三
「あの、よかったらお茶でも……」
その日帰宅すると、丁度お隣さんも帰ってきたところらしく、ドアの前で会ってしまった。
何となく気まずくて、小さく「こんばんは」と口にして、急いで部屋に入ろうとした時、背後から声を掛けられた。
「貰い物のケーキがあって……一緒にいかがですか?」
朝のこともあって、断りづらかったのと、彼女が手にしていた超有名ケーキ店の箱に誘惑されて。
5分後、お隣さんの部屋のインターホンを押していた。
ベランダと同じく、ジャングルのような部屋、を想像してしたのだけど。
いくつかの観葉植物の他は、最低限の家具や生活必需品が置かれただけの、シンプルな、部屋。
テレビすらない。
質素と言ってもいい部屋なのに、何故か最新式の空気清浄器が置いてあるのが、妙にアンバランスだった。
「……今朝は、かばってくれて、ありがとう」
促されるまま、行列ができる店の看板メニューであるフルーツロールケーキをいただきながら、何か話さなくちゃ、と考えていると、彼女の方から話し始めた。
「あの人、いつもあんな風に、嫌がらせばかりするの……」
「……」
嫌がらせ、って言うほどではないと思うけど。
捨てろ、は言いすぎだと思ったけど、確かに匂いの強い花ばかり育てているんだし。
……そんな風に思っていても、中々口に出来ない、気弱な自分が、恨めしい。
「だから、あなたが『捨てる必要はない』って庇ってくれて、本当に嬉しかったの」
「そんな……」
庇ったつもりはないんだけど……ホントは迷惑って言いたいのが、言えなかっただけなのに。
「あ……そう言えば、山梔子の香り、しないですね。部屋に入れたんでしょ?」
「……」
途端、黙り込むお隣さん。
「……せっかく、あなたがああ言って庇ってくれたんだけど、実は私の山梔子、とても大きく育っていて、自分一人では運べないのよ」
はあ?
「ほら、山梔子って寒さ暑さに強いから、他の鉢のように室内に入れる必要があまりなくて」
そんなこと知りません!
「で、つい大きくしてしまって」
突然立ち上がって、窓のカーテンを開けた。
窓越しに、白く浮かび上がる、清楚な花。
「一昨日から咲き始めたの」
恍惚とした表情で、自慢げに話す。
「ね、綺麗でしょう?」
「……ごちそうさまでした。私、仕事持ち帰っているから」
適当な言い訳を口にして、私は慌てて部屋を出た。
食器もそのままにして、そもそもロールケーキも半分しか食べてこなかった。
でもそんなことより、あの部屋の空気が、怖かった。
息苦しさに窓を開けようとして、さっきの白い花を思い出す。昨晩のあの花の匂いも。
昼間問い合わせたら、明日にならないとエアコンの修理はできないと言われて、明日は立ち会うために有休を取ってある。業者が来るのは、昼過ぎ。朝は忙しくない。
カバンを掴むと、私は近所のネットカフェに向かった。
今夜は、この部屋にいるのが耐えられない。
………あの部屋の隣に、いたくなかった。
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