中編-近里彩歌は勇気を出せない
結論から言えば、さりげなさを装ってチョコを渡してしまおうという彩歌の試みは悉く失敗した。
なにしろ小競り合いの後である。自分が篠浦に接触すればクラス全員から聞き耳を立てられるに決まっていたし、こういう日に限って篠浦はトイレにも立たなかった。昼休みには席を外していたからそのときには行っていたのかもしれないが、それはつまり風紀委員会での活動のついでに済ませたということであって、ギャル全開の自分が近くをうろちょろできるわけがない。
最後の手段として篠浦の下駄箱にこっそり放り込んでしまうことも考えたが、十秒と経たずに論外だと気づいてやめた。誰のものとも知れないチョコレートなど警戒されるに決まっていたし、名前を書いたら書いたで何のつもりかと明日問い詰められるだろう。篠浦の性格からして、教室――つまり、クラスメイトの面前で。
八方塞がりなのだった。
◇ ◇ ◇
そういうわけで、放課後を告げるチャイムが鳴ってもチョコレートは相変わらず彩歌の手の中にある。
帰りのホームルームが終わると同時に動けばチャンスを得られていたのだろう。実際には早々にマリとチサに絡まれて、会話を切り上げたときにはもう教室から篠浦の姿が消えていた。
「はぁ~……」
階段を上りきって扉を開けた先、校舎の屋上で夕暮れ色の日差しを浴びながら、彩歌は冷たい風に溜め息を乗せる。
こんなことなら、朝に突っかかられたタイミングで友チョコとしてプレゼントしてしまえばよかったのだ。それならきっと過剰な意識に囚われたりせず、場の勢いに乗って手渡すことができただろうに。
「アタシ、こんなに意気地なしだったんだなぁ」
普段ツルんでいる仲間とは気安く交換し合えたのに、相手が篠浦になった途端このザマだ。
情けなさすぎて無限に溜め息が出てくる。自分の中身をぜんぶ息へと変えて吐き出してしまえるんじゃないかとすら思う。
篠浦のことが好きだった。
進級して同じ組になって、初日にいきなりメイクの派手さを注意されたときから、篠浦のキリリとした佇まいと澄んだ瞳に魅了された。
自分にもっと勇気があれば、正攻法で篠浦との距離を縮めることができていたのだろうか。
篠浦の気を引きたくて、風紀委員としての彼女を刺激しようと今日まで突き進んできてしまったのは――自分が意気地なしだからなのだろう、やっぱり。
あと一ヶ月と少しで「二年生」が終わる。
春休みが過ぎて「三年生」になったら、またクラス替えがやってくる。
意識も高ければ成績も優秀な篠浦だ。まず間違いなく特進コースを選択しているだろうし、その希望は問題なく通るだろう。当然、普通の進学コースを選ばざるを得なかった彩歌とは離ればなれになる。
組が分かれれば篠浦との接点はますます希薄になってしまう。風紀委員はクラス単位で選出されるものだから、どんなに自分が校則に抵触してみせたところで注意しに来るのは別の生徒だ。
だからこそ、今日――バレンタインデーという特別な日の魔力を借りて、想いを伝えたかったのに。
「……ぇうっ」
やばいと感じたときには遅く、鼻の奥から痛みがツンとこみあげてきて視界が滲んだ。
「泣くなよぉ、アタシのばかぁ」
昼休みならばいざ知らず、わざわざ放課後に屋上まで足を運ぶ奴もいまい――というのは普段ならばの話であって、今日ばかりはそうも言っていられない。気になるアイツを呼び出す場所としては、屋上はなかなかのチョイスと言えよう。
さっさと泣き止まなければみっともないところを見られかねない。不戦敗を喫したあげく人前で恥までかくなんて、そんなの最悪に決まっている。
――だから止まりやがれよ、アタシの涙!
彩歌が半ばヒステリー気味に叫ぼうとした、まさに次の瞬間のことだった。
「――やっぱり帰っていませんでしたか」
聞こえるはずのない声が聞こえた。
けれど、幻聴の類でないことは明らかだった。
「――篠、浦……!?」
彩歌が驚愕の面持ちで振り返った先。校舎内へと繋がる扉を背に、長い黒髪を風になびかせて。
篠浦眞穂が、立っていた。
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