第114話

 何とかグレンさんとジェフさんに跪くのを止めて頂いて、視界が通常通りになったところで、ほっと息を吐く。

「さてと、かなり時間を掛けちまってるが、魔王の復活は大丈夫そうかい?」

「はい、それは、大丈夫だと思います」

 前世では別れの挨拶もそこそこに、急いで封印を施したものだった。アマンダさんもそれを気にするなら、前回もその話はあって、ルードさんが急いで封印の儀に取り掛かったのだろう。実際、放置してしまえばいずれ魔王が此処に復活するのは事実だ。しかし。

「今回は溜め込んでいた力も全て一緒に滅したので、再び顕現するには、瘴気が足りません。あと二時間は充分に保つ、と思います」

「……確かに今の瘴気濃度は、魔王が解放されている状態とは思えぬほど低いですね」

 グレンさんが一族の術で解析してくれた。彼の判断も私のものと一致しているなら、本当に問題ない。

「じゃあ、イルゼ。一旦お前は治療を受けろ」

「えっ」

 急に水を向けられたイルゼちゃんが素っ頓狂な声を出し、私とアマンダさんを見比べる。

「フィオナが先だよ! 私は掠り傷で――」

「尚更だ。浅い傷なら治すのも一瞬だろ。フィオナを安心させてやらないと話が先に進まないんだ。フィオナを想うなら、一瞬だけ我慢して治癒を受けろ」

「…………分、かった」

 小さく唸った後、イルゼちゃんが頷く。私がどんなに言っても聞いてくれなかったのに。アマンダさんはすごいなぁ。変な感心を胸に、ようやくイルゼちゃんに治癒術を掛けた。頭の傷は確かに掠り傷で何ともなかった。強く打っている様子も無い。ただし背中と脇には大きな打撲があった。他にも怪我をしてるじゃない……。文句を言いたかったけど。多分、本人はまだ戦闘の高揚が残っていてよく分からないんだと思う。怒るのは止めておいた。

「そのままフィオナは、自分の肩を治癒しな。その間にあたしらは、……さて。事情を説明するか」

「おー。そうそう、全体的に、どーゆーこと?」

 呑気なルードさんの声が挟まる。私は自分の怪我の治癒が下手で時間が掛かる為、その間に済ませるつもりのようだ。

「グレン、何処まで説明したんだ?」

「何も。俺が説明をしようとしたらもう我慢が出来なかったらしく、『あれ倒すんだよな!?』と言って、頷けばそのまま飛び出して行った」

 私がルードさんの立場なら全部の説明を受けて納得し、ちょっと心の準備をしてからの参戦になったのだろうから。この代の勇者がルードさんで本当に良かったと思う。

「……まずは、謝罪から、すべきだな」

 急に重い雰囲気になって。グレンさんがルードさんの前に両膝を付いて頭を下げた。ルードさんは「え、おい」と少し困った声を漏らしたものの、アマンダさんとジェフさんは何も言わない。

 その状態で、グレンさんは淡々と語った。勇者による魔王封印の仕組み。十七年前に真実を告げず、騙してルードさんにそれを行わせた罪の告白。前世の勇者である私。魔王を恒久に封印する方法。全ての準備を終えて今日、此処へ来てルードさんを解放したこと。

「俺を信じてくれたお前を騙し、裏切ったこと……本当に、すまなかった。この場でお前に殺されても、アマンダやジェフに殺されても一向に構わない。俺は、それでも償い切れないことをした」

 そう言って、グレンさんは額を地に付けるほど低く下げた。私はハラハラして自らの治癒がちょっと遅れている。そんな私をイルゼちゃんが違う意味でハラハラして見つめていることにも気付けない。

 ルードさんは話の途中から、腕を組んで眉を顰めていた。頭を下げたグレンさんを見つめ、長い溜息を零す。それから小さく息を吸った彼が、グレンさんに厳しい目を向けた。

「結局、黙ってたことでお前が苦しんでんじゃねーかよバカ! んなら話した方がマシだったろーが!」

 アマンダさんが笑いを噛み殺したのが見えた。怒っているのは確かだけれど、その声は、内容は、グレンさんに対する憎しみなんてまるで抱いていない。

「何か良いことに繋がったっつーなら俺の犠牲も悪くなかったかな~って思えんのにさ~」

 怒っているというか。呆れているというか。しかも内容は何処までも、彼自身ではなくグレンさんを思っているように聞こえる。勇者と紹介されればそうだろうと誰もが頷きそうな、『太陽』の人。ジェフさんが例えたその言葉が本当に、ピッタリの人だ。

「……罰ならもう充分、受けたろ。俺からは別にねーよ」

 唐突に優しい声に変わって、向けられているのは私ではないのに少し泣きそうになった。グレンさんの肩が微かに震えた。「しかし」と苦しげに続けても、その先は無く。声も震えている。ルードさんは、罰を受けたがっているグレンさんを見下ろし、ちょっと首を傾けた。

「そんじゃあ、これで!」

 徐に、グレンさんの頭頂部へと、ルードさんが拳骨を一つ振り下ろす。

 軽いものじゃなくてかなり鈍い音が鳴った為、私なら頭から先が取れているような衝撃だった気はするが。グレンさんは頭を軽く撫でるだけで、呻き声も無かった。みんな丈夫だな……今持つべき感想ではない。

「ほら、しまいだ。もう済んだことはいいや。二度とすんなよ」

 痛そうな一撃だったけど、十七年の年月を奪われた重みには絶対に届かない。グレンさんを少しでも楽にする為だけに選ばれた罰だ。グレンさんもそんなことは当然分かっていて。噛み締めるように「約束する」と呟いた。

「しかし、十七年か~……お前ら、何か、いい歳の取り方してんなぁ。良いなぁ……」

 どういう感想なんだろう。

 私は自分の治癒を終え、残るみんなの怪我を順に確認・治癒していた。

「ジェフは今、家庭を持って鍛冶屋を営んでいるそうだ」

「えっ、結婚したってこと!?」

「おう、子供も二人おる。可愛いぞ」

 大袈裟なリアクションで驚いているルードさんは、ジェフさんの照れくさそうな顔にも、興味津々と言った様子だ。

「十七年も経ちゃ、そういうこともあるか。はー、そう……えっ、あの、アマンダ……?」

「……何だよ」

「お前は、あの、結婚……えっ」

 動揺と焦燥を含んだ声でルードさんがアマンダさんを窺う。何を問いたいのか、誰から見ても明らかだったのに、アマンダさんはそっぽを向いて眉を顰めていた。さっきから、アマンダさんが頑なにルードさんと目を合わせていないように思う。

「あたしは未婚だが。そんなこと別に良いだろ。フィオナ、これで治癒も終わりだね。さっさと封印の方を済ませちまおう」

「え、っと、はい……」

 急にこっちに話を振られてしまった。視界の端でルードさんがおろおろしている。私も釣られておろおろしてしまう。小さく「良いんですか」と問い掛けたら、苦笑したアマンダさんに頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。駆け寄ってきたイルゼちゃんが髪を整えてくれたが、顔を上げる頃にはアマンダさんはもう、傍を離れていた。

 実際、流石にそろそろ、封印の儀も進めなければいけない。私はルードさんを促して、大神殿の奥にある祭壇に向かう。

「では、ルードさん、あの祭壇の最奥に、勇者の大剣を突き立てて下さい」

「オッケー、此処?」

 私が頷くと、ルードさんは大剣を真っ直ぐに突き立てた。綺麗だな。私がやると歪みそうなものだ。さておき私も、勇者の短剣をその手前に同じく突き立てる。自分だけ何度もやり直す羽目にならないように、過剰に慎重に行った。

「ルードさんはただそこに立っていて頂ければ、基本的には私が全ての術を行使します……あの、何か?」

 説明していると、妙にじっとルードさんが私を見つめていたので、目を瞬いた。ルードさんは首を傾ける。

「さっき治癒してもらった時にも思ったけど、ちっさいなー。フィオナだっけ」

「は、はい」

 ちょっと後方でイルゼちゃんが睨んでいて別の緊張が膨らんできた。イルゼちゃん、剣の柄から手を離してほしい。此処にもう敵は居ない。ルードさんはそんなイルゼちゃんが目に入っていないみたいで、私を見て少し眉を下げた。優しい目だった。

「戦えない奴がこんなとこに来るのは、大変だったろうし。生まれ変わって戦えるようになって、最後は魔王をぶっ飛ばすんだからさー。お前すげーね」

「……い、いえ、その、……ありがとうございます……」

 どう受け止めれば良いのか分からなくて視線を彷徨わせた。私の反応が可笑しかったのか、ジェフさんとアマンダさんが笑っている。

「と、とにかく、封印を始めます」

 褒めて頂いておいてこの対応は良くなかったかもしれないが、ルードさんは気にする様子無く笑って頷いて、勇者の大剣に向き直った。

 私は神の石を六つ取り出して、詠唱を始める――べきなんだけど。一度、イルゼちゃんを振り返った。なんだかピリピリしていたらしいイルゼちゃんが、私と目が合うときょとんとした顔になる。

「ふ、不安だから傍に居てもらっても良い? 前世に続いてごめんなさい……」

「あはは、大歓迎だよ」

 表情を緩めたイルゼちゃんは祭壇を駆け上がり、私に寄り添うように立ってくれた。今回は命を懸けるとか何にも無いけど、大きな仕事なので不安なの。甘えるのは恥ずかしかったけれど。今は恒久の封印を滞りなく行う方が優先だ。

 改めて。詠唱を始める。神の石が一つずつ浮かび上がっては、勇者の剣の周囲にそれぞれ石板が構成され、そこに嵌め込まれていく。全ての台座が完成したところで。ルードさんから正規の勇者の力を預かって、恒久の封印の構成を始めた。

 すると、私が想定する以上に光が輝き始めて。頭上に、女神様が立った。

「ありがとう」

 女神様は短くそう言うと、私が途中まで組み上げた術を容易く、完成させてくれた。補助に来て下さったようだ。

「心優しい真の勇者。本当に、すまなかった」

 私は目を瞬いた。女神様は、私を見下ろして、悲しそうな顔をしていた。

「汝に罪など何も無い。しかしその罪の意識が汝を戦わせ、こうして世界を救ってくれた。……改めて私が断言しよう。闇属性に寄り添う魔力に、悪しき理由など無い。汝の魂は誰よりも美しく、間違いなく、勇者の器であった」

 心臓が震える。息を呑む。今、こんな場で、最後の仕事も残っているのに前世みたいに泣いてしまったらいけない。イルゼちゃんが、私の震える身体を支えるみたいに腰を抱いてくれた。

「いつかまた、神々も姿を取り戻すだろう。……我が子達よ、幾重にも傷付けてきた罪を、私は、神々は、この先も贖い続けることを約束しよう」

 この時、私は『我が子達』という言葉でふと、今までの感覚が腑に落ちた。

 神は、人が生まれる源となった存在なのではないか。そうなのであれば人にとっては親にも等しく、そして勇者の光を与えられた経験のある私とルードさんは、特に『近い』感覚になるのではないか。だから、臆病な私でも、女神様にはちゃんと向き合うことが出来たのかもしれない。……いや、今更掘り下げて、考えるべきことではない。きっともう、今世でお会いすることは無いから。

「勇者よ、最後の呪文を」

「はい」

 女神様の求めに頷いて、私はルードさんとイルゼちゃんを交互に見てから、前を向いた。

 呪文を唱える。恒久の封印が発動する。二本の勇者の剣が強い光を発し始め――。私とルードさん、そしてイルゼちゃんは、かつて見ることの叶わなかった光の先の景色を見た。

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