第1章 古き者

 見渡す限りの湖。


 その湖は、地の果てまで続いているかのように果てしなく広がっていた。


 春の強い風が、湖に細波を立てる。


 風はそのまま湖を飛ぶ白い鳥と共に飛び、赤い屋根が敷き詰められた街を越え、木々を揺らし、その先に連なる山を越えた。


 山の中腹に連なる、城のような建物の更に上に登り、一つ突き出た展望台に吹き付ける。


 その展望台にいた少年が、下から吹き付ける春風を受けながら、麓の赤い屋根の街を見下ろしていた。


「アルト」


 名前を呼ばれ、その眠たげに細める目をアルトは向けた。


 そこには、笑顔をこちらに向ける、金髪でキリッとした真っ直ぐな目をしたクラスメートのディオが居た。


「眠そうな顔して美人でも探してるのか?」


「……眠くない」


 いつも目を半開きにしているアルトの眠そうな表情を指摘するのが、ディオのいつものコミュニケーションだった。


「何だ美人は否定しないのか?そんな事よりそんな所に居ないで、寮に戻らないか?」


 アルトはディオの言葉に溜め息を吐きながら頷いて返事をすると、彼と一緒に寮に向かった。


 バーミリオン魔法戦術学校。


 山の頂きに建った、端から見ればまるで城の様に見えるこの学校は名の通り魔術を扱った戦闘訓練を実施している。


 元は生活に最低限必要な魔術の知識や、歴史などの高等学科を受けられる場所だったらしいが、この学校が連合魔法機関、“ドール”に加わる様になってから戦闘訓練を主とする学校になった。勿論戦闘とは関係なく、普通に授業を受けられるコースも存在する。まあ、そういったコースにはあまり生徒は居ないが……。


「そういえば、明日模擬戦だよな?」


 突然ディオはそんな事を言い始めた。


 確かに明日は生徒に担当の教官との模擬試験がある。その前日準備の為に今日は授業が半日で終わった訳だが、準備というのは学校側だけでなく、生徒の方での魔術の練習期間だったりする。


「……そうだな。明日に備えて体の調整とかしなくて良いのか?」


 そう聞くと、ディオは青い瞳だけをこちらに向けて答えた。


「ああ、寮に戻ったらちょっと魔術の応用の練習する。お前こそ、大丈夫なのか?」


それを聞かれ、アルトは皮肉を交えて言った。


「……優等生のお前と違って、俺は使える戦術が限られてるからな」


「はははそりゃ悪かった。なら、練習相手になってやろうか?」


「……いい」とアルトは短く返す。


 実はアルトは魔術は全くと言って良い程使えない。


 唯一使える魔術もかなり古い普及型の魔術で、そのせいで周りからはアルト(古き者)と呼ばれる様になった。


 とはいえ本名で呼ばれるよりずっと良いか、とあだ名に関しては何とも思っていないアルトだが、魔術に関しては全く別で、魔術を使える様になる事を思い描いていたアルトからすればかなり深刻な問題だった。


「相変わらず素直じゃないな」


「悪かったな……」


「おまけに口数も少ない!」


 そうこう2人で話している内に学生寮に着いた。


 この寮は非常に大きく、生徒一人に一部屋用意されている。


「に、しても。模擬戦が生徒対抗じゃなくて良かったよ」


 寮に入ると、先ほどの話の続きをディオが始めた。


「………………」


 だが部屋ももうすぐ近くだし、何より面倒そうだったので無視しようとした。


「お前、そこは普通何でだよ?って聞く所だぞ?」


「……何でだよ?」


 面倒だと思う態度を隠す事無く、アルトは尋ねた。


「そりゃ、お前と対戦しなくて済むからだ」


 まるで自らの自慢話をするかの様に、ディオはそう言った。


「……はっ」


 吐き捨てるようにアルトは鼻で笑って返す。ディオは俗に言う優等生である。魔術の知識も深く、剣術の腕にも長けて戦い慣れていて、それでいて頭が回る。もしディオと戦う事があれば、苦戦は必至である。あわよくば勝てたとしても、無傷での完勝など無理であろう。


 それを承知でそんな事を言って来るのは嫌味か何かか? とアルトは考えてしまう。


「いや、そう言う意味じゃなくて、俺はお前が強いって話をしてるんだぞ?」


 と、心を読み透かしたかの様にディオは告げた。


「……どうだかな」


「いいや間違いない。もし模擬戦でお前とやる様な事があれば、俺は真っ先に逃げる!」


(ああそうかい……)


 そんな事はないだろうにとアルトは胸の内で呟く。


 この手の冗談は好きになれそうに無い。なんせそんな軽口を叩かれてしまう程に、自分の力が無いのだから。


 もっと強くなりたい……。


 アルトはずっとそう強く願い続けていた。


 強くなりたい……。誰の手助けも不要な程の力が欲しい……。


「アルト?」


 アルトはハッとした。考え込み過ぎて周りの事が見えていなかった。


 気付いてみれば、そこは自分の部屋の前だった。


「じゃあなアルト?明日の模擬戦、お前のテスト楽しみにしてるからな?」


「……ああ」


 アルトは相槌を打つと、自分の部屋のドアを開いた。部屋は六畳程の広さで、左端にはベット、右端には机があった。


 アルトはドアを閉めると、そのまま制服の上着を脱ぎ始めた。


 制服の下のワイシャツ姿になりながら、脱いだ上着をベットの上に置き、机の上に畳んであるベストに手を掛ける。


 ベストには小ぶりなナイフが大量に収納してあり、アルトはそのベストを、ワイシャツの上に着込んだ。


 そしてもう一つ、机の上にある、五本ずつナイフを収納した革製の一対のリストバンドを手に取り、両手首にはめた。


 最後に、壁に立て掛けてあった片刃の肉厚な剣と、ベットの上の上着を手に取り、制服をベストの上に着直してから、アルトは再び部屋を出た。


 ドアを開けたそこにはディオの姿がなかったが、アルトは一応辺りを見渡した。


 大きな寮だけに横幅3メートル程の長い廊下には何人かの生徒が立ち話をしていた。


 が、ディオの姿は無い。


 一度だけディオが訓練に着いて来た事があった。


 しかし、アルトは自分の訓練を他人に見られたく無い為ディオには着いて来て欲しくなかった。


 まあただ単にそういった努力の行為を見られたく無いのもあるが、もう一つある理由がある。


 アルトはディオが周りに居ない事を確認すると長い廊下を出口に向かって歩き始めた。


 南に向かって廊下の突き当たりまで来ると右に通路が折れており、そのまま真っ直ぐ進む。

しばらく真っ直ぐ進めば、この寮の裏口のドアがある。


 そのドアからは、この学園の裏にある“セイレーン大湖”に行く事が出来るが、大抵の生徒はここを使わない。


 一人になりたいとか思う生徒は別だが、この先の湖には多くの巨大生物が生息しているらしい。


 故にこの先は許可が無ければ入れない。


 別に入っていけない訳ではないが、もし許可無く入って巨大生物に襲われたとしても学校の管理者は責任を取らないとなっている。


つまり襲われた場合は自分で何とかしろという事だ。


 扉を開けたその先には、小さな丸太だけで作った小幅の山道が緑の広葉樹の生い茂る森へと続いていた。


 そして山の山腹付近から麓に向かって下る様にして広がっている森の先に、大きく開けた場所が見える。


 透き通る様に澄んだ水が、小波をたてながら日の光でチラチラと輝いているのがここからでも分かった。


 アルトはドアを背中で閉めると、その森を下って行った。


 流石に生徒や職員があまり立ち入らないだけあって小さな丸太の階段には落ち葉や枯れ葉が沢山あり、下手をすれば滑って転びそうだった。


 今度暇があったらここを歩きやすい様にちゃんと掃除しておこう……。そう思いながらアルトは森へ足を進めた。


 森の中へと入ると少し周りが暗くなった。


 周りの木の葉が太陽の光を遮り、周囲が少し涼しくなった気がした。


 薄暗くなった森の中は少しだけ不気味な感じもしたが、何より静かでアルトは好きだった。


 耳をすませば小さな虫の鳴き声が聞こえたり、遠くで小鳥の囀りが聞こえたりするがそれも大して気にならない。


 むしろ、今自分が歩いて足下に転がっている小枝を踏んだ音の方がよっぽど気になる。


 まあ、なんやかんだでここは人が寄り付かないだけあって煩い連中も居ないし、何より静かだ。


 学校に居る内はほぼ毎日ここに来ているアルトだが、来る度にそう思った。


 薄暗い森の先にも、やがて光が出て来た。


 光に誘われる様に森を抜けると風に小さく波を立てる湖が見えて来る。


 水辺の近くまで来て湖の底を見る。


 澄み切った湖の底では、何かが流れる様に蠢き、水中で何かをキラキラと輝かせていた。


(まだ来てないか……)


 そう思いながら、アルトは湖に背を向け、一本の木へと向かった。


 その木には、一部だけ円を描く様に樹皮が削れていれる。


 そして木から30メートル程離れた所で、アルトは足を止めた。


 アルトは息を大きく吸い、そして吐いた。


 深呼吸をして、心を落ち着かさせる。


 風が大きく吹き、後ろで小波が立つ。


 木が茂り、森はざわめいた。


 ひらひらと一つの木の葉が舞い落ちる。


 舞い落ちる木の葉がアルトと木の間を通り過ぎようとした……


その刹那。


 アルトは右手を左腕の制服の袖の中へ伸ばし、ナイフを3本掴む。


 ナイフを掴んだ手を薙払うかの様に、アルトは腕を振り払った。


 次の瞬間、三本のナイフは舞い落ちる木の葉の真芯を射抜き後ろの幹に釘付けにする。


 続けて両手に手を通し、アルトはそのまま更にナイフを四本抜き放つ。


 四本のナイフは僅かなズレもなく舞い落ちる木の葉を捉え、全てが同じ幹へと刺さった。


「はあ……」


 ひと息を吐き、アルトは木に近付いて木に刺さったナイフを抜きにかかった。


「凄い凄い!」


 ふと後ろでした声に、アルトは木に刺さったナイフを握ったまま振り返る。


 そこには湖面の中から浮かぶ緑髪の少女の頭があった。


 アルトは再び前を向き、木に刺さったナイフを抜いて二本ともホルダーに戻す。


「相変わらず、君はそれが得意だね」


「……子供騙しみたいなもんだ」


 アルトは振り返り、彼女の方へ向かった。


 水面から下に見える彼女の体は、下半身をまるで魚に食べられたかの様に臍から下が魚の様な尾鰭になっている。


 尾鰭は翡翠色を主体に金色と黒の点が少し入り、うっすらと空色で縁取られた宝石のような鱗で彩られ、髪は深緑の様な緑色、瞳は空の様な青色だった。


 その見から、彼女は俗にマーメイドと呼ばれる魔族の一種だと分かる。


 ローレシアには古くからの言い伝えでマーメドにもし海で出会えればその者に幸運が訪れるという。


 しかし……


「うん。今日も眠そうかな」


 顔を合わせてから彼女はそう告げる。


 毎日頻繁に会っているが、これと言った幸運は無い。


 やはり海で出会わなければ意味が無いのだろうか?


「いつもの事だ。それより明日模擬試験なんだ」


「ん?じゃあいつものやつやるのかな?」


 アルトは、「頼む」と頷いた。


 すると早速彼女は、こちらの浅瀬まで近付いて来て浅い水底に円を書き始める。


 彼女は人間に外見が近いが、どちらかと言えばエルフなどの亜人種ではなく魔族という、いわば魔物に近いものとして数えられる。


 前々世紀、まだ人間が亜人種間と戦争をしていた際、人間と魔物を錬金術で合成したのが彼女の様な魔族である。


 魔族は戦争時に作らてしまった副産物で、今でも世界のどこかに山程居るらしい。


 まあ、最近はあまり見かけない魔族だが、戦いをする為に生まれて来た彼女等の魔力は計り知れない。


 魔術というのは空気中やこの世界の万物に備わっている物質、マナを体内に取り込み、魔法器具などで取り込んだマナを媒介し、発動過程として必要な詠唱を開始することによって使用する事が出来る。


 マナの内包量には個人に差があるが、人間の内包量は基本的にはあまり多く無い。


 しかし彼女等魔族は違う。


 戦う為に生まれた彼女達は、マナの内包量が桁違いに多い。その上、使用する魔術のレベルも非常に高く、並みの人間が相手にするのなら軍隊を持って来てようやく対等に戦える程だ。


 だが、そんな彼女達には一つだけ弱点があるらしい。


 それは繁殖能力が備わっていない事だそうだ。最近魔族を見かけないのにはそう言った理由もある。


 しかしそれを解決して作られた魔族も存在するなんて噂もまことしやかに囁かれている。


 まあ実際見たことは無い上、何より所詮は風の噂程度なので実際どうなのか分からないが、未だにそういった生物兵器を作る輩も居るという事なのだろう。


「準備出来てるかな?」


 彼女は魔法陣を書き終えたらしく、陣の中心に手をつきながらこちらに聞いて来た。


 アルトはその問い掛けに、頷いて返す。


「じゃあ行くよ!」


 彼女の手元の魔法陣が光り輝く。


「我は示す……」


 同時に彼女の詠唱が始まる。


「水陣よ、我の力にて、全てを貫く槍となれ!」


 彼女は魔法陣についてる手と逆の手を、こちらに向けて来た。


 アルトは、深く体制を取る。


 次の瞬間水面から、人の頭より二周り程大きい水の球体が、真っ直ぐこちらの顔面に目掛け飛んで来る。


 アルトはその水を、頭を振るだけで避ける。


 水の塊は、後ろの木に当たり、はじけて辺りを濡らす。


 大きく動いても良かったが、次に来る攻撃を考えれば、これが賢明な判断だとアルトは知っていた。


「やるねぇ……。そんなに易々と避けられたら、ちょっと本気でやりたくなっちゃうかな!」


 すると案の定、彼女は口元でニヤリと不適な笑みを浮かべる。


 そして、魔法陣が強く光り、今度は一度に4つの水の塊が飛んで来る。


 アルトは低く保った体制を更に低くし、その場に伏せる。


 4つの水はアルトの頭上を通り過ぎ、後ろで弾ける。


 顔を上げると、もう第三波が迫って来ていた。


 アルトはそこから右に跳び、右肩から着地して一回転しながら体制を整える。


 しかし、避けた先にも既に水塊は来ていた。


 どうやら本当に彼女は本気らしい……。


 アルトは再び早急と同じく横に飛んだ。


 しかし、


「くっ!」


 避けようとする先にもう水が飛んで来ている。


 このままでは自分から当たりに行ってしまう……


 そう思い、アルトは右肩を付く前に、右手を出して体を支えた。


 タイミングがズレ、水はアルトが回避する軌道上を通り過ぎる。


 が、しかし……


「!?」


 突然目の前が湾曲し、歪んだと思えば次の瞬間顔に冷たいものが当たり、それが顔から上半身全体に広がった。


 アルトは突然の出来事で頭の中が真っ白になり、受け身も取れずに背中から地面に落ちた。


「……………………」


 気付けば鼻の中に水が入り、噎せる様な痛みをこらえながら空を見ていた。


 そして、新たに来た水塊を避けられなかったのだと遅れて気が付いた。


「ははははは!」


 それに気が付いた時には、横で何とも嬉しそうな笑い声がしていた。横を見れば、彼女が腹を抱えて笑っている。


「ははは!まだまだ修行が足りないかな?」


「……………黙れ」


 小さく呟きながら、アルトは上体を起こした。


 それが聞こえない様子で、彼女はゲラゲラと笑い続けたいる。


「はははは……。けど凄いね?この前なんて二、三発目で当たってたのに。一応成長はしてるかな」


「………………」


 アルトは無言で立ち上がり、再び彼女の前に立った。


 アルトは負けず嫌いで、いつも彼女の攻撃を全て避けられない事に納得が行かなかった。


 そのたびにはここに来て、彼女の攻撃を避けていたのだが、何時しかそれがアルトの日課になり、魔法の回避の練習になった。


「もう一回だ」


「うん。やってあげても良いかな」


 再び、彼女は水底に手をつき、こちらに反対の手を突き出す。


「我は示す……」


 彼女の詠唱が始まる。


 アルトは両足を肩幅に開き、腰を低く落とした。


そして数時間後……

















「……………………」


 もう何回こうして空を見上げて居るだろうか?


 気付いた頃には、青く澄んだ空が、薄明るい赤色を帯びていた。


「まだやるかな?」


「いや、今日はもう良い」


 アルトは体を起こして上着を脱いだ。


 脱いだ上着からは水が滴り、鉛の様に重かった。


「……明日までに乾くと良いが」


 そう呟き、明日の試験の事をすっかり忘れてずぶ濡れになったアルトは湖の前でビタビタになった制服の上着を絞った。


「ねえねえ、模擬試験って何かな?去年もそんな事言ってたけど……」


 制服をバタバタと仰ぎながらアルトは答えた。


「期末の模擬戦だよ。各クラスの担当教官が、生徒ひとりひとりと戦って、評価をするんだ」


「へぇ~。先生は疲れないのかな?」


「そりゃ少しは疲れるだろ。だが、教官っていうのは皆がかなりの実力者だから、まあ疲れないんじゃないか?」


 アルトは仰いだ上着を着直した。


 幸いな事にズボンの方は水が滲み出る程濡れていなかったので、そちらはわざわざ水を絞る必要はなさそうだった。


「その模擬戦って、どうすれば高得点が狙えるのかな?」


 彼女の前に屈み込み、アルトは話した。


「一番理想なのは魔術の完成度、状況に応じた魔術使用の判断、あと授業で習った事の応用を教官に見せるのが最も点数を稼ぎやすい。……だが」


「君は魔術が使えない?」


 アルトは、溜め息混じりに頷いた。


「じゃあ、君はどうやって点数稼いでるのかな?前聞いたけど、この学校って成績低いと退学させられるんだよね?」


 そう。アルトは彼女にいつ話したのかは忘れたが、この学校はあまりに成績が酷いと留年抜きで退学させられる。


 正確にはこの学校ではなく、この魔法戦術科なのだが、退学という判断は戦力にならない以前に戦闘には不向きな事を分からせる為だという。クトゥルフと戦う事を目的にする専門コースなのだから、全く戦えずに無駄死にさせない為には当たり前と言えば当たり前の行為だろう。


 しかし、アルトを含め退学させられた者達も、ただの厄介払いに過ぎないと思っている。


『無理に戦わなくていい』ではなく『戦えないのなら用は無い』。


 そう言われている気がして仕方なかった。


「魔法戦術科っていうのは、とにかく戦えればいいんだ。要は魔術を使えなくても、実力を証明出来ればそれで良い」


「つまり、何をすれば良いのかな?」


「教官を行動不能まで追い詰めればいい」


 素っ気なくアルトは返すが、それは決して簡単な事ではない。


 相手はプロ中のプロだ。正攻法で正面から渡り合ったなら、勝機など微塵も無い。だが……


「戦闘続行不可能にするって……つまり凄く痛めつけるのかな?」


 アルトは首を振って答えた。


「そんな事する訳無いだろ……。教官の首にナイフ突き立てたりして、動けなくさせるだけで良いんだよ」


「でも……教官の人ってやっぱり強いんじゃないかな?」


「確かに強い。普通に戦ったら、俺はまず勝てないだろうな。けど、相手は教官なんだ。生徒を怪我させる事はしない。つまり本気ではやって来ない。それに俺は名簿が後ろだから、相手が消耗した所でちょうど戦える」


 そう、相手は教官。どんなに強かろうが生徒を傷付けないというリミッターを設けているため、唯一そこに付け入る隙がある。とはいえ、その条件付きでも実力差は五分を上回るのだが。


「ふぅ~ん……」


 彼女は、湖の縁に肘を置き、顔を支えた。


 そして、何だか残念そうな表情で続けた。


「何か、それ卑怯な気がする……」


 眠そうな目を鋭くし、アルトは答えた。


「卑怯でも良い。俺にはこれしか出来ないからな。この学校に居続ける為にはこれしか方法が無い。絶対に負けられない……」


 アルトは拳を強く握った。


 その握り拳を見てから、彼女はこちらの顔を覗き込む様に見てきた。


 ぐっと顔を近付けて来て、彼女はこちらの顔の目の前で笑顔を作った。


 その笑顔は、彼女が魔族である事を忘れさせる様な笑顔で、とても何か引き込まれる様なものがあった。


 一瞬胸が詰まる様な思いになり、アルトは彼女から逃げる様に顔を引っ込めた。


「何だよ?」


 強引に心を平常心に戻し、いつもの眠たげな眼に戻した。


「いつも眠そうな顔してるのに、今日は違うんだなって。君、そういう真剣な顔も出来るんだね?」


「悪いか?」


 彼女は首を振って答えた。


「ううん。ただ、ちょっと嬉しかったかな」


 それを言った彼女の顔は、少しだけ赤かった様な気がした。


 しかし、彼女はその顔を隠すかの様に向こうを向いてしまった。


「明日の試験は、上手く行って欲しいかな……」


 彼女は湖の方へゆっくりと進みながら、続けた。


「君が居なくなるのは嫌だから。後少しだけでも側に居て欲しいから……。だから明日の試験頑張ってね?」


 そう言いながら、彼女は湖の中へと消えて行った。


 一人残されながら、アルトは佇み夕空を仰ぐ。


 その心中には、言葉には出来ない複雑な心境があった。


 プレッシャーの様な物が胸にのし掛かり、締め付ける。何から来る苦しみなのかは分からない。


 だがアルトはやがてその湧き出す感情の正体に気付き、ゆっくりと首を振ってからその場を後にする。


 茜射す水平線は、淡い光りでその背を照らしていた。











[解説]中央連邦国セントルム


 200年前の大戦終了時に建国された国。ローレシア全土で見れば最も新しい国になる。南北に別れたローレシア大陸の北側に位置し、大陸の中央に全ての国に隣接する形で位置する。



[解説]バーミリオン魔法戦技学園


 元々は砦だったものを改築を重ねて新たに学園としての施設となった。

 中央連邦国セントルムの高名な学園であり、その名はローレシアに住む者なら誰もが一生に一度耳にするほど。コースは戦技科と普通科の二つがある。が、クトゥルフが現れてからは専ら戦技科を多く採用している。

 尚、入学に際して多額の入学金が必要な為入学の敷居は高いが、唯一中央連邦国セントルムに住む国民のみ入学金を免除される制度があり、バーミリオン魔法戦技学園に入学する為だけにセントルムに移り住む者も少なくない。



[解説]セイレーン大湖


 セントルム領土、バーミリオンにある巨大な湖。その大きさは20万平方km以上に及ぶ。

 バーミリオンの対岸には幾つも街が存在しているが、古くから沖には水龍が現れると伝わり、湖を使った交易手段は未だ確立されていない。



[解説]魔物


 ローレシアにおける魔物とは獣とは別の、精霊を取り込む事によって変異した特異個体である。その性質は非常に狂暴で、主にマナと新たな精霊を求めてひたすらに周囲の動物を襲う。何よりも人間を優先的に襲う為、魔物の発生は近隣の村々を壊滅させる程の脅威にもなる。

 魔物は非常に不安定な存在であるが、討伐される事なく周辺を蹂躙し、大量のマナを得るとやがてその存在は安定して竜となる。竜となった個体は他の生物を襲う事がなくなり、また食事や特別な補給もなく半永久的に生存する事が出来るとされている。その性質からローレシアでは竜は進化の到達点とされ、一部の個体は神格化されている。




[解説]マーメイド


 魔物と人間の合成種である魔族の内、人間と水龍とを合成した個体。魔族の中でも上位に位置する力を持ち、三体の個体が造られた。

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