリギリで体制を崩して体を反らす。


 アルトのナイフはスティルの頬を掠める。


そして、


「ぐっ!」


 次の瞬間スティルは片膝を着き、剣を一文字に構えてアルトのナイフを防ぐ。


 スティルはアルトを押し返そうとするが、身長差30cmはあるその体格差にも関わらず、アルトの力はそれを容易に許さない。


 そしてアルトは空いたもう片方の腕を振り、ナイフを取り出してスティルへと襲いかかる。


「ふんっ!」


 だが流石のアルトも体重差はどうにもならず、スティルに剣で押し返され、吹き飛ばされる。


「はぁ……」


 スティルは一つ息を吐く。それは漸く体制を戻せた安堵と、仕切り直しの気合いを入れる為の一息だ。


(何だコイツの戦い方は……)


 スティルは今まで幾多の試合を経て来た。


 だがこんな決死の戦い方をする相手とは戦うのは初めてだった。


 言うなればそれはまるで……。


(捨て身……。いや、まるで自分の命を試しているようだ)


 こんな戦い方、一歩間違えば相手も自分も死ぬだろう。


(なるほど……)


 チラッとスティルはラウドを見る。


 だからこそラウドという男は自分に相手をさせようと思ったのだろう、とスティルは察した。


(とはいえ、本気でやらなければ勝てないか……)


 正直、初手で負けなかったのは運によるものが大きかったとスティルは感じていた。


 侮った訳ではない、予想が想像より上を行っただけだ。


 だがここからは違う。


 スティルは本気で戦う覚悟を決めた。


(ここからが本番だ……!)


 スッとスティルは短く息を吸い、そして。


「我が身は--」


 詠唱。


 それを耳にした瞬間アルトが動き出す。


 アルトは両手のナイフを僅かにタイミングをずらして投げる。更に……


「アインス!」


 詠唱。だがそれを耳にしてスティルは気付く。


 知っている者は今は少ないが、それは数百年前の普及型魔術。


 しかしそれは問題が多く、実戦運用には難があって今は使われていない。


 が、不意を突いて使われた魔術は阻止出来ない。


 アルトの足が光を帯び、次の瞬間スティルの目の前からアルトが消える。


 だがスティルは焦らず、冷静なまま状況を整理する。


 目の前には投げられたナイフ二本。そして旧式強化魔術を使ったアルトは、恐らくナイフを避けたその背後から来る。


 詠唱はまだ間に合わない。


(ならば……!)


 スティルは覚悟を決めてナイフに背を向けて振り返りながら剣を振り上げる。


 するとスティルの目の前にはナイフを構えて飛び込んで来るアルトの姿があった。


 流石のアルトもそれは予想出来ず、焦って止まろうとするが間に合わないといった様子だ。


(終わりだ!)


 タイミングを合わせて、スティルは剣を振り下ろす。


 だが振り下ろしてからスティルは気づく。アルトは避けられない。しかも、スティルの振り下ろした剣はもう止められない。


 アルトの強化魔術は一瞬しか効果が無い。しかも効果が仮に残っていたにしても、アルトの強化魔術に防御力を強化する効果は無い。


(しまった!)


 そうスティルが胸の内で叫んだ瞬間だった。


 アルトにスティルの剣が当たる前に、アルトは振り下ろされる剣の側面を手の甲で弾いて外に反らす。


 スティルの剣はアルトか逸れ、地面に落ちた。


(惜しいな……お前は)


 スティルは口元に僅かな笑みを浮かべる。


「--鉄壁の城塞」


 そしてスティルの詠唱が終わると共に、再び高い鉄の音が会場にこだました。


 会場を沈黙が征する。残る音は先に響き渡った余韻のみ。


 二人は静止していた。


 スティルはアルトに振りかぶった一撃を逸らされてからそのまま。そしてアルトは、手に持ったナイフを振り抜いた姿勢のまま。


 と、そんな二人の隅に小さな刃が地面に突き刺さる。


 スッと息を吸う音と共に、再び会場に音が戻った。


「そこまで!!」


 試合終了の合図と共にスティルは引き、剣を納める。


 アルトも体制を戻して手元を見つめる。


 ナイフを握っていた右手を開くと、柄だけを残して折れたナイフがあった。


 そんなアルトを見送りながらスティルはラウドのもとへと向かう。



「どうだ。随分と肝を冷やしただろ?」


「事前に幾らか話をしても良かったのでは? 危うく殺されかけ、殺しかけましたよ」


 上機嫌なラウドにスティルはため息混じりに告げる。


「それじゃお前の圧勝だっただろ? 現に無事勝てただろ」


「良く言う……」


 ついつい言葉が悪くなりながら、スティルは振り返ってアルトの方を見る。


 そこには、ちょうど地に落ちた二本のナイフを拾うアルトの姿があった。


 あのナイフ、スティルが覚悟を決めて背中に受ける事を決めたナイフだが結局スティルはそのナイフを受けなかった。


 恐らくはギリギリでラウドが魔術で落としたのだろう。でなければ、今頃スティルは医務室送りになっている。


 勝利こそ揺るがなかったにしろ、少なくとも無事では済まなかっただろう。


 と、そんな二人の前にアルトが現れ、一礼する。そしてアルトはそのまま一言も発する事なく会場を後にしようとするが……


「アルト!」


 ラウドがそれを制してアルトは足を止めた。


「医務室に行け。治療したら、もう寮に戻っていろ。ここにはもう戻らなくていい」


 その言葉にアルトは自分の左腕を見る。恐らく剣を逸らした時だろう。傷は深く無いが、袖から血が流れて手の甲を這っていた。


 背を向けたまま頷いて返し、アルトは再び歩き出して医務室へと向かう。


「あの生徒、魔術が使えないのですか?」


「鋭いねぇ。流石、王子様は人を見る目が肥えてる」


「茶化さないでください。魔術が使えないのに、良く在学なんて出来ますね」


 ここは曲りなりにも魔術戦技学園。魔術による戦い方を主とし、魔術をより深く学んで鋭く戦闘に特化させる場所だ。ただ剣術や実戦が上手いだけなら練兵所の方がよほど相応しい。


 まして今や魔術は戦況を左右する程に強大で重要視されている。そんな中、わざわざこの学園が魔術を使えない生徒を在学させ続けるなどとても考えられないが……。


「まあ、いろいろと苦労したが、一応模擬戦で教官相手に一本取れますって主張したらなんとか通ったんだ。が、それが今回通用しなくてな。それで……」


「私を対戦相手にしたと?」


「はは、悪いな。負けてくれりゃ尚良かったんだが」


 その言葉にスティルは再び大きくため息をついてしまう。


 窓から射す光が、廊下を照らしている。時間が違えば別の生徒達の声も聞こえただろうが、今は一人分の足音が響くだけだ。


(勝てなかった……)


 アルトは今更になって痛み出した左腕を抑え廊下を歩いていた。


 幸い痛みを感じる怪我だったので傷は深く無いだろう。


 周りから見て痛そうな程の深い切り傷も、実はその怪我を負ってる本人はあまり痛く無い……というのをアルトは知っていた。


 恐らくスティルの剣を弾いた際、手首のホルダーに納めたナイフが砕けてそれで切っただけだろう。


 いや、今更傷の具合なんてこの際どうでも良い……。


(クソ……!)


 全力を出した。が、まるで通用しなかった。魔術を使われた瞬間、自分の力は何一つ通用しないと分かってしまった。あまりに無力で、あまりに理不尽な才能の差。


 悔しさにアルトは歯を食い縛り、痛む腕に爪を立てる。


 痛みでこんな辛い思いを忘れられるかと思ったが、ただ痛いだけで気分は晴れない。


 込み上げるのは不甲斐なさと、自らへの腹立たしさ。


「ぐっ!」


 と、階段に差し掛かりそれを登ろうとした時突如足の力が抜けてアルトは階段に崩れ落ちる。


 山に沿って増築を施したこの学校は、登り降りの階段が多い。


 だからこうして保健室まで何度も階段を上がらなくてはならないのだが……


「クソ……」


 ギリギリで体を支え、幸い階段の角に体を打ち付けずに済んだ。


 アルトは前のめりに倒れた体を起こしてゆっくりと段差に腰を降ろす。地に着く両足が震えていた。


 それは旧式強化魔術の後遺症だった。


 情けない。あまりに情けない自分の姿にアルトは拳を強く握る。


(なんで俺はこんなに弱い……。どうして俺は……)


 まるで泥沼の中で藻掻くような気分だった。


 途方もなく高い壁を越えようと努力を続けて来が、まるで届く気がしない。


 上には上が居る事など分かっているつもりだった。だがいざ対峙してみればその差はあまりに大きすぎる。


 いままで自分が積み上げて来たものが、ここまで歩んで来た道のりが、全て跡形もなく崩れ落ちて行く。


 これが生まれの違いなのだと、思い知らされてしまう。


 とその時だった。窓から射す光がふと翳る。光を遮るものの正体を探るため、アルトは顔を上げる。


「やっぱりこうなってたか……」


 そうアルトを見下ろしながら告げたのはディオだった。


 アルトは何も言わずに再び俯く。 するとディオが一人でに口を開き始めた。


「お前、魔術の反動で動けないんじゃないかと思ってな。安心しろ、ちゃんと許可は取って来たから」


「……少し休めば動ける」


 素っ気なくアルトはそう返す。が、ディオはそれでもアルトに手を差し出した。


「それでも、無いよりゃ良いだろ?」


 アルトはしばらくディオの手を見つめていた。が、やがて壁に手をつきながら震える足で立ち上がる。


 そのまま覚束無い足取りで医務室へと向かった。


「たく、素直じゃないな……」


 そう呟きながらディオはふらつくアルトの後を追った。

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WHEEL OF FORTUNE~苟且の境界線~ @D101-Deep

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