Ⅱ.未来に背負う罪

 男はくつがず、無遠慮ぶえんりょに室内に上がると、大股おおまたで目の前までやってくる。


「聞こえなかったか? 貴様が、猪口車太いのうちくるただな」

「え、違います」


 車太は間髪かんぱつ入れず全力で嘘をついた。

 目の前に居るのはどう考えても常識の範囲に居る存在ではなく、認めると厄介やっかいなことになりそうなのが明白だったからだ。

 改めて男の姿を確認する。

 この冬の只中ただなかにも関わらず、上半身は裸でレザーの黒チョッキだけを着ており、八つに割れた腹筋はそれぞれが暴力的なまでに盛り上がり、少々の銃撃なら耐えられそうなほどの見事な筋肉のかべを形成している。

 下半身はこれまた黒いジーンズで、妙にゴツい黒いアーミーブーツをいている。

 そして、何よりも印象的なのは、その風貌ふうぼう

 深い黒のサングラスに、短い黒髪をオールバックにしている、岩のような顔つき。

 どこをどう見ても、どこかの映画で見たことのあるような雰囲気であった。

 男は、じっと車太を凝視ぎょうしする。

 その瞬間、目のあたりで妙な機械のピピッという音が鳴り響き。


「私に嘘は通じない。今、解析した」

「え、今ので?!」

「私には画像照会技術が搭載とうさいされている。貴様の容姿は私のデータベースと一致した」


 さらに一歩近づく。

 そして、男は手に持ったショットガンを車太の眉間みけんに押し付け、静かに告げる。


「猪口車太。貴様を、chocolateチョーコレートする」


     *


 は?


 車太は意味が分からず茫然ぼうぜんとした表情で棒立ぼうだちになる。

 chocolate、チョーコレート。……ああ、チョコレート。

 まさに今日という日にうってつけの言葉だ。

 だが、どう見ても目の前にいる男から発せられるタイプの言葉ではないし、そもそもchocolate《チョーコレート》するという表現がおかしい。日本語的にもおかしい。

 何よりも、とてつもなく不穏な響きだ。


「待った。chocolateチョーコレートって、一体何なんだ」


 簡単に答えてくれそうな雰囲気ではなかったが、念のため聞いてみると、目の前の巨漢は初めて表情らしい表情を浮かべる。

 口角こうかくり上げニヤリと笑うと、車太の眉間から隣にある衣装ダンスに銃口を移す。


chocolateチョーコレートとはつまり、こういうことだ」

 

 轟音ごうおんと共に銃口が光り、そして。


「嘘だろ……」


 たれた衣装ダンスは、茶色い汁がにじみ出し、形が崩れ、変色し、見る見るうちに全体がドロドロに溶けていく。

 頭が痛くなるほどの甘く強烈な匂いが溢れ返り、やがて完全に溶け落ち、床にチョコ溜まりを作る。タンスの上に置いていたデジタルフォトフレームは、チョコの海で無残にも汚れてしまった。

 

「こうやってchocolateチョーコレート因子を撃ち込むことだ」

「撃たれたら僕もああなる……?」

「無論だ」


 愕然がくぜんとする車太に、男は冷たく言い渡すと、表情を戻し再び眉間に銃口を定める。

 この男に、躊躇ためらいというものは感じられない。

 このまま行くと、数秒のうちに引き金を引くのは明らかだった。

 焦りでうまく思考がまとまらない中、必死に生き残る可能性を模索する。

 何か、何かないか。この状況を打開するヒントは、ヒントは――。


「そ、そうだ。どうして僕はchocolateチョーコレートされなければならないんだ!」


 時間稼ぎにしか見えない、苦しまぎれに出てきた疑問だったが、男はふむ、と軽くうなずくと、銃を下ろし、壁に立てかける。

 そして反対の壁に寄りかかり腕を組むと、


「確かに貴様は知らなければならない。どのような理由でchocolateチョーコレートの対象となっているのかを。貴様と、その子供の罪を」


 一層低い声で前置きをすると、男は語り始める。


「貴様は天塔朱希あまとうしゅきという女との間に子供をもうける。その子はきわめて優秀で、とある事件をきっかけとし、世界統合政府というものが誕生した際、初代世界大統領に選ばれるのだ」

「お、僕の子供が、世界の大統領……?!」

「ああ。その男は非凡な科学者でもあり、人類という種を存続させ、最適な未来を与えるための理想的な道筋を教示する人工知能システム『SOURNETサワーネット』を生み出した」


 偉大なる指導者と、人智を越えた機械頭脳。

 それにより、人類はさらなる繁栄を迎えた。


「特に、世界大統領が宣布したチョコレートや酒類等、いわゆる嗜好品しこうひんの製造・販売・飲食を一切禁止する法律は人類から病を除き、健康と長寿を与えた。人類は肉体的には何のうれいもなく、満たされた状態となったのだ」

「良いことじゃないか」


 まだ見ぬ未来、子供のこととはいえ、車太は鼻が高い心持ちになった。

 しかも、相手は朱希だという。ちゃんとゴールイン出来たのも、なおのこと嬉しいものだった。


「確かに、人類は肉体的には幸福を得られた。だが、嗜好品を奪われた人類は、精神的には徐々に不安定になっていった」


 人は精神的な充足も必要であり、そのための嗜好品は、たとえ健康に悪いものであったとしても、ある程度無ければならないものであったのだ。

 世界がそれに気づいた時には、状況は既に取り返しのつかないところまで来ていた。


「ある日、限界に達した人間達によって、世界中で同時多発的に反乱が起こった。彼らは嗜好品を求め『SOURNET』が操る機械の軍隊と戦い、また、人間達とも戦った。結果、劣勢に立たされた世界統合政府は、最後の手段として核を使ったのだ」


 世界中で行われた核攻撃は、この地表に取り返しのつかないダメージを与えた。

 地球の気候はもはや人が住むには適さないほどに大きく変化し、動植物のほとんどが死に絶え、人類もシェルターに生き残ったごく一部を除き、全て根絶やしとなった。


「……残された人類には激変した地球環境で生き残る術を持たなかった。生存するためには、SOURNETの指示に従うしか無くなった」

「……僕の子供はどうなったんだ」

「死んだ。いや、断罪されたというべきか」


 車太の手が、微かに震える。


「……誰に、だ」

「残された人類の総意に、だ。SOURNETは人類という種を存続させるために存在している。SOURNETは戦火の中であって自己進化をし続けた。その結果、人の心理を読み取ることすら出来るようになった。残された人類は『ケジメ』を求めていた。それが、貴様の子供の死だった、というわけだ」

「……」


 あまりにも、酷い話だった。


「そして、SOURNETは原因を解析し始めた。その結果、貴様の子供は父親である猪口車太、貴様が甘いもの、特にチョコレートが嫌いということでその教育方針を子供にも行った結果、あのような法律を生んだのが第一の要因だと結論付けた。他にもいくつか要因はあるが……。それらを取り除くためにSOURNETは、私のようなC6H12O6型chocolaterチョーコレーターや、C12H22O11汎用型chocolaterチョーコレーター等の機械生命体アンドロイドを開発し、過去へ送り込んだのだ」

「お前のようなやつが、他にも来ているのか」

「ああ。私は特別製で、貴様と会話が出来るようにと、人の心というやつを回路に埋め込まれている。他のやつらはインプットされた使命に従い、それぞれの対象をchocolateチョーコレートする役目を担っている」


 手の震えは、全身にまで広がっていた。


「貴様がchocolateチョーコレートされる理由は理解出来ただろう。さて、済ませよう。私達は今日しかこの過去に居られない」

「……そんな話、信じられるか!」


 車太はそう叫ぶと、男と銃とのわずかな隙間すきまを低い姿勢で突進する。

 動作が一瞬遅れた大男は車太を捕まえようとするが、一瞬早く車太は銃を膝で蹴り飛ばし、そのままの勢いで外に出る。

 だが、背中を振り向く余裕すらない。

 エレベーターを待つひまもなく、足をもつれさせながら非常階段を一気に駆け下り、一階まで来ると、自転車置き場へと飛び込む。


「早く、行かないと」


 外に出ると、全速力でペダルをぐ。

 行先は一つ。彼の想い人で、自分の妻になると告げられた、朱希のマンションだった。

 chocolaterチョーコレーターとの話の中で、いくつかヒントはあった。

 何よりも重要なのは、最後に告げられた、chocolaterチョーコレーターは今日中しかいられないこと、だ。

つまり、今日一日、より正確にはあと9時間弱を逃げ切ることが出来れば、chocolateチョーコレートされずに済むということだ。

 漕ぎ続け、普段から利用している商店街へと差し掛かる。


「なんだよ、これ……」


 そこに広がっていたのは、地獄としか言いようがないものだった。

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