最終話「未来へ、羽撃け!」

 路面電車トラムに乗れば、すでに日はとっぷりと暮れていた。

 夜のとばりに、北の街は少しずつ明かりを灯して夜景を描く。それは点在する小さな明かりの群れに過ぎないが、そこにはもう戦火の燃え盛る炎は存在しない。

 平和な夜は、闇さえも温かい。

 カタコト小さく揺れる中で、摺木統矢スルギトウヤは我が家を目指していた。


「っと、おばあさん。よければどうぞ、座りませんか?」


 ふと目に止まった老婆に、席をゆずって立ち上がる。

 軍服姿の統矢に、老人は恐縮した様子で目を丸くした。


「まあまあ、軍人さんがいかんですよ。どうか、気をつかわんでください」

「いえ、近頃は軍人もひまですから。体力、有り余ってるんですよ。どうぞ」

「そ、それじゃあ、ありがたく御厚意に甘えようかねえ」


 吊り革に掴まり、老婆の手を引いて座らせてやる。

 自分にも昔は、祖父母がいた。

 それはもう、消えた北海道と共に追憶の向こう側だ。

 だが、これからはそうじゃない。

 統矢たち若い世代が、生き残ってたからこそ生き抜いていく……そういう時代が確実に来ていた。そしていつか、自分たちが誰かの祖父母になって、先祖になって、そして忘れられてゆく。

 それが許されるのもまた、とうとい平和がもたらした日常というものだった。

 そうこうしていると、隣から不意に声をかけられた。


「ちょっと見ない軍服だな、あんちゃん。内地の人間じゃないね? あんた」

「ン、まあ……ちょっと、人類同盟軍じんるいどうめいぐんの面倒な部署にいてね」

「へえ、けどなんつーか、あれだな……パイロット、やってたか?」

「少しね」

「じゃあ、俺と一緒だ。俺は岩手校区いわてこうくで三年、そのあとは正規軍だ」


 隣には、二つ折りの携帯電話をパチン! と閉じる若者の姿があった。

 統矢と同世代に見えて、やや向こうが上だろうか。

 くたびれた革ジャンにシャツ、そして皇国陸軍こうこくりくぐんの野戦服用のズボンをはいている。肌はよく日に焼けて、いかにも肉体労働者といった感じだ。

 彼は人懐ひとなつっこい笑みを浮かべて、小声をひそめてきた。


「なあ、あんた……こんな話を知ってるか? 今、うわさになってるんだが」

「海外暮らしが長いから、ピンと来ないね。どんな話?」

「なんでも、次の敵が来るらしいぜ……

「へえ、そうなんだ。そりゃー、たいへんだなー」


 思わず口から棒読みな台詞せりふこぼれ出る。

 苦笑してしまいそうになったが、あながち間違ってはいない。

 ここではない時、今ではない場所……平行世界のもう一つの地球は、異星人との悲劇的な遭遇を経て、宇宙戦争に敗北した。その屈辱から生まれた憎悪ぞうお化身けしんが、こともあろうか関係ない統矢たちの地球を襲ってきたのである。

 その真実は、ほぼ全てが秘匿ひとくされている。

 だが、人の口に戸は立てられないものだ。

 男は真剣な表情でひたいを寄せてくる。


「……実は俺、ちょっとした仲間がいてな。皆、あの戦争を生き延びた腕っこきのパイロットだ」

「へえ、そりゃまた」

「パラレイドは退しりぞけたが、次は宇宙だぜ? ……もう、戦いを準備している。今度も、今度こそ、守らなきゃってさ」


 なかなか血の気の多い御仁ごじんだが、それは杞憂きゆうというものだ。

 既にもう、統矢のかつての仲間たちが動き出している。

 こういう人たちが戦わなくて済むよう、水面下で働き始めているのだ。

 だから、統矢は確信している。

 こちらの世界線では、監察軍かんさつぐんとの戦争はありえない。

 ファーストコンタクトで、悲劇的な軍事衝突は避けられると信じていた。


「しかも、なあ、あんちゃん。聞いて驚くなよ」

「はは、大概たいがいのことじゃ驚かないけど、なんだい?」

「俺たちの同志には、あの摺木統矢一尉もいらしてくれる。あの戦時中のトップエースがだぜ? こそないが、俺たちは知ってんだよ。本物のエースってやつをさあ」


 思わず変な声が出そうになった。

 そして、その名が出た瞬間……社内の客たちもチラチラと視線をこちらへ飛ばしてくる。

 ただただニコニコ笑う眼の前の老婆だけが、杖に手と手を重ねてゆっくり言葉を投げかけてきた。


「お若いの、その辺にしときんさい。もう戦争は終わったんじゃから」


 酷く重みのある、一番に受け入れるべき真実だ。

 あの長く苦しい永久戦争は、終わったのだ。

 そしてもう、二度と初めてはならない。

 今でも戦いを求める亡霊たちが跳梁跋扈ちょうりょうばっこし、世界の節々に戦火は耐えない。人類同盟の各国が復興する中で、非加盟国にテロや軍事衝突の場は移りつつあった。

 そんな中……亡霊たちを狩るため、敢えて死神にした者たちがいる。

 闇から闇へと影の中、まだ統矢たちの仲間は戦っているのだ。

 統矢もまた、えて軍の組織に残って幽閉を受け入れ、そこで自分だけの戦いをしている。あの日一緒に戦った仲間たちは皆、離れ離れになっても皆が気持ちは一つだった。


「なあ、ばあさん。また戦争になるかもしれないんだぜ? いや、なるな」

「お若いの、そんなに戦争がしたいのかい?」

「いや、そうじゃない。けど、降りかかる火の粉は振り払わなきゃいけない。俺はもう……家族や恋人を失うのは御免ごめんだ」

「その、でもねえ。宇宙人さんにも、家族や恋人はいるんじゃないかと思うけどねえ」


 老婆の言う通りだ。

 統矢は以前、ふとレイル・スルールに聞こうとしたことがある。

 監察軍を名乗る異星人とは、どのような存在なのか。

 だが、レイルの境遇を思い出して聞けなかった。聞いてはいけない、問うてはならないことだと察したのだ。

 レイル・スルールは、あちらの世界で監察軍の捕虜になった。

 その時、非人道的な実験の被験者となり……異星人の子を出産したと聞いている。

 そのことはただ、地球人類に比較的近い容姿や生態を持つ異星人だとだけ、統矢は理解して黙ることにしたのだ。

 統矢はそのことを思い出して、フムとうなる。


「まあ、悪いけど俺は正規の軍人だ。それと、もうパンツァー・モータロイドには乗らない、と、思う。そういう訳だからまあ、聞かなかったことにするよ」

「そ、そうか。そうだよな……悪いな、あんちゃん。忘れてくれ」

「ああ、そうする。あんたもいつか、忘れた方がいい」

「いや……それじゃいつか、手遅れになる。俺は……俺たちは」


 平和で癒せぬ傷がある。

 それは確かに存在して、誰の心にも深く深く刻まれているのだ。

 目の前で微笑ほほえむ老婆だって、戦争では過酷な暮らしを強いられただろう。親しい人間が亡くなっているかもしれないのだ。

 だからこそ、守りたいものがある。

 そのために戦いも辞さぬというなら、その負の連鎖は永久に続くだろう。

 そこから統矢が脱出できたのは、自分を愛してくれる人がいたから。

 そして、自分を愛してくれた人もいたからだ。

 その時、路面電車が静かに減速する。

 ふと見やれば、窓の向こうのホームに人影があった。


「あっ、なんだよ……出迎えなくてもいいって連絡しといたのに」


 思わず独り言に笑みが混じる。

 外に、小さな女の子を抱きかかえた女性がいた。

 ゆったりとした白いワンピースを着た、それは摺木れんふぁだ。

 すっかり大人に成長した彼女は、今は統矢の妻である。

 久々に再会するその姿は、以前にも増して美しく見えた。

 それで統矢は、ポケットに小銭を探しながら路面電車を降りようとする。

 そして、一度だけ脚を止めて振り返った。


「っと、最後に。あんた、お仲間に摺木統矢がいるって言ってたな」

「あ、ああ。……わかってる、愚かなことだって。それでも、誰かが戦わないといけないなら、俺たちがって想いはあるんだ。俺たちならもう、失うものもないし」

「本当に愚かだと思うなら、やめられるだろ? 伝えておいてくれよ、その摺木統矢にさ。……スルギトウヤになるな、ってな」


 それだけ言って、統矢は路面電車を降りた。

 ぽかんとした視線を背に、彼はとうとう我が家のある団地に戻ってきた。

 チリリン、とベルが鳴って、再び路面電車が走り出す。

 そして、れんふぁの腕から弾かれたように女の子が飛び出してきた。

 小さな小さな、まだ五歳の幼女だ。

 だが、懸命に全速力でやってくる姿に、統矢もまたひざを突いて両手を広げる。

 愛娘が飛び込んでくると、ギュッと抱き締めその名を呼んだ。


「ただいま、千雪チユキ


 そう、一人娘の名は千雪……摺木千雪だ。

 長い黒髪をストレートに伸ばした女の子が、満面の笑みで見上げてくる。

 そのあどけない表情とは不釣り合いな、妙に達観した声が響いた。


「おかえりなさい、統矢君」

「うん、元気だったか?」

「当然です。れんふぁさんに悪い虫がつかないように、私が守ってましたから」

「はは、相変わらず頼もしいな、千雪は」

「当然ですよ? ふふ」


 そう、統矢とれんふぁの子は、千雪だ。

 かつて共に戦い散華した、あの五百雀千雪イオジャクチユキである。

 統矢は小さな我が子を抱えて、肩の上に座らせた。

 その時にはもう、れんふぁも目の前に来て笑っている。


「おかえりなさい、統矢さん。今回は少し長くいられるんですか?」

「まあ、そうだね。その辺に……あの物陰とか、あとあっちとかに、監視の人間がいると思う。あとで連中に聞いておくよ。でも、少しゆっくりしたいかな」

「ふふ、千雪さんったらずーっと待ってたんですよ? 毎日毎日、カレンダーに印をつけて。わたしも、首を長くして待ってましたぁ」


 相変わらず、ほんわかと優しくれんふぁは笑う。

 統矢との間に一子を設けた彼女が、突然血相を変えて連絡をよこしたのが、数年前。ようやくカタコトながら喋り始めた二人の娘は、突然日本語ではっきりと「お久しぶりです、れんふぁさん」と語ったという。

 そう、……あのリレイド・リレイズ・システムに自らを埋め込み、輪廻りんね円環えんかんに組み込まれた存在となったのである。彼女は月の裏側の戦いで、あちら側の世界の更紗サラサりんなと接触した。

 そして、


「でも、驚いたよな……お前なあ、千雪。俺たちは普通の人間だから、年取って死ぬんだぞ?」

「その時は、別の世界線の統矢君に会いに行く……のは、やめておきましょう。そこには、そこだけの私やれんふぁさんがいるんですから」

「繰り返し生きてく覚悟までして、俺たちに会いに来てくれたんだよな」

「あちらの世界の私が、リレイヤーズになったスルギトウヤを追いつつ……何故なぜ、システムを使用しなかったかわかったんです。……私のために、残してくれてたんですね」


 れんふぁもうんうんと頷き、そっと腕に腕を絡めてくる。

 統矢は愛しい家族と共に、家までの短い距離を歩き始めた。

 ようやく帰ってこれた、統矢の大事で大切な場所。

 まだまだ不安定な世界の片隅に、確かに存在する愛の形だ。

 統矢はそれを実感しながら、三人でそぞろに歩いた。


「ところで統矢君……私、そろそろ妹か弟が欲しいのですが」

「はぁ? おっ、おお、お前っ、なに言ってんだよ!」

「私も手伝いますので、早速今夜かられんふぁさんと。あ、でも久々でもありますし、今夜はお二人で夫婦水入らずで」

「五歳児がいらん気を回すなっての」


 こうして、終わりなき永久戦争の終わりに、統矢は小さな愛を掴んだ。

 まだまだ戦いが消えぬ中で、絶対に守りたい明日……そして、未来。

 今、未来にあらがい続けた統矢たちに、本当の未来が訪れようとしているのだった。

 だからこそ、今……若人わこうどよ、未来へ羽撃はあたけ! 飛べないまでも、足跡を刻んでゆけ。それが未来の歴史になるから。

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