第111話

 ちょっと冷や冷やする雰囲気だったのに、イルゼちゃんとルードさんは示し合わせたかのように同時に踏み出し、息ぴったりで魔王に攻撃を仕掛ける。どちらかが合わせたのか、今だと思うタイミングが二人は同じなのか。笑いそうになったのを飲み込みながら周囲の魔物に対応した。しかしアマンダさんは構わず声を上げて笑っている。こちらは我慢しているのだからやめてほしい。

「くっ……貴様、何だその剣は」

「良いでしょ、神様の力なんて一つも入ってない、人間だけの力だよ」

 魔王が、イルゼちゃんの剣の特殊さに気付いたらしい。イルゼちゃん自身には私の加護が微かに入っているけど、加護を強める光の場を作り出す術が、今回は無い。だから武器はそのままの強度だ。それでも魔王の大剣と斬り結んで折られることが無いのは、ジンさんの作った剣の凄まじさを物語っている。

「イルゼちゃん!」

「うん!」

 私が叫んだらイルゼちゃんは瞬時に反応して魔王から飛び退きつつ、ルードさんを横から蹴り飛ばした。びっくりしたけど、射線を作ってくれたので機会を逃してはいけない。

雷神の咆哮エスヴィオ・ガフ!」

 雷鳴があんまり得意じゃないから、個人的には使いたくない魔法である。でも雷と光が一番、放ってから敵に到着するまでが速く、隙を付くには打って付けなのだ。背に腹は代えられない。私の放った雷属性の最上級魔法は、轟音を響かせながら真っ直ぐに魔王を狙い、直撃した。雷鳴に掻き消されてはいたものの、微かに魔王の雄叫びが混じる。

「ひーぇえ。雷の最上級ってあんなのなんだ。初めて見たぁ~」

 呑気な声で私の近くに着地したイルゼちゃんは、遠くに転がっているルードさんの心配を全くしていない様子だ。大丈夫だったかな……私はイルゼちゃんがルードさんを引っ張るか声を掛けるかしてくれると思っていたんだけど、まさか問答無用に蹴るなんて。

「蹴らなくても良かったろォ!?」

 案の定、ルードさんは起き上がるなりイルゼちゃんに抗議の声を上げる。元気そう。

「私の優しさはフィオナ限定だから知らない。女に蹴られた程度で悲鳴上げるなよ。剣士だろ」

「女でも魔王と渡り合えるような奴に蹴られたら普通は腰から折れんの!! 俺がどんだけぶっ飛んだか見てたかぁ!?」

「ふふ」

 思わず笑い声が漏れてしまったが、慌てて口元を引き締める。瓦礫から、魔王が立ち上がった。しかし身体のあちこちから黒煙と瘴気が上がり、明らかに焼け焦げている。今度はちゃんとダメージを入れられたようだ。……ただ、魔物や魔族相手なら今ので終わっていたことを考えれば、原型を留めた状態で立ち上がってくることがもう、圧倒的な存在だ。

「はは。フラフラじゃん。斬り易そうだね。……今回はひと息には殺してやらないつもりだったから丁度いいよ」

 後半の声は、私ですらゾッとするような、低くて怒りと憎しみを含めた音だった。魔王が体勢を立て直すのを待つ道理なんて当然無くて、イルゼちゃんが再び剣を向ける。まだ愚図っていたルードさんも、小さく肩を竦めてから走り出した。あんなに強く蹴り飛ばされても普通に走れるんだ……私なら全治に六か月は掛かりそう。そもそも生きてすらいないか、生き残っていても二度と走ることは出来なさそう。

 入り口からの魔族の侵入も今のところは無く、グレンさんが難なく抑えてくれている。

 内部の魔物は私とアマンダさんとジェフさんが順調に対応できていて、魔王と対等に斬り結べるイルゼちゃん、正規の勇者としての力を持つルードさん。

 さっきの最上級魔法のダメージも入っている為、魔王からはもう笑みが消えていた。

 このまま、押し切れると思った。だって他に魔王側の力になる要素が何も無い。油断して誰かが落ちるような事態でも無ければ崩されることは無い。もう時間の問題だと。――そう思ったことが『油断』なのだろうか。

 唐突に魔王が捨て鉢な動きを始め、イルゼちゃん達を払い除ける。防御を捨てたように見えた為、イルゼちゃん達の攻撃が腕と足にそれぞれ入ったが、それすら構っていない。二人は少し怪訝そうな顔で距離を取りつつ、魔王の無茶な攻撃をいなしている。私が先程考えたように、一角でも落とせれば勝機があると思ったのだろうか。二人が怪我をしていないことにホッとしたその時だった。魔王が何かを狙っていることに、ようやく気付いた。

「その剣、止めてッ!!」

 私が悲鳴のような声を出した瞬間、イルゼちゃんとルードさんがすぐに動いて、魔王が大剣を振り下ろす動作を止めようと、攻撃を仕掛けてくれた。かなり深く、二人の剣は入ったと思う。私も魔王の腕に向かって魔法を放っていた。

 だけど当たる前にそれは弾かれた。間に合わなかった。

 自らの怪我に構わず振り下ろされた大剣が床に突き刺さり、溢れ出す瘴気が全てを弾き飛ばした。周囲に居た魔物らすらも巻き込まれ、私も近くの柱に叩き付けられる。

 視界を覆い尽くし、呼吸も躊躇うほどの瘴気の暴風が大神殿内に吹き荒れた。叩き付けられた時に肩を強く打ってしまい、痛みで目がちかちかする。だけど、治癒術が使えなかった。

 瘴気が薄れ、視界が開け始めた時。

 自らの身体に、瘴気が具現化したような黒の茨が巻き付いているのが見えた。身体が全く動かない。拘束を解こうにも、光属性の魔法も使えない。おそらく治癒術と光属性魔法が指定で無効化されている。

「――準備を、していた」

 魔王の声だった。

 しかし妙に遠くへ響き、今までの声とは明らかな質の違いを感じさせる。

「ようやく至った。長かった。お前達のような小さな存在には、想像も付かない程の時間だ」

 勝ちを確信し、愉悦に浸っているのが分かる。その間に瘴気が全て晴れ、大神殿内の状態が目に入った。一人残らず倒れていた。魔物は、瘴気に取り込まれたのか、消えていた。

 中央には魔王が傷一つ無い姿で立ち、大剣を手に、何処か遠くを見ている。封印されていた長い年月を振り返り、物思いにふけっているかのように。

「女神が何を思い、千年前の二人を寄越したかのは知らぬが。……ああ、最高の『機会』だった」

 そう言うと何故か魔王は軽くイルゼちゃんを見やって、楽しそうに笑った。

 イルゼちゃんは頭から、頬まで鮮血が流れている。床に膝を付くような状態であるのを見る限り、全く動けないほどの怪我ではないと思うけれど。私と同じく彼女も茨に捕えられているから、判断が付かない。入り口に居たグレンさんも含め全員に茨が付いている。みんな藻掻もがいて抵抗の意志を見せているが、誰も拘束から逃れられそうにない。

「そこに、……蓄えて、いたんですか」

 肩の痛みに半分気が取られているせいか、思ったままの言葉が口をいて出た。私の掠れた声に、魔王がにたりと笑う。

「そうだ。勇者を喪う度に注がれる負の感情を、一箇所に潜ませていた。余の体内に蓄積してしまえば、封印の度に奪われてしまうからな」

 だから体外に集めていた。それでも本来であれば封印時に周囲の浄化と合わせて掻き消されるはずだが。……封印に、ひずみがあったのだろう。死角とも言える場所を見つけ出し、そこへ蓄えていた。この封印を完全に破壊できるだけの力が集まれば、千年に一度の解放と合わせてこのように取り込み、全てを破壊する予定だったのだろう。ただ、今はまだその時ではなかったはずだ。その証拠に。

「……破壊、できていないのでは?」

「ああ。完全な力にはまだ足りぬ。あと二、三度は封印されねばならぬと思っていたが、……事情が変わった」

 魔王封印のシステムはまだ残っていて、大神殿に神の力が感じられる。私達を殺せば解放されると思っているのだとしたら、それは間違いだ。私を殺せば結局、魔王は再封印される。そして、今解放してしまった『蓄えた力』は一緒に霧散する。

 私達が失敗すれば、近い将来……魔王の予想では二、三度の封印の後、今の封印は壊されてしまうと思っていたが。この蓄えを失う場合、むしろ大きな延長を得ることになる。だが、魔王は笑った。今回の再封印の仕組みを知らないからではない。今この場での完全勝利、完全破壊を確信して、歓喜に満ちた笑みを浮かべたのだ。

「お前達を我が元に戻してくれたこと。女神に感謝しなければなるまい」

 魔王は、私と……イルゼちゃんを指差して、高笑いをした。

「勇者ならざる少女の剣士、あの『憎しみ』が最も重かった! 得られずに逃したこと、あまりに惜しく感じていたが。それがあれば余は完全な力を手に入れる!!」

 目算が甘かったことを痛感した。

 此処で、イルゼちゃんの目の前で私を惨殺すれば、イルゼちゃんの負の感情が膨れ上がる。元々の封印を完全破壊させるほどの力なら、自動で走る再封印の力も間違いなく拒まれてしまうだろう。今、負けたらもう人類の負けなんだ。

「ふざけるなよ! お前ッ、フィオナに近付くな!!」

 イルゼちゃんが叫び、炎の魔法を放ったが、容易に防がれている。力を増した今の魔王には、イルゼちゃんの魔法でも傷一つ付けられないようだ。魔王は、私達に抵抗の力が無いのを確信して、一層の悦びを滲ませ、私にゆっくりと近付いた。

 ――ああ。

 首を垂れ、私は震える息を吐き出した。

 望みは叶わなかった。

 私は、ただイルゼちゃんの隣で生きていたいだけだった。人からすればきっと『そんなこと』と言われてしまうような、幼稚で、ちっぽけな望み。でも私はその為だけに、怖くて仕方なくても飲み込んで、命を懸けてこんなところまでやってきた。

 あなたとの明日が欲しかった。憂いなく毎日を迎え、ずっと一緒に居るという前世からの約束を果たしたかった。

 だけど私のような人間の望みなど、叶うはずがないんだって教え込まれている気がした。私はずっと、愚かに、浅はかに、利己的に、自らの願いを叶えようとしていた。

 その全てがもう届かない。魔王の足音が、もうすぐそこまで来ている。私は唇を噛み締めた。涙が一滴、頬を伝って落ちていった。

 ……捨てなければならないんだって。こんな状況にまで陥らなければ決断できない自分のことが、やっぱり、世界で一番、嫌いだ。

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