セカイの中心
「セカイ系」という概念を知ったのは、政府の隔離施設に移送された後だった。
主人公とヒロインの関係性や精神状態が、世界の命運に直結する――ざっくり言うと、そういう世界観の物語を表す言葉らしい。
そして僕は、「セカイの中心」なんだそうだ。
「セカイの中心」は、何年か前から世界各地に現れ始めたらしい。彼ら彼女らは二人で一組のセカイであり、独自の専有領域を持っている。そして領域内に存在する他者は例外なしに「セカイの中心」の影響を受ける。
専有領域は、比較的閉じた空間であることが多い。例えば学校だとか、閉鎖的な田舎町だとか。
イギリスの寄宿学校で、生徒たちが一夜にして大量失踪した事件。伝統ある学校で起こったこの事件は、一切の手がかりを残していなかった。生徒たちはみな裕福な家庭の令嬢ばかりで、人身売買組織による集団誘拐ではないかと騒がれ、国際問題にまで発展した。
あるいは、アメリカはコネチカット州の小さな町で、町人たちが次々奇病に倒れ死亡した事件。眼球から植物が生え、開花すると同時に患者の命は失われる。生物兵器説から宇宙人の襲来説まで様々な可能性が叫ばれ、全米が一時パニック状態となったが、奇病は町民全員を死亡させたあと、境界を越えて発生することはなかった。
ここ数年で増加の一途をたどる奇妙な事件は、全て「セカイの中心」である少年少女たちが原因なのだと、ヨシムラさんは言った。
「『セカイの中心』である彼らの人間関係や精神状態が修復不可能なまでに悪化した時、彼らの専有領域は何らかのかたちで『滅亡』する。それを未然に防ぐために、きみたちを保護しているんだ」
ヨシムラさんは僕の担当で、白髪交じりの灰色の頭をした、ぱっとしない中年男性だ。柔らかい口調でありながら、事務的な対応を崩そうとしない。その一線引いた態度が、僕は好きだった。
彼は大抵の疑問に答えてくれた。例えば、なぜ僕が「セカイの中心」だと分かるんですか? とか。
いわく、複雑系単純因果律理論という、複雑なのか単純なのかよく分からない理論に基づいて計測される「因果値」というものがあり、これまでに「滅亡」を引き起こしたセカイの中心たちは、この因果値が極端に高い傾向にあったのだという。そこで政府は秘密裏に全国民の因果値を測定し、保護に乗り切ったらしい。
「セカイの中心って、二人一組なんですよね。僕と対になるセカイの中心は、誰なんですか?」
「それは教えられない。きみと同じように、別の施設に保護されている」
「じゃあ、僕の専有領域は、どこなんですか?」
「それも教えられないんだ。理解してくれ」
僕の要求に応えられないとき、ヨシムラさんは「理解してくれ」と言った。大人の都合だとか組織の都合だとか、そういうものが複雑に絡み合っているのだろうと、僕は「理解」した。不快ではなかったのは、ヨシムラさんが変に誤魔化そうとせずに、無理なことは無理だとはっきり言ってくれたからだろう。交通ルールを理解するときのように、僕は理不尽を存外あっさりと受け入れた。
隔離施設の中は快適なもので、望むものは大抵与えられた。平日は学校があったのと同じ時間だけ、リモートで勉強させられるけれど、やることがなにもないよりましだった。あとの時間は、ずっと欲しかった最新ゲーム機と人気ソフトを手に入れたのでそれを遊んだり、思い立てば母さんに電話をかけたりした。
母さんは、しばらく憔悴していたようだったけれど、何度かビデオ電話をするうちに元気になって、笑顔を見せるようになった。
「元気にしてる? お勉強の調子はどう? ちゃんと運動もしなくちゃ駄目よ。施設のご飯は美味しい? お友達は出来た? ……」
隔離施設でお友達を作る余地はなかったけれど、母さんを心配させたくなくて、僕は嘘をついた。
「うん、友達できたよ。ここには、僕と同じような子たちがたくさんいるんだ。だから寂しくないよ。大丈夫。元気にやってるよ……」
けれどそんな嘘をついたら、今まで見ないふりをしていた寂しさが噴出して、どうしようもなくなってしまった。一人で勉強するのも一人でゲームするのも一人で食事をするのも、耐えられないほど寂しくて、限界だった。
なにかあったら言えと言われていたので、友達がほしい、とヨシムラさんに言ってみた。当然「理解してくれ」と言われるものだと思っていたのだけど、ヨシムラさんは意外にも「上に話をしてみよう」と言った。ヨシムラさんいわく、寂しさは精神状態を悪化させる因子のひとつであるから、要考慮されるのだという。
そして僕は、何人かの「セカイの中心」たちと共同生活をすることになった。彼らはみな僕と同じ年頃の子供たちで、おとなしく内向的で、閉鎖的だった。
一番気が合ったのはリョウスケだ。いつも本ばかり読んでいて、ほとんど喋らない。ゲームに誘っても、ちょっと手をつけただけで「ぼくには向いてない」と言ってやめてしまった。しかしゲームを見ているのは楽しいらしく、僕がステージを進めていると、読んでいる本からたまに顔を上げて「そこの下にアイテムがありそう」とか「このボス、異様に強いよね」とか、他愛のないコメントをよこした。その距離感が、たまらなく心地よかった。
授業も複数人合同になったので、僕は毎日リョウスケの隣の席に座った。いつも本ばかり読んでいるリョウスケは、さぞ頭が良いのだろうと思ったけれど、成績は僕と同じか僕より悪いくらいだった。
成績トップはユキという女の子で、全教科満点という英才ぶりだった。ユキはおとなしいというより、名前の通りに超クールで、僕たち男子が話しかけても素知らぬ顔だった。長い睫毛が照明を反射してきらきら輝いている。綺麗な子だった。
日々は何事もなく過ぎていく。中学三年生だった僕はやがて中学を卒業し、高校生となった。もちろん隔離施設に高校なんてものはないけれど、一応高校生っぽいことをしたいとヨシムラさんに頼んだら、割と格好良い制服を用意してくれた。僕はそれに袖を通して、母さんにビデオ電話をかけた。母さんはとても喜んでくれて、何度も何度も「おめでとう」と言った。
母さんの手料理が食べたいな、とふと思った。
誕生日や入学式、おめでたい日にはいつも、母さんはちらし寿司を作ってくれた。細かく刻んだニンジンとレンコンが入っている、つややかな酢飯。お婆ちゃん直伝の手書きのレシピでは、そこにシイタケも入れろと書いてあるはずなんだけど、僕がシイタケぎらいだから、母さんはいつもその項目を無視してくれた。
うちわで扇いで酢飯を冷やすのは僕の仕事で、母さんはその間に錦糸玉子を作る。海苔を刻んで、桜でんぶを乗せて、誕生日だからと言って奮発したときには、エビとかイクラなんかも加わって、宝石みたいなちらし寿司の完成だ。
「母さん」
画面の向こうに声をかける。
「母さんのちらし寿司が食べたいな。ヨシムラさんにお願いしておくから、作って、送ってくれない?」
母さんは少し驚いて、すぐに「分かったわ」と頷いた。ちょうど、一週間もすれば僕の誕生日だ。それに合わせて送ってくれる約束をした。
「じゃあ、よろしく」
画面に向かって手を振ると、母さんも手を振り返してくれる。いつもならばここで通話は終わるのだけど、今日に限って僕は、別れが名残惜しかった。久しぶりに母さんにわがままを言ったからかもしれない。もう少し甘えていたいという欲求と、もう高校生なんだから、マザコンだぞ。なんて自嘲する自我とがせめぎ合う。
「あのさ、母さん。ありがとう。……大好き」
愛してる、という言葉は、僕には少し過剰に思えた。母さんは嬉しそうににっこり微笑んで、「母さんも」と言う。「母さんも、愛してるわ」
それで満足して、通話の終了ボタンをクリックする。母さんの微笑みは、黒い画面に塗りつぶされて消えていった。
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