「あの、よかったらお茶でも……」


 その日帰宅すると、丁度お隣さんも帰ってきたところらしく、ドアの前で会ってしまった。

 何となく気まずくて、小さく「こんばんは」と口にして、急いで部屋に入ろうとした時、背後から声を掛けられた。


「貰い物のケーキがあって……一緒にいかがですか?」


 朝のこともあって、断りづらかったのと、彼女が手にしていた超有名ケーキ店の箱に誘惑されて。

 5分後、お隣さんの部屋のインターホンを押していた。


 ベランダと同じく、ジャングルのような部屋、を想像してしたのだけど。

 いくつかの観葉植物の他は、最低限の家具や生活必需品が置かれただけの、シンプルな、部屋。


 テレビすらない。

 質素と言ってもいい部屋なのに、何故か最新式の空気清浄器が置いてあるのが、妙にアンバランスだった。


「……今朝は、かばってくれて、ありがとう」


 促されるまま、行列ができる店の看板メニューであるフルーツロールケーキをいただきながら、何か話さなくちゃ、と考えていると、彼女の方から話し始めた。

「あの人、いつもあんな風に、嫌がらせばかりするの……」

「……」


 嫌がらせ、って言うほどではないと思うけど。

 捨てろ、は言いすぎだと思ったけど、確かに匂いの強い花ばかり育てているんだし。


 ……そんな風に思っていても、中々口に出来ない、気弱な自分が、恨めしい。

「だから、あなたが『捨てる必要はない』って庇ってくれて、本当に嬉しかったの」

「そんな……」


 庇ったつもりはないんだけど……ホントは迷惑って言いたいのが、言えなかっただけなのに。

「あ……そう言えば、山梔子の香り、しないですね。部屋に入れたんでしょ?」

「……」

 途端、黙り込むお隣さん。


「……せっかく、あなたがああ言って庇ってくれたんだけど、実は私の山梔子、とても大きく育っていて、自分一人では運べないのよ」


 はあ?


「ほら、山梔子って寒さ暑さに強いから、他の鉢のように室内に入れる必要があまりなくて」


 そんなこと知りません!


「で、つい大きくしてしまって」


 突然立ち上がって、窓のカーテンを開けた。


 窓越しに、白く浮かび上がる、清楚な花。


「一昨日から咲き始めたの」

 恍惚とした表情で、自慢げに話す。

「ね、綺麗でしょう?」



「……ごちそうさまでした。私、仕事持ち帰っているから」

 適当な言い訳を口にして、私は慌てて部屋を出た。

 食器もそのままにして、そもそもロールケーキも半分しか食べてこなかった。


 でもそんなことより、あの部屋の空気が、怖かった。

 

 息苦しさに窓を開けようとして、さっきの白い花を思い出す。昨晩のあの花の匂いも。

 

 昼間問い合わせたら、明日にならないとエアコンの修理はできないと言われて、明日は立ち会うために有休を取ってある。業者が来るのは、昼過ぎ。朝は忙しくない。

 カバンを掴むと、私は近所のネットカフェに向かった。

 

 今夜は、この部屋にいるのが耐えられない。

 ………あの部屋の隣に、いたくなかった。

 

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