第110話 離島の大神殿
温泉地での休息は、この旅で最も長い一箇所の滞在だった。だけど控えているのが魔王戦であることは当然誰も忘れていなくて、数日はぐうたらしていたものの、武器の整備や鍛錬は徐々に増やし、最終日に向けて調整していた。そして万全と言えるだけの準備を整えて、今日、大神殿へと向かう船に乗った。
「――戦う為に大神殿行きの船に乗るのは、二度目だけど。前回より、落ち着かないや」
イルゼちゃんが、呟いた。前世のイルゼちゃんは私を心配そうにはしていたものの、本人の中に恐怖や緊張は見えなかった。それはそれで凄すぎてよく分からないけど、今のイルゼちゃんには確かに、緊張らしい気配がある。
「何だろうねぇ、あたしもだよ」
のんびりとした声だったけど、アマンダさんが同意を呟く。続いて弓の弦が弾かれる音が聞こえた。反射的に肩を震わせてしまったが、アマンダさんは弦の状態を確認していただけのようだ。昨夜も充分に武器の整備をしていたはずだけど。今もまだ繰り返しているのを見る限り、アマンダさんも普段に無い緊張を抱えているのがよく分かる。
「俺はどっちかと言えば、高揚してる。もうすぐ魔王の野郎に、十七年分の鬱憤を叩きこんでやれるんだ!」
ジェフさんが言った。いつも優しいジェフさんの目がギラギラしているように見えて、ちょっと怖い。でも味方なのだから、頼もしい、そう思うべきだ。静かな深呼吸を挟み、怯えないように努める。
そんな中、私とグレンさんは沈黙していた。
正直、私は『度合い』を言うなら前回とあまり変わらない。グレンさんも多分そうじゃないかなと思う。
少なくとも私は自分が最期を迎えることを知っていたから、戦いも勿論怖かったけれど、封印の儀も恐ろしかった。今回はそれとは違って未来のある戦いだ。心持ちは当然のように全く異なる。……それでも、恐ろしくて堪らないのは、自分が導く側だから、なのだろう。
魔王の封印解除も、ルードさんの解放も、恒久の封印も、手順を知っているのは私だけ。前回はヨルさんに導かれるまま行えば良かったものが、全部、自分に圧し掛かる。
小さく息を吐く。勇者を犠牲にした上で未来を迎えなければならなかったヨルさんやグレンさんは、もっと苦しくて、怖かったはず。
これが最後の、『善』だと胸を張る為の使命。世界の為なんて言えば、ちっぽけな私には怖くなるだけ。自分が、自分を許してあげられる未来の為に、越えなきゃいけない。
「我々が船を降りれば、この船には離岸してもらい、魔物除けの魔法水を流し始めてもらいます」
もう視認できるだけの距離に離島が迫った時、グレンさんが言った。魔王の封印を解除すれば魔物が発生し始める。すぐに溢れかえるということはないけれど、この離島が発生の起点にもなる為、私達が処理に手間取ればかなりの数が発生するはずだ。その為、今回の船はきちんと陛下にご用意して頂いた大きな船で、大量の魔法水を保持して、戦闘にも備えて国の兵士らが乗ってくれていた。
「フィオナ、どしたの?」
着岸して船から降りた後。私が少し笑ったのがイルゼちゃんには聞こえたらしい。真ん丸な目で言われて、またちょっと笑う。この状況で私が笑うというのが余程、異様に映ったみたい。
「ううん。ああして敬礼されて、前世は無駄に怯えてたなって思っただけ」
「あ~、確かに私の後ろで小さくなってたかも」
今回も船が離岸する直前、兵士や船員の方々が私達に仰々しく敬礼して下さって、恐れ多いというか、そんな大袈裟な、という居心地の悪さはあったものの。前世ほど怖い思いは無かった。その変化が今、場にそぐわず面白くなってしまっただけ。少しくらい心も成長しているといいな。
前世の私の臆病なエピソードに気が抜けたのか、みんなもちょっと苦笑していた。
さておき、魔王が解放されるまでは戦いも何も無い。緊張しっ放しだと最初に音を上げるのが私になるので、大神殿に辿り着くまでは努めて無心でいるように心掛けた。
「それでは手順通りに進めます」
最奥に辿り着き、ルードさんを見上げられる位置で私は全員を振り返る。周囲を確認していたみんなが私の方を見る。戦う際の位置取りとか、気を付けるべき場所とか、既に考えていた目だ。頼もしい。私もせめて自分の足元の安全確認はしておかないと……。
とにかく、事前に話し合っていた手順を再確認して、それぞれが配置に就く。
手が冷たくなって、少し震えていた。怖い気持ちはずっと、無くならない。私が臆病じゃなくなる日って多分、来ないと思う。目がじわじわしていて、今にも泣きそうだ。
それでも。
前世でこの場所に立ち、さよならを告げた仲間を想う。
自分が一番辛かったわけじゃない。私は少しも可哀相じゃなかった。だから、今度こそ果たさなきゃ。魔族らの封印解除よりも長い詠唱を終えて、最後の言葉を告げる為に息を大きく吸い込んだ。
「
最後ちょっと上擦ったとか今はどうでもいい。ルードさんが掲げている勇者の大剣が輝き、亀裂が広がるようにして石像にヒビが入る。表層を覆っていた石が剥がれ落ちるように、いや、溶けるように消えていく。彼が大きく、体勢を崩して大剣を下ろした。
「うわー眩しかったー。あ、グレン、封印って――……あ?」
第一声でもう分かる。記憶の喪失は無く、彼は今さっき剣を掲げて呪文を唱えたところで、記憶が止まっている。私達を見つめて、目を丸めていた。
「えっ!? 皆なんか、年食ってねえ!? っていうか人増えてねえ!?」
素直な反応に笑ってしまいそうになったけれど――。同時に膨らんだ気配に、私は喉を震わせた。
「来ます! ――
「どぉっわ! えっ、何!?」
ルードさんの真横に魔法を放ってしまって驚かせてしまったが。彼は素早く身を翻して、台座から下りてくれた。アマンダさんが即座に彼を引っ張って、グレンさんが居る後方へと押しやる――というか、突き飛ばした。感動の再会をする暇が無かったのは仕方がないにしても、扱いが雑過ぎるような気もした。
「グレンに聞け! 後から参戦しろ!」
「謝罪は後にする。俺にも仕事がある。説明するからこっちへ来い」
そう言ってグレンさんが、ルードさんを連れて大神殿の入り口へと走る。今回グレンさんには、神殿外からの魔物の侵入を防ぐ役割を担って頂くことになっていた。魔王を解放した場合、魔物が増える。それは大神殿内から増えるのではなく、既に居る魔物が増殖する方が圧倒的に多い。よって、魔王との戦闘に気を取られている間に後ろから迫られてしまうかもしれないのだ。
そんな状況を防ぐ為に、結界や罠の術を利用できるグレンさんに後ろを任せた。そうなるとグレンさんが一番、ルードさんに説明できる余裕がある。他全員は、魔王と直接対決だ。魔王の足元で、呑気に説明をする暇は無い。
魔王はまだ、身体を形成していない。瘴気が集まる。私は先程、瘴気の集まり始めに向かって光属性を放ったが。多少の時間稼ぎにしかならないようだ。ちょっとだけ足元を確認してから、改めて、前を見る。瘴気の塊が、前世に見た魔王の姿を成すと同時に、イルゼちゃんが斬り掛かった。けれど魔王はそれを悠々と、大剣で受け止める。
「……ちっ、寝起きにしては素早いオッサンだな」
「貴様、千年前の娘か。フハハハ! 女神が何を企んだ!?」
魔王は一体何がそんなに嬉しいのか。高笑いをしている。彼女から剣を向けられて笑う余裕があるだけ、魔王は、目覚めたばかりでも魔王なのだと感じて、やっぱり恐ろしい。
徐に魔王の身体がぼこぼこと波打ったと思うと、そこから魔物が生み出された。外部からの援軍はグレンさんに止めてもらえるけど、こうして魔王によって生み出されるそれは止められない。即座にアマンダさんが矢で牽制をしてくれたのにハッとして、私も魔法で応戦した。
「無制限には出せないはずです! そこまで魔力を持っていません!」
私は恐怖を誤魔化すみたいに力一杯に叫ぶ。魔王が、私を見やった。恐怖が増して、咄嗟に魔王へも魔法を放ったけれど。容易く闇属性の魔法で相殺されてしまう。
「戦えぬ勇者が、戦う力を持って再び
その言葉を止めようとするみたいに、またイルゼちゃんが剣を振り下ろす。
「今度こそ、二度と笑えなくしてやるよ、クソ野郎」
吐き捨てるように言って、素早く連撃を繰り出した。作戦ではジェフさんも魔王と近接で戦うはずだったけれど、想像以上に、魔王の生み出した眷属が多い。イルゼちゃんが戦いやすいようにか、露払いをしてくれている。私がさっき言ったように無制限ではないはずだから、一掃したら参戦できる。――だけどそれは、イルゼちゃんが一人で魔王を抑えられるなら、という前提だ。いくら魔王がまだ目覚めたばかりで力を取り戻していないと言っても。今世の私の弱い加護だけで、前世ほど圧倒できるとは思えない。
少し不安が湧き上がった瞬間。私の傍を突風が通過した。驚いたのと、異様な風圧に少しよろめく。後ろのアマンダさんがふっと笑う声が聞こえた。
ルードさんが魔王の前で跳躍し、勇者の大剣を勢いよく魔王へと振り下ろす。イルゼちゃんに気を取られていた魔王が一瞬、動揺を見せたのが分かった。躱してはいたものの、かなりギリギリだったようだ。大きく後退していく。
「よく分かんねーけど、もう一回こいつを倒せばいいのは分かったァ!!」
ええと。事情は、話さなかったのだろうか。それとも話した上で理解されなかったのだろうか。ちょっとその辺りは分からなかったものの、とにかくルードさんは参戦できるらしい。イルゼちゃんが一度、魔王から距離を取り、ルードさんの隣に立つ。
「……本当に『太陽』みたいで、勇者っぽいね。……私が一番、嫌いなタイプだ」
「えぇ!? 初対面でひでえ!」
正念場だから、仲良くしてほしいな。アマンダさんとジェフさんが、堪らない様子で声を上げて笑っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます