第11話「北へ……再会、再出発」

 摺木統矢スルギトウヤが日本に戻るのは久々だ。

 そして、再び首都となった東京の復興には、目をみはるばかりである。

 かつて、パラレイドの襲撃で滅びた街……東京。完全無人の廃墟となって封鎖されていた首都が、終戦と同時に息を吹き返していた。人々の喧騒と活気が戻り、全盛期とはまた違った姿へと進化し続けている。

 恐らく、平成初頭くらいの文明レベルを日本は取り戻しつつある。

 統矢が列車から駅のホームを眺めるだけでも、それが実感できた。


「戦時中に比べたら、世界規模のネットワークも復旧したし、人々の暮らしだってさ」


 今、上野駅で発車を待つ特別急行列車に統矢は乗っている。

 そして、平和を実感できる魔性の誘惑が手の中にあった。

 冷たく汗をかいた、缶ビールである。

 まだ軍服姿だというのに、つい出来心でキヨスクから買ってしまった。

 お天道様てんとうさまもまだ高いのに、休暇みたいなものだからと飲みたくなった。無論、軟禁されている施設でも酒は飲めるが、一緒に飲める友人知人が一人もいない。

 それはここでも同じだが、今は去りし人を想って杯を傾けたかった。


「……グレイ・ホースト大尉。あ、いや、中佐か。あんたの娘は旅立ったよ」


 プシュ! と缶のプルタブを引き上げ、泡立つ琥珀こはくの冷たさを一口飲む。

 まだまだ酒の味を語れるような歳ではないが、今日は一際美味しく感じた。

 そして、長い長い戦いに散っていった者たちが、最後の最後まで守り通した命について再び考える。この旅路で、飛行機の中でもずっと考えていた。

 クレア・ホーストは、の当たる場所を捨てて戦いに身を投じた。

 こうしている今も、新地球帝國しんちきゅうていこくの残党と戦っているかもしれない。

 まだ若い、子供とさえ言える年齢の少女をそうさせたのは、統矢だ。

 例えクレアが望んでいても、そのきっかけを与えて決定を後押しした事実は変わらない。


「死ぬなよ、クレア。親父さんに今、会いに行ったら……ブン殴られそうだからな」


 もうすぐ列車は、青森へと発車する。

 まだ電力網が復旧していない地域があるので、特急はつかりの先頭車両はディーゼル機関車である。特急とは名ばかりの各駅停車で、青森駅着は夕方になるだろう。

 また一口ビールを飲んで、なにかつまむものもほしいなと思った、その時だった。

 ふと視線を感じた瞬間、子供の声が耳に突き刺さる。


「フン、相変わらず平和そうなアホ面をしているな。ええ? 元気のようだな、摺木統矢」


 まだあどけなく、ぽややんとした感じの高い声だった。

 その言葉は通路から響いてくる。

 そこに、腕組みふんぞり返った幼女が立っていた。

 長い長い黒髪で、仕立てのいいジャケットにプリーツスカート、そしてベレー帽を被っている。年の頃は三歳かそこらで、目元だけが妙に大人びた印象の女の子だった。

 統矢は突然のことで呆気あっけに取られたが、思い出せる名をそのまま呟いた。


「え、あ、あれ……? えっと、御堂刹那ミドウセツナ、先生? ど、どうして!」

「バカモノ、私はリレイヤーズだ。死ねば生まれ直せるのが道理だろうに」

「あ、そっか。いやでも、ちょっと待って、なんでここにいるの?」

「それは私の台詞せりふだ。貴様、危険人物として隔離中ではないのか?」

「ま、まあ、そうなです、けど……ちょっと外に出たついでに、少しだけ帰宅が許されてて。先生も青森へ?」

「いや、仙台で降りる。そこが私の今の家だからな」


 そう、あの御堂刹那だ。

 以前よりさらに小さくなって、それでも雰囲気だけは変わらない。

 真っ赤に輝く瞳などは、当時のままである。

 その刹那が、通路を挟んで逆側の座席にポンと飛び乗った。

 自由席は今は閑散かんさんとしてて、客もまばらである。


「で、どうだ。平和の味というやつは」

「ん、いやあ……悪くないですよ。こういうなんでもない時間のために、俺たちは戦ったと言えますし。それも、胸を張って」

「フン、少しは見れるつらになったな。うん、いい顔だ。こんな身体でなければ私も一杯やりたいところだよ」

「そのナリでは、まずいですね。どうみてもお子様、幼児だし」

「そうなのだ。まあ、幼稚園児生活も悪くないぞ? 今の親は優しいし金持ちだし、それになにしろ軍とは無関係なのがいい」


 見た目は子供なのに、刹那は大人びた仕草で笑う。

 彼女の心からの笑顔なんて、統矢は見るのは初めてだった。

 秘匿機関ひとくきかんウロボロスの特務大佐、御堂刹那……次元と時間を飛び越えてきたリレイヤーズにして、無限を彷徨さまようときの放浪者。彼女の笑いは戦場の狂気に彩られて、いつも冷たく割れ響いていた。

 それが今、本当に年相応の無邪気な笑みを見せている。


「ま、ここで会ったのは偶然だ。母親と一緒に東京に出て、その帰りなのだが」

「幸せそうでよかったですよ、御堂先生」

「その名はもう、消えた。私は御堂刹那ではないし、生まれる都度つどそう名乗る必要ももうなくなったのだ。ただ……自分が命を賭けた、その結果を見聞きして満足する日々さ」


 その時だった。

 客車のドアが開かれ、年重としかさの女性が現れた。

 彼女は周囲を見渡し、肘掛けの上に身を乗り出す刹那を見付けて足早に歩み寄ってくる。


「まあまあ、御嬢様! 久遠クオン御嬢様!」

「……しまった、うるさいのに見つかったぞ。摺木統矢、戦友のよしみだ。私をかくまえ。今すぐにだ!」


 この無茶振り、無理を平然と言ってのけるところは変わっていない。

 すぐに刹那は、いかにもお付きの人といった感じの老婦人に抱き上げられてしまった。


「いけませんよ、久遠御嬢様。兵隊さんに失礼ですもの……あの、どなたかは存じませんが大変な失礼を」

「あ、いえ……気にしないでください。自分にもこの子くらいの娘がいますので」

「まあ、そうでしたの。さ、御嬢様。グリーン席に戻りましょう」


 露骨ろこつに嫌な顔をしたが、今は久遠という名で生きる戦友は抵抗しなかった。

 だが、老婦人はなかなかに口が達者で、井戸端会議が好きな人種らしい。

 統矢が笑顔で応えたのをいいことに、雑談を繰り出してきた。


「その軍服、海軍さんですのね」

「はい、ちょっと遠い場所に赴任してました。今、ようやく一時的に家へ帰るところです」

「それはよかったわ。酷い戦争でしたもの。兵隊さんもあの、ええと、パ、パン、モロ――」

「ええ、パンツァー・モータロイドのパイロットをやっていました」

「そう、そういう名前のロボット。本当に大変な目にあったでしょう」

「毎日が死にものぐるいでしたよ」


 久遠こと刹那が、話の長い人物なのだとジェスチャーで伝えてくる。そんな彼女を胸元に抱いたまま、御婦人は意外な話を持ち出した。


「私も映画で見ましたのよ……本当に大変な戦いで。でも、人類には救世主がいましたの。そう、噂で騒がれてた反乱軍が、見事に侵略者を退けたのですわ」

「あー、あの映画……え? ご、御覧ごらんになったんですか?」

「御嬢様にせがまれてですわ。それも三度も」

「はあ。まあ、自分もそれくらいは見せられましたが」


 戦後、人類同盟じんるいどうめいは機密事項を闇に葬る一方で、一定の情報を公開した。

 謎の侵略者パラレイドは、新地球帝國を名乗って、そして人類同盟に敗北し滅びた。その正体よりも、軍は英雄たちの活躍を高らかに喧伝けんでんしたのである。

 それに乗じて映画会社が作ったB級作品が、数年前に大ヒットした。

 ストーリーは、復讐を誓って立ち上がった幼年兵ようねんへいの少年が、超能力に目覚めてパラレイドを次々とPMRパメラで倒していくという、どこかで聞いたような話である。

 ちなみに統矢は、情報漏洩じょうほうろうえいを疑われて憲兵隊MPに映画を見せられた。その後で情報部にも同じものを見せられ尋問を受け、最後には人類同盟査察部にも全く同じフィルムの鑑賞を強要されたのだった。


「まあ、組織の縦割りってやつはね」

「あら、なにかおっしゃいました? 兵隊さん」

「あ、いえ」


 その時、発車のベルが鳴った。

 そして、静かに列車は走り出す。

 少しずつ、ホームの光景が後方へ流れ始めた。

 レールの上をゆっくりと、そして力強く特急はつかりが進み始める。


「あら、もうこんな時間。さ、御嬢様。奥様もお待ちです」

「……わかった、戻ろう。では統矢、またな」

「御嬢様! 兵隊さんにそんな口をきいてはいけませんわ。お国のために命がけで戦った方々なんですよ? 本当にもう、この子は……では失礼しますわ」


 なかなかにかしましい御婦人は、久遠を抱いたまま行ってしまった。

 グヌヌと唸っていたが、久遠も悪い気はしないようである。

 どうやら、今は満足のゆく生活の中で、幸せを満喫していそうだった。


「よかった……戻ったら報告しなきゃな。れんふぁにも……千雪チユキにも」


 ふと気付けば、手の中の缶ビールは少しぬるくなってしまっていた。

 それをグイと喉奥へと流し込んで、口元の泡を手の甲で拭う。

 不思議なえにしを感じた。

 なんの因果か、かつての部下と上司は再会できたのだ。

 なるほど刹那の……久遠の言う通り、リレイヤーズは閉じた円環えんかんの中で転生を繰り返す人間だ。その過程で、成長限界がどんどん縮まり大人になれなくなる。

 今の久遠も恐らく、あと数年で成長が止まるだろう。

 だが、もう止まらないものがある。

 決して終わらぬ、それは平和な彼女の日々、日常だ。


「……よし、もう一杯だけ。あと一杯だけ飲もう。うん、今日は昼酒してもいい日……そういうことにしておこう」


 車内販売の女性がカートを押して客車に入ってきた。

 統矢は心地よい酒精の酔いを身に招いて、自然とほおほころぶ。

 結局、缶ビールをもう一本と駅弁、そして今は民需品として一般販売されてるカロリーカムラッドを購入してしまった。勿論もちろん、幼年兵時代からよく食べてたチーズ味だ。

 カタコトと静かに揺れる列車は、一路北へ。

 その先に今、家族が待つ温かな家庭が統矢を待っているのだった。

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