【EPISODE】2017-2020.12.20
#第4話-吉岡咲①-
13歳の時から、アイドルをやってきた。でも、アイドルになんてこれっぽっちも興味はなかった。あったのは芸能界に対する何となくの憧れだけ。同級生より身体の発達が早熟でスタイルにも特段の自信があった私は、休日はおませにも着飾り、意味もなく渋谷や原宿を1人で歩いたものだった。原宿で「アイドルにならないか」とスカウトされた時、「遂にきた」と緩む口元を誤魔化すので必死だった。モデルのスカウトではなかったことに少し不満を覚えたけれど。しかも、インディーズ。それでも、まんざらでもなく諾した。当時は自己顕示欲の化け物だったと、自分でも思う。歌って踊って愛想良くしていればいいんでしょという軽いノリでアイドルの世界に足を踏み入れた。芸能界への通過点には丁度いい。そんな甘い考えでいた。
「ざけんなっ」
そう脅嚇すると同時に、マネージャーが楽屋にあったステンレス製のゴミ箱を蹴り上げる。甲高い悲鳴が床の布タイルに吸収されて静まるのを待った。数枚のペーパータオルと一緒に、朝コンビニで買ったサラダチキンの空パックが散布する。これが日常だった。気に食わないことがあるといつもこう。でも、決して私たち本人には暴力を振るわなかった。きっと、もっと上の存在によって彼らも調教されていたのだろう。商品に傷をつけるなと。マネージャーが激昂し、暴れ疲れて部屋を去るまで私たち3人は椅子に座って静かに待っていた。
「また楽屋散らかっちゃったね。掃除し直そうか」
こういう時、最初に言葉を出すのは決まって
「一番お姉さんだからって、仕切らないで」
「違うよ。提案しただけ」
「それがうざいって言ってるの」
反抗期みたいなものだったのだろう。お父さんの入った湯船に後から浸かりたくないという拒絶感に似ている。そのくらい、萌香の言動に過剰に反応していた。私たち2人の言い合いの仲裁者はいなかった。もう1人のメンバーである
「うっそ」
溜息交じりの一驚に、思わず沙耶の方に視線を向ける。吐息と声量があまりに釣り合っていなかった。
「また給料減ってる」
「噓でしょ。だって……」
沙耶がスマホの画面をこちらに向ける。ネットバンク内の通帳には確かに数千円しか振り込まれていない。取り急ぎ自分のスマホでも調べてみるが、沙耶と変わらなかった。到底信じられる金額ではなかった。小さなライブハウスとはいえ、今日含めてライブだけでも今月24回。握手会やチェキ会といったイベントやインターネットテレビ番組の撮影もあった。着実に知名度も活動範囲も広がっているのに、給料だけが減っていく。これらの相関関係が、授業で習ったばかりの反比例のグラフとして脳裏に描き出される。アイドル活動の傍らで受けていた義務教育がようやく活かされた気分になった。
「沙耶、プロデューサーと掛け合ってみる」
「無駄だよ。むしろ迷惑。どうせマネージャーみたいに暴れるだけなんだから」
そう、逆上するだけ。14歳になったばかりの私でも気づいていた。いいように使われているだけだって。事務所と契約してから最初の2カ月は1円たりとも貰えなかった。プロデューサー曰く、理由は「レッスン代を給料から差し引いたから」。反論したが脅され、それ以上何も言い返せなかった。
「それじゃあ沙耶たち、何のためにアイドルやってるの」
沙耶が涙目になりながら訴える。何のため。そんなもの、ここにいる3人ですらみんなみんな違う。私は自己顕示欲のため。萌香はアイドルに憧れて。沙耶は小遣い稼ぎ。目的は異なるけれど、3人ともアイドルという同じ仮面を被っている。
「そもそも、アイドルって、何」
気づいたら、言葉に出していた。萌香の方を向いて。反抗心は微塵もなかった。ただただ、答えを知りたかった。アイドルになった、自分の正体を。自分が何者であるのか。
「萌香、教えて。アイドルって、一体何。どうして萌香は、アイドルが好きなの」
何かを言いかけて、萌香は下を向く。ただ、いつも通り明るく答えて欲しかった。それが納得いくものではなかったとしても。返答する気配はしばしば訪れたが、結局、萌香が答えを示してくれることはなかった。
私たちのメジャーデビューの話が舞い込んできた中学3年生の夏、萌香が倒れたと事務所から連絡があった。大人たちが話し合いをするため、その日は急遽オフになり、とりあえず学校帰りに沙耶と合流してお見舞いに行くことにした。
「私たちって、正直、仲悪いじゃん」
病院の個室で萌香が寂しそうに言う。彼女の腕には点滴が固定されている。シーツや病衣から放たれる漂白剤の匂いが鼻について、どうにもいたたまれない。ここに来る前に沙耶とスーパーに寄ったが、お見舞いに何を買っていくべきか2人とも分からなかった。エナジードリンク、花束、暑いからアイスクリームが正解なのだろうか。そういえばドラマじゃ果実が定番だ。でも、りんごの皮を自分で剥いたことなんてない。それに果物ナイフは病院にあるのかなとか、考えるのが面倒になって私が好きな東京ばな奈を買っていくことにした。それなのに萌香はクスリともしなくて、余計にきまりが悪かった。
「けど、こうしてお見舞いに来てくれるの、すごく嬉しいな。怪我の功名って言えばいいのかな。あんな事務所でも感謝しなきゃだね」
言葉足らずで、理解するのに数秒を要した。きっと、共通の敵がいるから私と沙耶がお見舞いに来たのだという認識なのだろう。劣悪な環境下で闘う同志。萌香の口から事務所を中傷する言葉を聞いたのは、これが初めてだった。
「過労が原因って聞いたけど」
「うん、ちょっと気張りすぎたみたい。受験勉強で最近あまり睡眠時間とれてなかったから」
沙耶の確認に、萌香が苦笑いする。萌香は私の3つ上。ということは、高校3年生。そういえば、最近は仕事の合間に勉強している萌香の姿をよく目にする。
「大学受験、するんだ」
道中にかいた汗が、適度に調節された室温によって少しずつ引いていく。インナーに残る湿り気だけが不快だった。
「そのつもり」
ふっくらとした薄桃色の唇がかすかに揺れる。とっくり見ると、確かに面やつれしている。腕も、昔は適度に肉付きが良かった。今はまるで小枝のようだった。
「1年くらい前、咲が私に聞いたじゃん。『アイドルって何。どうしてアイドルが好きなの』って」
「そんなこと、あったかな」
ちゃんと覚えていた。何故だか照れくさくて、覚えていないふりをした。
「その時、私は答えられなかった。アイドルに憧れてアイドルになったはずなのにね。自分が好きだった理想のアイドル像と、アイドルをしている自分とのギャップに気づいて、何も言えなくなってしまったの」
気づかなかった。萌香の中に、あの時そんな葛藤があったなんて。アイドルを知らない私は、どこか萌香を模範的アイドルだと画一的に捉えていたのだと思う。
「アイドルは好きだけど、アイドルをするのは自分じゃないって。元々ファンだったからこそ、分かっちゃうんだ」
「そうかな。むしろ沙耶たちの中で一番アイドルに向いている気がするけど」
萌香が弱々しく首を横に振る。言いたいけれど言えない何かを、胸にしまい込むように。3人の間に少しの沈黙が流れた後、萌香がゆっくりと私の方を見る。優しい表情だった。
「私も1つ、咲に聞いていいかな」
「ん」
「咲はどうして、いつも地下アイドルのことをインディーズって言うの」
「地下アイドルって言葉が好きじゃないだけ」
「なんで」
「なんか、悔しいから。陽が当たらない感じで」
言葉に出すと、少し恥ずかしさが残る。はにかむ私の表情を見て、萌香が悪戯に笑う。
「それを聞いて、お姉さん安心したなぁ」
「子供扱いしないで。私もう、中学3年生だよ」
「うんうん、子ども子ども」
私の頭を撫でるふりをする。この頃には萌香に対する敵対心も薄れていた。多感な時期を脱却しつつある時で、少しずつ大人になっていたんだろうと思う。
「ねえ、咲。メジャーデビューシングルからは、あなたにセンターをやって欲しい」
「え」
声を出したのは私だけではなく、沙耶もだった。沙耶と顔を見合わせて、互いに首をかしげる。キョトンとする私たちを見兼ねて、後押しするように言葉を続ける。
「私が推薦したの。プロデューサーも了解済み」
同意を求めるように、萌香が沙耶の方を覗き込む。
「沙耶は全然いいよ」
けどと付け足しながら、今度は沙耶が私の表情を覗き込む。もちろん、願ってもないことだった。アイドルにスカウトされた時から、ずっとセンターに立つことを夢見ていたから。だから、グループが結成され、プロデューサーからセンターは萌香でいくと発表された時、悔しさと怒りで目が腫れあがるほど泣いた。自分より目立つ存在がグループ内にいることが、許せなかったんだと思う。それから今まで、センターに立つことはほとんどなかった。カップリングでは何度かあったけれど、表題曲は一度もない。
センターには立ちたかった。でも、ここでセンターに立ってしまっては、大事な何かを失ってしまう気がした。
「メジャーデビューを一番夢見ていたのは、萌香の方だったのに」
「うん。でも、メジャーの場でセンターに立つのは私じゃない。元アイドルファンの感性が、そう訴えてる」
小枝のような腕が、そっと伸びてくる。私の手を優しく握り、「だから、お願い」とダメ押しした。まるで決定事項のように、彼女は断る隙を見せなかった。
「わかった」
何もわかってなかった。それでも気乗り薄な様子で首を縦に振った。こんなはずじゃなかった。私がなりなかったセンターは、こんなはずじゃなかったんだ。
私はこの日、曖昧模糊とした状態でセンターになることが決まった。
*
この年の冬、念願のメジャーデビューを果たした。私が初めて表題曲でセンターを務めることになったメジャーデビューシングルは週間ランキング1位を獲得し、音楽番組に引っ張りだこになった。
一方、給料が少しはマシになっただけで事務所の横暴さは相変わらずだった。無理なスケジューリングに法律を度外視したビジネススタイル。暴言や暴力を用いた脅迫は日常茶飯事。劣悪な労働環境に変わりはなかった。当然だ、人が変わったわけではないのだから。それでも、淡々とすべてをこなした。何か思慕することがあったわけではない。露出の多い衣装に対する抵抗が次第に薄れていくように、正常な判断能力も擦り減ってしまっていたんだと思う。
内情とは裏腹に、世間からの私たちに対する注目度は日に日に増していく。メジャーデビューの翌春には2千人以上のファンを前にライブする程までに成長していた。全てが順調だった。それが、逃げ場をなくしていたように思う。この時の私は目の前に現れた仕事を事務的に処理するだけの機械と化していた。そうして視野狭窄に陥り、自らを破滅へと追いやっていくことになる。
その晩春、佐倉萌香は首を吊って自殺した。
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