第12話「世界はそれを待っていた」

 上野駅を出てから、摺木統矢は結局缶ビールを三本ほど飲んだ。

 以前、未成年でありながら飲んだ時とは違って、大人になったと実感できた。アルコールを受け入れる自身の肉体が、大人になったのだと改めて思い知った。

 そして、我が家が近付く旅路で酔いに屈して負ける筈もなく。

 もとより、気分転換で飲んだ酒精はすぐに去った。

 嘗ての恩師にして上司も、新しい姿で新しい生活に戻っていった。

 久遠という名の少女を仙台駅で見送り、数時間……特急はつかりは終着駅の青森駅に到着した。統矢は久々に、第二の故郷と言える青森市に戻ってきたのだった。


「この辺りは変わらないなあ……昔のままだ」


 周囲の客たちが急ぎ足で進む中、統矢はゆっくりと改札を抜けた。

 青森は今、北海道が消滅したこともあって日本列島の最北端だ。東西ロシアは勿論、あらゆる国々の船が行き来する港町として活気付いていた。

 統矢は駅を出ると、そのまま街をそぞろに歩く。

 目的地は決まっていたし、通過点……この街に帰ってきたからには、顔を出すべき場所があった。なにより、顔を出したい仲間の場所があった。

 駅から歩いて数分、小さなラーメン屋が出迎えてくれた。

 そして、その前の路地で遊ぶ子供たちが顔をあげる。


「あ……トーヤだ! トーヤ!」

「おにいちゃん、トーヤ……トーヤだよ」

「だな! お前、ちょっと走ってパパに知らせてこいよ!」

「あいっ! わかったー」


 そう歳も変わらぬ小さな子供たちの片方が、弾かれたように走り出す。

 彼を店の奥に見送って、そしてもう一人の子供が統矢に向き直った。

 睨むような、待ち受けるような、妙に緊迫した眼光。だが、その輝きを灯した少年はあっという間に満面の笑みになる。

 軍服姿の統矢に、小さな男の子が猛ダッシュで突進して抱き着いてきた。


「おかえりー、トーヤ! わーい、トーヤだ! トーヤ! おかえりなさい!」

「はは、ただいま。いい子にしてたかい? 雪馬」

「うんっ! うんうん! ぼくも漣馬も、元気にしてたよ! それにね、トーヤ……今度、妹か弟が生まれるんだー!」

「それは楽しみだな……どれ、辰馬先輩にも挨拶しないとな」


 興奮の塊みたいな勢いで、足元の子供が躍動している。

 無軌道に飛び跳ね駆け回る子供を、統矢は抱え上げて肩に乗せた。

 子供の名は、雪馬……先輩である五百雀辰馬の長男だ。

 もう一人は漣馬で、辰馬の次男になる。

 雪馬に手を引かれて、統矢は小さなラーメン屋へと入った。

 すぐに厨房から、聞き慣れた戦友の声が響き渡る。


「おお、なんだあ? おいおい、シャバに出たなら連絡しろよな、統矢!」

「御無沙汰してます、辰馬先輩。お久しぶりです。あと、桔梗先輩にはお世話になってばかりで」

「かーっ! 気にするなっての! 桔梗はあいつ、あれだ……お前に惚れ込んでるからな!」

「いや、まあ……それ、どうなんですか。辰馬先輩の奥方、正妻の話なんですけど」

「こまけえことはいんだよ! 俺の女が惚れたお前だ、俺だってそれくらいの甲斐性はあらあ!」


 昔からの戦友、五百雀辰馬は笑顔だった。

 客がごったがえす店の中で、中華鍋を振るいつつ白い歯を零す。

 何年も経った戦後でも、白い歯を零すイケメンスマイルは当時のままだった。

 そして、小さな子供たちが統矢にぶらさがるようにして密着してくる。


「トーヤ、遊んでー! 前みたいにまた、ギューン! グググイー! ってしてー」

「あっ、ずるいぞ漣馬! トーヤはまず、おれとあそぶんだよー!」


 戦後に生まれた子供たちは、取っ組み合いながらもじゃれ合っていた。

 雪馬は、最終決戦の時に既に五百雀桔梗が身籠っていた子供だ。あの最終決戦、死闘の時に既に宿されていた命……統矢が掴み取った勝利によって、改めて生まれてくれた命でもある。

 その弟の漣馬も、多くの戦士たちが守って願った命に他ならない。

 二人の子供を左右に連れながら、統矢はカウンターの席に座った。


「そういえば辰馬先輩、桔梗先輩がちょっと不機嫌でしたけど」

「ああ、それな! それな……聞いてくれ統矢、嫁が世界規模の大企業の社長に返り咲いて、俺は好きで故郷でラーメン屋やってる。どうよこれ、どうなのよ!」

「素敵だと思いますよ。先輩、嫌ですか?」

「いいや、ちっとも? けどなあ、リモートでの日々は寂しい……うおお! 桔梗ぉぉぉぉぉ! もっとイチャラブしてえええええ!」


 などと絶叫しつつ、注文された料理をてきぱきと辰馬は作ってゆく。目の前にいるのはもう、人気ラーメン店の名物店主だ。

 だが、統矢は知っている。

 フェンリルと呼ばれた餓狼たちの統率者、誰よりも餓えた牙を輝かせていた男だ。

 あのフェンリル小隊を統率し、フェンリルの拳姫と呼ばれた【閃風】こと五百雀千雪を従えた稀代の戦略家なのだ。

 その辰馬は今、戦後の世界でラーメン屋をやっている。

 統矢がカウンターの席に座れば、なにも言わずに辰馬は麺を茹で始めた。

 そして、彼の子供たちは好奇心を爆発させてくる。


「トーヤ、遊んでー! ねえねえ、遊んでー!」

「トーヤ、おかえりなさーい……ぼくね、トーヤがいないあいだもきたえてたよ」

「漣馬はでも、すぐへばるよー! スタミナ、ないからさー」


 店内を見渡せば、笑顔、笑顔、笑顔。

 訪れている誰もが、夕暮れ時の中で憩いを感じているように思える。

 季節は今、初夏……極寒の地で異世界の自分が封印される瞬間を見届けてから、少しだけ季節が移ろいで進んだ。統矢はその間に、かつて戦友だった人物の娘と出会い、打ち解け、そして次なる戦いに推し進めた。

 一人の人間を戦いの渦中に放り込んで、幼馴染の形見を与えた。

 クレア・ホーストを戦いに放り込んだのは、自分だった。

 その弁明をするでもなく、できないと知って今……戦後の世界で統矢は生きる。

 自身の自由が束縛されて尚も、自由でいられる時間を子供たちに使う。


「雪馬、漣馬……お父さんは苦労してないかい? 大変な御時世だから、苦労も多いと思う……ま、君たち二人を見てると心配がないように思うけどね」


 統矢の言葉に、二人の男児はパアアア! と満面の笑みになった

 先を争うように身を乗り出して、雪馬と漣馬は声を張り上げる。


「へーきだよ、トーマ! ママもときどきかえってくるし!」

「ママはね、やさしいんだ。でも、いそがしーの」


 辰馬と一緒になった桔梗は、今も世界の真理と向き合っている。

 戦後の時代、戦争が終わっても戦いが終わらない理由に直面していた。

 そんな桔梗の伴侶である辰馬が、北国でラーメン屋をやってるのにも理由があった。


「おっし、食え統矢! 自慢のラーメン、チャーシュー増し増しだぜ!」

「っと、豪勢ですね。軍の伝票切れるからって、無茶してません?」

「領収書切れる人間に容赦はねえ! それに、味と量に自信あんだよ!」

「ですね」


 出されたラーメンは、美味だった。これぞ、美味極まるというラーメンだった。シンプルにいくばくかのチャーシューとネギ、メンマ……それだけで世界観を塗り替える味が再現されていた。

 統矢は、確信した。

 十代で世界を背負って戦った、そういう人間が明日を持てている。


「うーし、ガキ共! あんまし統矢を困らせるなよ! それと、統矢!」

「は、はい?」

「これから家に……れんふぁちゃんの家に帰るんだよな?」

「……はい」


 辰馬は微妙にして絶妙な笑顔でラーメンを出してくれた。

 割り箸を手に、統矢も大きく頷く。


「お前んとこのよ、愛娘に伝えてくれや。いつか、そう……いつかでいいから、顔を出せってな」

「わかりました、先輩。必ず伝えますよ」

「あとな、俺様の作る津軽ラーメンは最高だからよぉ! ガハハ!」

「そういうとこ、昔から変わらなくて好きですよ……辰馬先輩」

「おいおい、俺に惚れるなよー! ……でも、本当によかったぜ」


 統矢も自然と、これから帰る我が家のことを思い描いた。

 愛するれんふぁが待つマイホーム、マイホームだ。正直、そこでずっとれんふぁと愛し合い合い。社会や世界、愛娘さえ考えずに睦み合いたい。それだけの愛を統矢は、妻のれんふぁに注いできた。

 そして、それと同じだけの気持ちを、永遠の想い人に捧げてきた。

 伴侶たるれんふぁも、同じだ。

 統矢が想って、統矢の妻も想う……そういう眩しさにもうすぐ、統矢は再会を果たす時が近付いているのだった。

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