第113話
「フィオナ、治癒しないの? 肩、痛めたんでしょ。他に痛いところは?」
私が足元を見つめたままでじっと留まっていると、駆け寄ってきたイルゼちゃんがそう言った。顔を上げれば、いつもと変わらず私を案じている優しい錆色の瞳がある。私が何も言えずに居ると、眉が下がっていく。しかしその表情変化が彼女の額の傷に障ったらしく、微かに右の目がぴくりと震えた。
「……イルゼちゃんの怪我の方が先だよ。頭を打ったの? 眩暈は無い?」
「え、いや、打ってないから平気だよ。額の上を掠っただけ。ほら、この辺に傷あるんじゃない?」
確かに彼女が言う場所に切り傷のようなものがある。何かの瓦礫があの衝撃で飛んできたのだろうか。だが頭を打っていない保証も無い。今はまだ興奮していて分からないだけかもしれないし。
「とにかく診せて」
「私は大丈夫だよ、フィオナが先だって!」
あんまり大きな声を出して興奮しないでほしい。頭の中に怪我を負っていたら危ないから。だけどイルゼちゃんは頑なに私の怪我が先と訴えて話が進まない。私達がうだうだしている間に、アマンダさん達三人が傍に歩いてきた。
「フィオナ」
呼ばれてすぐに身体が強張った。怖かった。だけど彼女は私の反応を待たず、私を引き寄せ、抱き締めた。痛めている肩に障らないような緩さと、優しさで。
「よく頑張った。怖かっただろう。守ってやれなくてすまなかったね」
「そんな……」
すぐに言葉が続かなかった。私はそんな優しい言葉を与えてもらえる人間じゃない。闇属性を扱えることをイルゼちゃんにすら伝えず、戦いの選択肢から完全に除外し、それを使えば有利になる状況でも無視をし続けた。イルゼちゃんやみんなに嫌われたくない、怖がられたくないって思いの為に、自分の為だけに、みんなに命の危険を幾つも冒させた。どんな言葉で謝罪をしたって許されるものじゃない。
今更であっても、きちんと、自分の言葉で自分の罪を語るべきだと思った。アマンダさんの腕から逃れ、私は喉を震わせた。
「私は、ずっと、みなさんを」
「フィオナ様」
だけどその先を言わせまいとするみたいに。グレンさんが強い声で私を呼んで遮って、私の足元に跪く。
「闇属性との類稀なる相性の良さを、恐ろしく思う御心を分からないとは言いません。ですがそれはフィオナ様の性格や性質と何ら関係が無いものであることを、あなた様もよくご存じのはずです」
「……そう、ですが」
「そのようなことで、フィオナ様の印象が損なわれることなど欠片もございません。私は今も変わらず、いえ、一層、フィオナ様を敬愛しています」
跪いた状態で更に深く頭を下げられてしまって、何と言えば良いのか分からず、口をはくはくと動かした。
「グレンってそんなキャラだったかぁ?」
唐突に耳慣れない声が入って驚いた。ルードさんだった。本来であれば彼が正規の勇者であり、グレンさんにとっては更に上位の『敬愛する相手』ではないのかと思うけれど。……思い返すほど、グレンさんがルードさんに『様』を付けた記憶も無く、さっき、解放されたルードさんを連れて行く際にも敬語は無かった。しかも今、反応せず完全な無視を貫いている。ジェフさんが「お前はちょっと黙ってろ」とルードさんを後ろに引っ張っていた。
私も彼に気を取られている場合ではない。小さく首を振ってから、グレンさんを改めて見下ろす。
「それでも、私がこの力を初めから使っていたら」
「いいえ」
最後まで言わせてもらえない。素直に口を噤む私に、顔を上げたグレンさんが何処か慈しむような目を向けてくる。
「フィオナ様、闇魔法のご使用はどれほど鍛錬なさいましたか?」
聞かれて苦しい部分だったので、私はぐっと息を呑む。イルゼちゃんが、その気配を感じ取ったのか背中をそっと撫でてくれた。今でも私に優しいみんなのことが、よく分からなくて、怖くないのに怖いような、曖昧な感情が胸の奥でふわふわしていた。
「……八歳頃に初めて発動して以来、ずっと、発動はしていませんでした。二度目が、……光の魔族との戦いです」
これだけの相性があって、これだけの力があっても。私は闇属性を高めようと思わなかった。他の属性ほどの努力は全くしなかった。時折、発動寸前まで魔力を構築しては、そのまま霧散させた。上級も最上級も、詠唱無しで発動できることを確認だけして、繰り返し、落胆していた。
「だからあの時、制御を誤ったのですね」
私が、光の魔族との戦闘後に左腕を怪我していた件だ。その通りの状況だった為、また少し詰まってから頷く。初級以外、一度も発動していなかった闇魔法。色々と飛ばして最上級を発動したのだから、制御の失敗はあるだろうと思ったが。一部を暴走させて自分の腕まで焼くとは思わなかった。魔法自体が返ったわけではなく、魔力濃度の高さに自分の身体が耐えられなかっただけで済んだのは幸いだろう。
魔王を相手に闇魔法を使う予定は無かったけれど。今思えば、予行練習として丁度良かったのかもしれない。今回は暴走も無く、正しく自分の魔法として扱えた。
「そのような状況で、且つ、闇魔法の暴発の恐ろしさを思えば、周囲に人が居る状態で利用できないのは道理です」
「あれはもう、消滅魔法、だったからなぁ」
私が、今、安易に使えないという理由としては、確かに成り立つのかもしれない。
だけど子供の頃からずっと努力を怠ってきたことへの理由になるわけがない。何も言えないで俯くと、少し笑ったアマンダさんが、私の左手をそっと握った。
「この旅の目的は、ルードの解放と、魔王の恒久の封印だった。だが、あたしらは目的と同じだけ『手段』を重要視してきたよな」
安全、確実、犠牲無し。今度こそ後悔の無い、旅の終わりを。小さく頷いたら、アマンダさんも頷いた。
「フィオナはどうしてあたしらをこの旅の供に選んでくれた? 若くて強い奴は、幾らでも居たはずなのに」
初めてアマンダさんに会った日。事情を説明したらアマンダさんから同じ質問を受けたことを思い出して、思わず、顔を上げた。
「十七年前の後悔と、十七年間の苦しみを払拭させる機会をくれたこと、本当に感謝してる。『もっと安全で確実な人選もあったのに』あたしら自身の手で、ルードを取り戻させてくれて……ありがとう」
アマンダさんの声が震えていた。私の手を握る力が少し強まった。
「目的達成への効率より『心』を優先してくれたお前が、闇属性を使いたくない、その力を使わずにこの旅を全うしたいと願っていたことが、一体何の罪になる」
唇を噛み締めた。目が熱かった。私が泣き出しそうになっているのを見てアマンダさんは一層、笑みを優しくした。
「むしろあたし達は、謝罪する立場だ。それを願って戦ってきたお前に願いを叶えさせてやれなくて、悪かった。……本当に不甲斐ないよ。あたしらの願いはお前が全部、掬い上げてくれたのに」
そう言ってアマンダさんが頭を下げたら、グレンさんもまだ片膝を付いた格好のままで頭を深く下げるし、ジェフさんもその場で両膝を付いたので私はもう悲鳴が出る寸前だった。
「や、止めて下さい、その、みなさんは十二分に、して下さいました。私が我儘を今まで貫いてこれたのは、みなさんが居てくれたお陰、です」
必死に訴えたら、アマンダさんが最初に顔を上げた。眉を下げて笑う顔にはあまり元気は無いけれど。
「そう言ってくれると、少し救われる。……でも今の言葉が、あたしらの本心だ。分かってくれるね」
諭すように優しく言われて、言葉に詰まった。
アマンダさん達の言葉を、気持ちを、私が身勝手に否定することなんか出来るわけもない。私が噛み締めるみたいに「はい」って答えたら。ようやくアマンダさんがいつものように笑ってくれて、グレンさんとジェフさんも顔を上げてくれた。
「ところで……フィオナの複合属性だっけ? あの特別な魔法って、全部嘘?」
「あ、ううん。使えるのは本当」
「……本当なのですね……」
グレンさんが何だかやや引いたような声を出している。光の魔族の時にもう飲み込んでくれたと思っていたのに。
さておき、複合属性魔法の話は全部本当で、あれも私にとって『切り札』であることには変わりない。制御が儘ならず無差別であるのも事実だ。だけど唯一、嘘だったのは。
「複合属性魔法では、光の魔族に勝てる可能性は五割だった、と思います。闇属性が、ほぼ確実だった為、そちらを利用しました」
「切り札が二つあったわけだ。全く、何度でも驚かせてくれる」
アマンダさんが苦笑して肩を竦めたところで。ジェフさんとグレンさんがまだ低い位置に留まっていることにハッとして、立ち上がって頂けるように慌てて懇願した。怪我をしているわけじゃないなら、もうその姿勢は止めてほしい。
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