第1話 僕が爆死する話(物理)- 3 -

「あ、ごめん、寝ちゃってたや」


 僕が言うと、


「そうでしょうよ」とバーテンさんが言う。


「何度起こしても起きないから、そのまま寝かせといたわよ。ほっといて帰るわけにもいかなかったし。おかげで徹夜だっつーの。ま、でもそのお陰で結構な売り上げになったから、そこは感謝してるけどさ」


「んん、ごめん……」


 ちなみにこのバーテンの女の子は永田彩綾ながたさあやという、僕の幼馴染である。社会人になってから偶然再会して、新宿でバーを開いたのだと聞いた。それ以来売り上げに貢献するため、各方面にお店をおすすめしているのである。


「謝んなくたっていいわよ。別に怒ってるわけじゃなし。でもね、昨日のあの先輩はいったいなんなわけ? アンタ置いて帰るし、態度悪すぎでしょ!」


 えへへ、と僕は笑った。


「確かにちょっと豪快な人だけど、悪い人じゃないんだよ? 会社でも僕が早く慣れられるようにってコピーとか荷物整理とか色々任せてくれるし」


「なにそれ、いいように使われてるだけじゃない」


 彩綾の機嫌に連関しているのか、コップを拭く音がキュッキュッと高くなった。


「えっと……ごめん、なに怒ってるの?」


「だから怒ってないわよ。関係ないしね、お客さん同士の問題だし。っていうかそうだ、これもあんまり口出ししたくないんだけどさ? 財布、ちゃんとある?」


「へ? 財布?」


 キュッキュッキュッ、コップを拭く音が高くなる。


「よくいるのよ、お酒に睡眠薬いれて、眠らせてる間に財布を抜いていく女。昨日変な女と一緒に飲んでたでしょ? アレ、そういう類の子じゃないの?」


 女の子、と聞いて僕は思い当たる。そう言えば周囲にあの子がいない。あの優しい、アジア系の、赤いドレスの女の子。


「あれ、あの子は……?」


 僕がそう呟くと彩綾は「とっくに帰ったわよ」と、うっとうしそうに溜息を吐いた。


 キュッキュッキュッキュッキュッ。


「あんた、もういい大人でしょ? あんまり夢見ない方がいいんんじゃないの? こんなところで運命の相手に出会うなんてそうそうあるわけないじゃない。ドラマじゃないんだから」


「確かに、ドラマみたいだったよね……」と僕は笑って後ろ頭を掻いた。彩綾は「は? 救えないんですけど」と言って鼻を鳴らし「もういいから、今日は帰ったら。どうせこのあと休日出勤なんでしょ」と言った。コップから煙が上がりそうなくらい摩擦音がしている。確かにもう帰った方がよさそうだ。あの女の子とは、きっとまた会えるだろう。


「そうだね、じゃあ帰るよ。また来るから」


「今度はもっとマシな友達連れてきなさいよね。サービスするから」


 しかし社会人になってから友達らしい友達なんて僕にはいない。

 僕は苦笑いを浮かべた。


「ん、善処するよ。ありがとう。ごちそうさまでした」


 そう言って立ち上がる。その拍子に、右手に違和感を覚えた。見てみると、手首に銀色のわっかがついている。わっか。鎖がついていて、手を傾けるとチャラリと金属音。実際に見たことはないのに、とても見覚えのあるデザイン。これは。


「――手錠?」


 そう気づいた時、僕はその手錠の先――自分の膝の上に、何か重い物が載っていることにも気づいた。


 銀色の、ジュラルミンケース。


 かなり重量感のある冷たいそれに、僕はもちろん見覚えがなかった。ちょっと持ち上げようとしてみると、かなり重量がある。血流が圧迫されていたらしく、ケースを浮かせると脚が痺れた。


「あの、コレって、なに?」


「は?」


 彩綾に見覚えがないか訊ねてみると、カウンターの向こうからこちらにチラリと視線をやって「知らない。なにそれ」と応じる。


 キュッキュッキュッ。


 しばらくの沈黙を挟んで、脅すようにつけ加えた。


「……あんた、なんかヤバいことに巻き込まれたんじゃないでしょうね?」


 僕は少し嫌な予感がしながらも「ま、まっさかあ」と言って笑った。へらへらしている僕を見て、彩綾は心配そうな顔をした。


「警察行った方がいいよ。悪いこと言わないから」

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