第112話
魔王の体躯を越えるほど長い大剣は、掲げて下ろせばもうフィオナを斬るだろう。それほどまでに、魔王は彼女の近くに迫っていた。イルゼだけでなく、全員がその身を引き千切らんばかりに足掻き、彼女を守ろうとしている。攻撃魔法が使えるイルゼとルードは幾度となく魔王に攻撃を試みるが、届くことすらない。魔王が纏う瘴気に呑まれて霧散するだけ。歩みを遅らせることすらも出来なかった。
これは見世物だ。誰の目からもフィオナが見えるように。その最期が見られるようにと魔王は位置を選んで、立ち止まる。口元に笑みを浮かべ、ゆっくりと大剣を握り直す。
――その時。ガラスが割れるような音が辺りに響いた。
「何……?」
戸惑いの声を漏らしたのは、魔王だった。明らかな動揺を見せ、フィオナから一歩、後退する。次に動いたのはフィオナだった。地面に半ば突っ伏すような状態だった彼女が、ゆったりと立ち上がる。その身体が、何にも拘束されていない。パラパラと、茨の欠片が彼女の身体から零れて落ちた。
「そんな馬鹿な、光は何も使えぬように……」
真っ直ぐ立ったフィオナは髪を整えるように左手で前髪に触れていて、表情が窺えない。右腕は先程、柱に叩き付けられた衝撃で痛めてしまったのだろうか、ぶらりと下げられたままで動く様子は無かった。不意に、彼女の足元からじわじわと、魔力が立ち上る。その気配に、魔王は喉を震わせ、大きく目を見開いた。
「まさか」
魔王がまた一歩、フィオナから離れるように後退した。
「……あなたを、自分の運命を、私が少しも憎んでいないと思っていたの?」
彼女の声とは思えない、苛立ちを含んだ色。その声が大神殿に響いた直後。魔力感知など不要と思わせるほどの巨大な魔力が一帯を覆った。それは、命ある者全てを委縮させようとするような、暗い魔力だった。
「闇魔法……!?」
「――
フィオナの足元から真っ黒の柱が立ち、それが魔王へと向かって走る。魔王は幾つもの魔法を放ち相殺を狙ったが、闇の柱は歪み一つ見せずその全てを飲み込んでいく。
魔王の叫び声が響いた。
猛々しい咆哮ではない。衝撃に耐える為の呻き声でもない。ただ恐怖に打ち震えるだけの、悲鳴。
「無詠唱の、最上級魔法……」
グレンが呟いた。その響きがフィオナにも伝わり、彼女は短く彼の方へと視線を向けたが、それはすぐに前方へと戻された。
事実、フィオナが放ったものは、闇属性の最上級魔法。詠唱も一切していない。本来、上級以上の魔法には詠唱が必須となる。人の魔力は、そのものが属性を持つわけではない。魔法を放つ時、自身の魔力に属性を付与しているのだ。付与すべき魔力が多くなるほど制御は困難になり、付与に時間が掛かる。詠唱により丁寧に属性付与を行なって固定していかなければ、上級以上は発動できない。そういうものだ。
しかし、フィオナは詠唱しなかった。即座に魔法を発動した。
そんなことは、体内にある魔力が元々その属性を帯びているほどの相性が無ければ不可能だった。しかも最上級魔法まで扱えるとなれば、『存在そのものが闇属性』と言っても過言ではない。……まるで魔王ほどの。
フィオナは少しだけ前に歩き、己の放った魔法の跡を辿った。
魔法が通った道には、何も無くなっていた。床を抉っているのにその瓦礫は砂粒ほども無い。空間消去という名の通り、そこにある全てを消し去る魔法であるらしい。神の力が宿る大神殿も、壁が最初から無かったかのように大きな穴を開けている。その道の脇に、身体の左をほぼ削り取られた状態で歪に傾いた魔王がいた。何とか、全身を呑まれることは避けたようだ。
「……勇、者が、闇魔法を、使、えるはずが」
「だから私は、勇者じゃないの」
疲れたような声で、フィオナが低く呟く。
「怖くて、黙ってただけ。今世で最初に使えた魔法は、闇属性だった」
身体の内から、光属性が逃れて外へと出るのも頷ける。対極属性である闇が、フィオナの魔力そのものと言えるほど強く、彼女に結び付いていたのだから。
魔王が何かを言おうと唇を震わせた時。その身体を背後から、黒の長剣が貫いた。魔王が消滅寸前まで傷付いたことで、他の茨も解かれ、仲間らは動けるようになっていた。
「格好良すぎでしょ、何回でも惚れ直しちゃうな」
クッと喉の奥でイルゼが笑う。身を捩れば長剣が更に身体を抉り、魔王が表情を歪ませた。
「また、しても、勇者ならざる、貴様に」
「勇者とか勇者じゃないとかしつこいんだよ。とっとと消えとけ!」
イルゼがその身体を真横へ斬り払うと同時に、魔王の頭上へルードが跳んだ。
「二度目だな。これで終いだ」
「ぐっ……!」
「
魔王は残った右腕で何か攻撃をしようとしたのだろう。しかし腕を上げようとした瞬間、フィオナが光魔法で腕を落とす。抵抗の手段を全て失い、魔王は血走った目でルードとフィオナを見やった。
「勇者、どもがああぁッ!」
叫びすらも斬り払うように、勇者の大剣が魔王を真っ二つにした。躯は床に沈むのを待たず、塵となって虚しく消えていく。
「いや、どっちなんだよ、結局」
ルードが笑いながらそう言うと、イルゼも笑った。
脅威が消えたのを確認し、ジェフがアマンダを助け起こした。瘴気に吹き飛ばされた際に少しの怪我を負っているが。それぞれ、立ち上がれないほどの怪我は無いようだ。
「……フィオナの心が紋章を拒んでいたのは、あの魔法のせいだったか」
彼女に聞こえないように、アマンダは小さく呟く。ジェフは悲しげに目を細め、フィオナを見つめた。
「魔王すら恐れるような魔法だ。持ってたフィオナが一番、怖かったのかもしれんな……」
暗い場所ではなく、フィオナは『闇』が怖いと言っていた。今なら意味が分かる。自らの魔力が、そもそも闇そのものであるような属性を持っていた。勇者であった前世を思い出さなくとも、元より臆病な気質であるフィオナには酷く恐ろしいことだったろう。そして勇者であったことを思い出せば、あれほどの罪悪感を抱えていた彼女だ。『罪があるから闇に染まっているのだ』と思い込んだとしても、不思議ではない。
「闇属性は、心が穢れているとかどうとか、関係あんのかい?」
「全く無い」
問い掛けた先は、グレンだった。既に傍まで歩いてきていたらしい。グレンは即座に首を振る。
属性は、ただの属性だ。本人の性根も、魂の質も何も関係が無い。確かに神の力や勇者の光、そして光属性とは相性が良いものではないし、実際フィオナも小さな頃は光属性が体外に押し出されてしまっていた。しかし同時に宿すことも理論上、充分に考えられる。
「そんなことはフィオナ様も、ご存じだったろうに……」
頭では分かっていても、フィオナの『心』がそれを受け入れられなかった。家族にもイルゼにも、自分が闇属性を持つことを告げられず、ひた隠しにしていた。
アマンダらが見やった先、フィオナとイルゼが何やら押し問答をしている。フィオナがイルゼの治癒を行おうとしているものの、イルゼはそれより先にフィオナの怪我を治癒してほしいと訴え、揉めているらしい。
「何にせよ最後の仕事が残っていたね」
「ああ、恒久の封印だ。それが終わらなければ、意味がない」
三人は頷き合うと、まだ不毛な争いで治癒を始めていない子らの元へと、足を進めた。
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