プロローグ2 選択しなさい!
――――暗く閉じた意識の中で、大切だった記憶が蘇る。
子供の頃に訪れた悲しみが、今の俺の人格を半分以上作った。悲しくて悲しくて、忘れられなかった。あの冷たい病室に溢れた『死』の匂いと色が、染みついて離れない。記憶力なんてない癖に。
『ゲホッ! ……い、いいかい、けん坊。どんなに頭が悪くてもいい。どんなにかっこ悪くてもいい。……自分が困ってでも、人を助けてあげられるような優しい人……『善人』になりなさい。それはね……テストで100点をとることよりも凄いなんだよ』
『うん……うん……!』
『男の子が泣くんじゃないよ……全く、いつまでたっても可愛い孫だね……』
『ばあちゃん……』
ばあちゃん。俺、ばあちゃんに言われた通り、今日までいっぱい困ってる人助けたよ。だからきっと、俺は――――
◇ ◇ ◇
「………い、起きろケンゴ」
うすぼんやりした意識がはっきりしてくる。ユウの声が聞こえてくる。
何だ、もう朝なのか。ていうかコイツまた勝手に俺の部屋に入ってきやがって……
「んぅー……あと、……十時間……」
「一日寝て過ごすつもりか! 起きろ馬鹿犬っ!」
「ぎゃう!」
思い切り頭をひっぱたかれて飛び起きる。
い、いてぇな! 何しやがるユウ! せっかく人が気持ちよく寝て―――
「……は? なに、ここ?」
「知らん。私もさっき起きたばかりだ」
目を覚ましても、まだ夢の中にいるのではないかと錯覚する。見渡す限り、白の何もない空間。天井も壁も何もない。
ゆらりと立ち上がり周囲を観察するユウ。
「⁉ ⁉ どこだよ! あれ⁉ さっきまで俺ら帰る途中だったよな⁉ 誘拐⁉」
「まずは落ち着け」
グルグルとあたりを走り回るが……壁はない。広い空間、何もない無。得体の知れない恐怖がのしかかる。
「駄目だ出口ないよ⁉ 完全に閉じ込められてら! どうするで⁉ どうしたらええんや⁉」
「お前がどうした。とにかく落ち着けって」
お、落ち着いたら帰れる⁉(錯乱)
「……誘拐にしてはおかしい。私が知る限り、日本にはこんな場所は存在しない……もし海外のどこかだとしても、私達が校舎を出てからまだ5分しか経過していない。そんな短時間で移動することなど不可能だ」
そういいながらスマホの画面に映る時刻を見せてくる。……ほ、ほんとだ。あんまり経ってない。
「……」
というか、すげー冷静だなコイツ。慌てて走り回った自分が恥ずかしい。導火線が伸びてさえなければ超クールなのに勿体ない。
「それに……覚えているか? 私達が気を失う瞬間を」
「? マンホールに落ちて……いたっ! な、何で殴るんだよ!」
「あんなバカでかいマンホールがあるか! いいか、ケンゴ。私達は突如として現れた穴に吸い込まれたんだ」
「あ、そういやそうだ」
言われてから、思い出す。そうだった。俺だけが落ちたわけじゃなくて、ユウも一緒に落ちたんだ。二人が同時に落ちるほどの大きさのマンホールなんて、今までの通学路にあったらすぐにでも気づく。
「で、気が付いたらここで寝てたと……」
「何なんだここは、スマホの位置情報も、私たちが元居た場所と変わらない……質の悪い夢でも見ているのか……?」
何か考え始めたユウ。俺、ちんぷんかんぷんなんだけど……
『その疑問、答えてあげてもいいですよ!』
いきなりだ。背後から聞こえた元気な声に反射的に振り返ると、ファンタジーなゲームでしか見たことがないような恰好をした美人な女性が佇んでいた。白いローブに賢者のような杖、淡い緑色の長髪に、女性らしい体つき、おっとりとした目……優しそうだが、どこか
(ていうかこの人、いつの間に―――)
『どうもどうもー! 世界の管理者、アルマと申しますー! 以後、お見知りおきを!』
腰を折り、ぺこりと頭を下げてくる。芸人が漫才するときの挨拶みたいだ。ニコニコとした上っ面だけの笑顔からは、詐欺師のような雰囲気を感じる。
怪しすぎて逆に新鮮……色々ツッコミたいことがある。けど、とりあえずは、
「あ、はい。初めまして、俺は釜瀬健吾と――イデッ⁉」
スパンッと気持ちのいい音を出す俺の頭。ユウに頭を強く叩かれた。
「何すんだ馬鹿!」
コソコソと聞こえないように耳打ちしてくるユウ。……そんな場合じゃないと分かっているけど、ちょっといい匂いがする。
(それはこっちのセリフだ馬鹿。よくこんな怪しい奴に名前を言えるな、この馬鹿)
「な、なにおう!」
それは思ったけど! 自己紹介されたら返すのが常識だろ!
『あのー? 私、話の途中なんですけどー?』
「! ……失礼しました」
「あのーアルマさん。ここは何なんですか? あなたが俺たちを連れてきたんですか?」
『ブブーだめですー! 言葉遣いがなってません! アルマ様と呼びなさい!』
俺が話しかけると、アルマと名乗った女性が口をとがらせ、すねたような態度でそっぽを向く。
「……はい?」
思わず首を横に傾ける。
『ほら、私ってすごく偉いじゃないですか。ですから、たかが人間に舐められた口を利かれると、いくら温厚な私でも怒っちゃうんですよねー』
ふふん! と大きな胸を張るアルマ。自信満々で、一転の迷いもない表情。ドヤ顔コンテストがあったらいいところまで行けそうだ。
「「………」」
これは……中々レベルが高い。多分関わっちゃいけないタイプなんだな。
ユウの表情を確認してみると、『初めて頭のおかしい人に会った』って顔をしていた。俺にとっては二人目だ。一人目はお前だ。
「へー……」
目をそらさないように、ユウと同時にゆっくりと後ずさりする。このまま視界からフェードアウトを――。
『なんで熊と遭遇したときの対処法みたいに後ずさりしてるんですか。失礼でしょ』
くそ、ばれた……いや、普通ばれるか。
「……目の錯覚ですよ。下がってるように見えてるだけです」
『舐めてるんですか?』
露骨に不機嫌になった自称偉い人。これ以上距離をとるのはやめとこう。
「質問よろしいでしょうか。ここは一体どこですか? 何故我々しか人の姿がないのでしょうか?」
おかしな人だと思いつつも、ユウはアルマに質問する。とにかくここは情報が何もない。何でもいいから欲しいな。
『ムカッ! 誰が人ですか! この私を貴方達サルの進化系と一緒にしないでください! 私は神様ですよ! せっかくここに招待してあげたのに、失礼ですねー!』
何も得られそうにない。
「はぁ……それは失礼しました……」
おおっと、ユウがイライラしている。しかし自分のことを神様とか大きく出たな。コスプレの設定極めすぎだろこの人。大人って思ったより自由なんだな。
「招待とおっしゃいましたよね? では、貴方がこの場所に私たちを連れてきたということで間違いありませんか?」
『ええそうです! ここはただの人間には決して踏み込むことのできない神の領域! さぁ感謝してください! あなたたちは選ばれました!』
「神の、領域……?」
「何言ってんだこの人?」
とうとう本音が出てしまった……この人の言っていることが訳わからないのは、俺がバカだからじゃないよね。
「あの……俺馬鹿だからよく分かんなくて、感謝って? 結局何で俺たちを呼んだんですか?」
『察しの悪い生き物ですねぇ……面倒だから一度しかいいませんよ?』
アルマが手に持っている杖を床にトントンと軽く叩く。
『貴方たちはあのまま歩いて帰っていたら、8分23秒後に
すると突如空中に、車に轢かれて潰れたであろう死体が二つ映る。
「は?」
突然の赤色に目が点になる――
は? 何このグチャグチャなの? 肉? 死体? 死んでる? 誰?
『ごらんの通り、あなた方は赤信号の道路に飛び出した少女を助けるために、代わりにトラックに轢かれて仲良く死にます。これはすでに確定した未来。貴方たち人間には変えようがありません』
画面が切り替わり――かろうじて原型を残した俺とユウの顔が映る。瞳孔が開いたままの、血でデコレーションされた顔が見える。
『見えますか? これが貴方たちの未来です』
「――――ッ⁉」
短い悲鳴と共に、ユウの顔が一気に青ざめる。
……作り物の映像にしてはよくできている方だ。本当に俺達が死んでいるようにしか見えない。
「い、いやいやいやっ、死って――」
『話は最後まで聞きなさいよ。………例え未来の話であっても、純粋に人を助けようとするあなたたちの美しい行動、私は高く評価しました。同時に死ぬには勿体ないとも感じました。ですから、その未来にたどり着く前にこの場所に連れてきたんです。貴方たちが助かる
理解させる隙を与えず、俺達を圧倒する意味不明なアルマの言葉。
困惑する俺達。隠し切れない動揺が汗となって額に滲む。
「わ、訳が―――⁉」
『別に全てを理解しろと言っているわけではありません。ただ私を敬いなさい。人間は嫌いですが、自己犠牲の精神はどの世界でも美しい。世界を捻じ曲げるほどの価値があります』
「!!!!!!??????」
え? つまり……俺たちを助けてくれて……ええ? でもいきなり死ぬだなんていわれても……。
『全然理解できてない顔ですね。人間の中でもさらに出来が悪い頭なんじゃないですか?』
い、いやいやっ! こんなの理解できるわけないだろっ⁉
「つまり貴方は、私たちにこれから起こるはずの、死の未来を避けさせるために……ここに呼び出した、と?」
なんでわかんねんお前。
『えぇそうですよ。『神』に感謝しなさい、アリノ ユウナ、そして……ええっと、顔の腫れた男』
「何で自己紹介した方の名前が分からないんだよ! って……じゃなくて! ちょ、ちょっと待って! タイム!」
ユウとコソコソと作戦会議をする。俺一人ではどうにもできない。
(俺あの人が何言ってるのかさっぱりなんだけど! ユウは信じんのかよあの人の言ってること!)
(信じがたいが……こんな非科学的な空間を見せられればな……神の領域、といったか……ケンゴ、時計を見てみろ)
そういって今度は、昔俺がプレゼントした腕時計を見せてくる。いや時間ならさっきスマホで確認したと――。
(ん? ――ん⁉ 時間がさっきとなにも変わってない⁉)
進んでいないわけじゃない……ゆっくりだ、非常にゆっくりと秒針が進んでいる。
(毎日整備しているから、壊れてはない……おそらく、ここでは時間の経過が異なるんだ)
こ、異なる? よく修行とかで使われる都合のいい空間ですか?
『そのとーり! 貴方たちはここに呼んでから1時間は寝ていましたが、貴方たちの世界ではまだ5分ほどしか経過していません。この領域は貴方たちの世界とは速度が違いますからね』
聞いてもいないことをドヤ顔で話してきた。
「……ええと」
……俺の頭では分からない。未来とか神とかさ……そんなものゲームとか小説でしか見たことのない単語を並べられても、わかんないよ。
「……それで、私たちはこれから何をすればよいのですか? もう私たちは元の世界には戻れないのでしょうか?」
ユウに関しては、アルマを信じる方向で話を進めるようだ。凄いなお前。
『戻りたいのなら戻しますよ。ただし、百パーセント死にます。『死』というものは、世界から弾かれるということ。世界から弾かれた未来が確定した者は、その呪縛から簡単には逃れることはできません。近いうちに結局は死にます』
「! ……そんな………戻れば……………ケンゴが」
体が小刻みに震えだすユウ。怖いのだろう。コイツのほら話を信じるとしたら、俺達は絶対に死ぬ。俺も死ぬのは怖い。……ユウの血みどろの顔が、脳裏に焼き付いている。
『話はここからです。先ほど言ったように、貴方たち二人に生き残る選択を与えましょう。貴方たちに死のしがらみがまだない、別の世界へ旅立つ片道切符を与えます』
「「⁉」」
『別の世界に旅立つ。これが死を避ける唯一の方法です』
別の世界?
「……! 別の、世界とは? 私たちの世界とどこが違うのですか?」
『こことはまったく違う文明を築いた世界、異世界です。人間の他にも様々な種族が混生している世界、武器と魔法が出回った世界、名をアガッサラーラ』
再び空に映像が表示される。そこには――燃え盛る森林の中で、咆哮を発しながら飛翔する巨大な竜と、それに立ち向かう甲冑を着た剣士、摩訶不思議な光を放つ魔法使いなど……俺達が創作として扱っているものが、当然のように息をしていた。
「な……ゲームとか、CGじゃないのかよ、これ」
「こ、んな場所に、私たちが……?」
それを間近で見た俺達は、息をのみながらも映像に呑まれていた。こんな世界では命がいくつあっても足りない。俺たちはただの高校生で、勇者でも何でもないのに。
『………まぁ、そんな怯えた顔をしないでください。例の如く、異世界転移者には『ボーナス』が与えられますから。標準以上の生活は容易いですよ』
「……例の如くって何?」
説明めんどくさくて省いただろ。重要なところじゃないのかそれ。
『それで、どうしますか? 元の世界に戻るのか、異世界に行くのか……まずはアリノ ユウナ、貴方から選択しなさい』
「…………」
「…………」
長い沈黙が続く。こんな突拍子のない話を、どこまで信じればいいのだろうか。このアルマの話を全て鵜呑みにしていいのだろうか。俺じゃあ考えても分からない。
けれど、きっとユウなら賢い答えを出して――。
「……行きます」
震える小さな声が、すぐそばから聞こえてきた。
「ッ!」
どこか覚悟の決まった顔をしているユウ。嘘を言っているようには見えない。
(これが、賢い答え?)
沸々と苛立ちに似た感情が沸き上がる。どうしてそんな簡単に今までを割り切れる。
「……なんでそんなに簡単に言えるんだよ。未練とかないのかよ。もう元の生活はできないんだぞ、もう元には戻れないんだぞ」
「分かってる」
「嘘つけよ! ユウ……いいのかよそれで。異世界に行ったら、もう戻れないかもしれないんだぞ……もう家族に会えないんだぞ! それでも――」
「分かってる! ………私だって悩んだ……けど、元の世界では私たちは死んでしまうんだ。だったら生きる選択をするべきだ」
それでも俺は納得できない。
「で、でもさぁ……!」
もっといい答えはないのかよ、元の世界でも、俺達が死なない未来はないのかよ……⁉
『分かりました。アリノ ユウナ、異世界アガッサラーラへの転移を確定しました。……カマセ ケンゴ、貴方はどうしますか?』
「ッ! あ、あぁ」
先ほどとは打って変わって、機械のようなアルマの無機質な声が、体の緊張と心拍数を上げていく。
「お、俺は……」
俺は、どうすればいい?
「ケンゴ、私と一緒に行こう。お前が一緒なら、私は異世界だって頑張れる」
「………ユウ」
ユウのせかすような視線が、俺の判断を焦らせる。共に異世界に行くことも悪くないって思ってしまう。
行かないっていう選択肢が一番馬鹿なんだって分かってる。でも、俺はそんな簡単に割り切れない。
もう思い出の場所にも行けない。好きだったこともできない。友達にも家族にも会えない。今すぐ決断なんてできるはずがない。
でも……俺だって死にたくない。生きれるのなら、行きたい。
(……ユウはもう決めたんだ……いい加減賢くなれよ俺も……元の世界に戻っても、俺は子供を庇って死―――)
子供を庇って?
―――ドクン、と心臓が大きく跳ねた。視界を暗転させるほどの眩暈が襲ってくる。
(―――)
顔から血の気が引いていくのが自分でもよく分かる。溢れ出た冷汗がシャツを染めていく。
どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのだろう。
「アルマ様、答えを出す前に……聞きたいことがあるんだけど」
『なんですか?』
やっぱり俺は偽善者だ。誰かのためになりたいって口では言っても、第一に自分のことを真っ先に考えている。だからこんな単純なことも見落としてしまうんだ。
「俺達が助けなかった場合……その少女はどうなる?」
俺達が死ぬ未来が確定しているということは、少女が道路に飛び出すことも確定、つまりは――。
『え? 死ぬに決まっているじゃないですか?』
――アルマのその言葉を聞いて、今まで生きてきた中で、史上最も頭の悪い選択肢が、頭に浮かんだ。
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