第10話「継承される英雄の意思」

 危機は去った。

 魔女の街セイラムに蘇った戦争の亡霊は、戦争を狩る死神によって排除されたのだ。

 そして、そこに旧大戦の英雄が居合わせたことは、偶然ではないのかもしれない。

 勿論もちろん、その英雄本人に自覚はなく、英雄としても扱われていなかったが。

 それでも、【氷蓮ひょうれん】が屈んでコクピットのハッチを開放すると、摺木統矢スルギトウヤは外の空気に飛び出す。振り返ったが、クレア・ホーストはまだシートの上で硬直していた。

 初めての実戦で、まだその緊張感から解放されていないのだろう。


「ふう。……少し、かわいそうなことをしたかな?」


 だが、彼女が街を守ったというのもまた、事実だ。

 そして、【氷蓮】の隣に漆黒のパンツァー・モータロイドがやってくる。同じ降着状態になって、一人の女性が降りてきた。

 二機とも包帯のようなテーピングを無数に風になびかせている。

 近付いてくる後輩にして戦友もまた、その風に長く伸びた髪を遊ばせていた。


流石さすがでありますね、統矢殿。全くブランクを感じなかったであります」


 表情らしい表情もなく、言葉には感慨かんがいもなにもこもっていない。

 まるで、統矢がかつて愛した少女のように、氷と硝子ガラスでできているかのような渡良瀬沙菊ワタラセサギクがやってきた。

 彼女は小さな端末を取り出し、誰かへ短い指示をつぶやいてから顔をあげた。


「いや? 俺じゃなくてクレアが操縦してた」

「……は? では、先程の少女がでありますか?」

「そ、初めて実戦を経験した」

「それで、先程はかたきと叫んでいたでありますか」


 流石の沙菊も、少し驚いたような顔をしてくれた。

 だが、その目は暗く輝き闇がよどんでいる。

 彼女もまた、新地球帝國しんちきゅうていこくの残党軍と同じだ。戦後の世界で居場所がないから、戦争の残滓ざんしを拭き取る掃除屋をやっている。そういう彼女たちのおかげで、ようやく得られた平和がもう何年も続いていた。

 御統霧華ミスマルキリカのように、ゲリラを狩るゲリラを軍の内部から秘密裏に支えている人間もいる。

 統矢もまた、自分の権限をフル活用して軟禁先から援護を続けていた。


「統矢殿、軍での扱いは聞いているであります。……このまま、自分と来ませんか?」


 沙菊はすぐ間近で、真っ直ぐ統矢を見詰めてくる。

 一時の冷徹な殺人機械キルマシーンの雰囲気は、今は僅かになりを潜めている。

 以前の再会が抜き身のマチェットなら、再度の再会で沙菊は洗練された軍刀サーベルのようだ。収まるべきさやを持ちながらも、抜かれた瞬間には研ぎ澄まされた切れ味が炸裂する。

 落ち着いた印象が返って、彼女の苛烈かれつな生き方に凄みを与えていた。

 だが、統矢は苦笑して肩をすくめる。


「俺、もう何年もPMRパメラに乗ってないんだぜ? 今の俺じゃ、沙菊の役には立てない」

「それでも、人間として扱われるだけマシでありますよ。……自分にとって、統矢殿は大切な人間でありますからして」

「それな。まあ、ぼんやり軟禁されてるだけで給料が出るんだから、ある意味じゃ優雅に暮らしてるんだけどな」


 統矢は正直に沙菊に打ち明けた。

 もう既に、DUSTERダスター能力が失われていることを。

 そして、そのことを軍が全く信用せず、かえって危険視していることもだ。

 戦いが終わってから、ずっと統矢は世界で唯一のDUSTER能力者として生きてきた。

 もしかしたら、だったかもしれない。

 それでも、日本に帰れば妻と娘が待っている。

 この短い休暇で、最後には青森に立ち寄るつもりだ。


「お前は……まだ、戦い続けるのか? 沙菊」

「統矢殿やれんふぁ殿が、もう戦わなくていい世界にするであります。それをきっと、ずっと千雪チユキ殿は望んでいたと思うのであります」

「そう、だな……でも、千雪はお前のことだって」

「……それでも、今も戦えるのは自分だけでありますからして」


 沙菊は頑なだ。

 もう、昔のような面影おもかげ微塵みじんもない。

 人懐ひとなつっこくて、子犬がじゃれてくるように後ろをついてきた女の子は……もう、どこにもいないのだ。

 統矢は、小さく溜息を一つ。

 そして、参ったとばかりに頭をバリボリ掻きむしる。


「わかったよ、沙菊。ま、たまには俺の家に……青森の家に顔を出せ。俺はいないが、れんふぁが住んでる。娘もいるんだ」

「そ、それは、まあ、はい……」

「千雪にも会ってくれよ」

「ま、まだ……千雪殿の墓前ぼぜんには、顔を出せないであります。どんな顔していいか、その」

「難しく考えるなって。あとな」


 統矢の言葉を遮り、ぎゅむと胸ぐらを沙菊が掴んできた。

 両手で握って、強い力で引っ張る。

 シャツが破れるのではと思う程に、沙菊は強引に統矢の胸に顔をうずめた。


「統矢殿……お願いであります。もう、軍にいては……あそこにいては、統矢殿が」

「お前なあ、沙菊。泣くなよ、俺なんかのことで」

「なっ、泣いてないであります! 泣いてなど……涙など!」

「お前も無理し過ぎるなよな。残党狩りもいいけど、もっと自分も大切にしなきゃな。千雪が見たら怒るぞ、きっとさ」


 平和が訪れたが、それを誰もが享受きょうじゅできる訳ではない。

 平和が戻っても、死んでいった者たちは戻らないからだ。

 人の摂理と条理を無視したリレイヤーズでさえ、でこの世界に残っている。

 そして、統矢も平和の中でまだ戦っていた。


「統矢殿、最後に……最後に、もう一度だけ。自分と来てほしいであります。DUSTER能力がなくても、ベテランのパイロットが不足している自分たちなら」

「悪いな、沙菊。俺は今のまま、モルモットのままでいい。軍の中で、俺しかできない支援もあるだろうしさ。ラスカや霧華さんと同じさ……組織自体が動けなくても、その中で動く人間がいればさ」


 小さくうなずいて、沙菊は離れた。

 相変わらず、酷い顔をしている。

 彼女は、月での決戦で宇宙漂流を経験し、救助後は治療と同時に過酷な特殊訓練に没頭した。恐らく、肉体強化のための薬物にも手を出しただろう。

 ある意味で、一種の強化兵だ。

 目の下のくまが消える日が、いつか来ればいいのになと統矢は心から思った。


「……わかったであります。では、自分はそろそろ迎えが来るので」

「ああ、達者でな。あと、ラスカにも連絡してやれよ。滅茶苦茶めちゃくちゃ怒ってたぞ」

「あ、いや……怒られるのがわかってて連絡するのは、ちょっと」

「落ち着いたらでいい。考えてくれよな」

「わかったであります。でも、パイロット不足は深刻でもあります。かといって、正規兵のラスカ殿に声をかけるのは遠慮したいものでもありまして」


 沙菊たちも小さな組織、ギリギリで戦いを続けている。

 そして彼女は、戦友であるラスカ・ランシングという人間を熟知しているのだ。

 連絡して生存を伝え、今も戦っていると知れば彼女はどうする?

 それくらい、統矢にもわかる。

 あの爆弾娘ピンキーボムは、あっさり軍を辞めて沙菊の元に駆けつけるだろう。昔から念願だったトップエースの二つ名、【月紅セレーネ】さえも簡単に捨ててしまう……そういうなのだ。

 だから、敢えて沙菊は連絡を取ろうとはしないのだろう。

 逆に、霧華は勿論、御巫重工みかなぎじゅうこうとは密にやりとりしてるらしく、廃棄資材としてここに【氷蓮】が送られてきたのも偶然じゃない。


「どこかに腕のいいパイロット、いないでありますかねえ……ほとほと困っていまして」


 自分の両肘を抱きつつ、冗談めかして不器用に沙菊が笑おうとした。

 表情筋が死んでいるのか、わずかに口元が歪むだけだ。

 それでも、ホットパンツにボロボロのコートを羽織はおって、肌も顕な彼女は古傷だらけでも眩しい。美しく成長した沙菊に、在りし日の恋人の姿が重なるのを統矢は感じていた。

 背後で威勢のいい声が響いたのは、そんな時だった。


「こっ、ここに! ここにいます! 自分が行きますっ!」


 そこには、機体を降りてきたクレアが立っていた。

 彼女は、大きな目を見開き、両の拳を握って前のめりに叫ぶ。


「復讐とかではないです! 戦いは怖い……怖かったです! でも、だからこそ――ッ、プ、ッグ!」


 突然クレアは、口元を両手で抑えて走り去った。

 そのまま、街角の電柱に屈んで……統矢たちの目もはばからずに嘔吐おうとした。

 新兵にはよくあることで、恥とも思わないし無様にも思えない。

 究極の緊張状態から解放されたことで、身体機能がテンションの逆流に耐えられなかっただけだ。統矢だって、血と汗よりも汚いを経験している。

 震える子犬みたいになってしまったクレアを見て、沙菊はぽかんとしていた。

 だが、統矢が駆け寄り背をさすってやると、言葉を選んでくる。


「官姓名を名乗るであります……自分がこれから、愚かにも捨てようとしているその名を」

「ゲホ、ゲホゲホッ! ッ、ク……クレア・ホースト准尉、広報部所属であります! で、でもっ! 戦えるパイロットが必要なら、自分がそれになります!」

「……次は無人機じゃない、人の乗った敵機かもしれないであります。撃墜し、殺すことになっても?」

「上手くやります! 上手くやれるように、上手くなります。だ、だって……あ! し、資料でそういえば見たことが……渡良瀬沙菊、あのフェンリル小隊の初代メンバー」

「いいから、話の続きを」

「沙菊殿は先程、有人型のエンジェル級を全て。そういうのをやれるよう、自分は努力します!」


 話にならない、という顔をしていたが……沙菊はまたも口元をいびつに歪めた。

 微笑ほほえもうとしたんだと思う。

 微笑ましいと思えたのだ、今の沙菊が。


「自分らは違法で無法な武装集団、民兵や私兵のたぐいでありますよ」

「で、でもっ! そういう人たちが今の平和を守ってます! 誰も知らない場所で、影から守ってる……沙菊殿、あ、いや、沙菊先輩! 自分を連れてってください!」


 決まりだなと思った。

 迎えのヘリが上空に来ても、沙菊は腕組みフムと唸ったまま動かない。

 だから、統矢は答を聞くまでもないと思って笑う。


「おし、決まりだな。クレア、あいつを持ってけ」

「……は? あ、いや! あれは統矢殿の、旧大戦の英雄が駆った機体で」

「まだまだド下手だが、【氷蓮】をくれてやるさ。乗りこなせよ? 今なら【グラスヒール】もついててお得だしな。こいつは操縦性は素直だし、場数を踏んで生き抜いたから縁起えんぎもいい。……死ぬなよ、クレア。また生きて会おうぜ」


 やや戸惑った様子だが、おずおずと沙菊が歩み寄り手を伸べる。

 その手を見詰めて、クレアは迷わず握った。

 その瞬間にはもう、次の吐き気が襲ってその場に崩れ落ちる。

 だが、こうしてクレア・ホースト准尉は謎の失踪を遂げることになった。霧華の根回しで、セイラムの戦闘に巻き込まれ作戦行動中行方不明Missing In Action、いわゆるMIAとして処理されることになったのだった。

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