第109話

 昨夜、アマンダさんとジェフさんに捕まったイルゼちゃんがお酒を飲んで、ひどく酔っぱらった。別に暴れたわけじゃないし、変なこともされてはいないけど、……まあ、もういいや。とにかく昨日のことを全く覚えていないイルゼちゃんが今、私をおろおろと窺っていた。

「わ、私、昨日フィオナに何かした? 変なこと言った?」

「別に何にも……もう、お酒は飲まないでね」

「えっ、あの、フィ」

「ね」

「……はい」

 私が強めに言ったところで何も怖くないとは思うけど、私に甘いイルゼちゃんはすぐに引き下がってくれる。イルゼちゃんはお酒に強くないみたいだから、あんまり飲まない方が良いのは確か。ちなみに私も同じお酒を飲んだのだけど、酔わなかった。治癒術師は体内を侵す毒を自動で解毒する傾向にある為、同じ理由だと思う。

「アマンダさんとジェフさんは朝方まで飲んでいたみたいだから、当分起きないかな。イルゼちゃん食欲は?」

「あるよ。大丈夫、体調は問題ない」

 頷く表情に嘘も無いようだし、私達は普通に朝食を頂いた。グレンさんも昨日は帰りが遅かったから、まだ起きてこないかな。まあ、グレンさんが居ないからアマンダさん達を止められなかったというのもあるんだけど……誘われたのに応じて、「少しだけなら」と飲んだ私達も悪い。グレンさんは勿論、アマンダさん達を責めるのも違うのだろう。

「今日は西側の庭園をお散歩しようって言ってたけど、大丈夫?」

「うん、大丈夫。用意したら行こう」

 本当に二日酔いはなっていないみたい。少量のお酒で酔ったから逆に良かったのかも。いつもよりは遅い起床になったものの、私達は午前の内に宿を出て、島の西にある庭園に向かった。

「すごーい。赤い花ばっかだ」

 見える位置に着いてすぐ、イルゼちゃんがそう言って感嘆の声を漏らした。『赤の庭園』と紹介されているだけはある。庭園の花は全て赤系の色で統一されていた。私も頷いて遠くを見つめる。

「綺麗だね、あっちの赤は、少し暗いかな?」

「うん。こうして並ぶと、赤って言ってもいっぱい色があるんだって分かるねー」

 島には他にも、青の庭園と黄の庭園があると聞いている。「緑の庭園は無いのかなー」と言ったイルゼちゃんに、「全部葉っぱになっちゃうね」と言って笑った。

 どの角度から見ても庭園は美しくて楽しくて、結局、私達は今日ほとんど丸一日、この庭園で過ごした。そろそろ帰らないとグレンさんは心配するかも。赤の庭園に行くとは伝えていたものの、まさかこんなにずっと私達が此処で遊んでいるとは思わないだろう。

 勿論、この付近にも温泉はあるんだけど。……結局イルゼちゃんは一緒に温泉に入る度に目のやり場に困っているみたいだったから、ちょっと回数を控え目にしている。膝に乗る形で一緒にお風呂に入ったことが二度もあるのに、何がどう問題なのか私には分からない。問い掛けることも出来ない為、私から「散歩がしたい」と提案して別の過ごし方を求める形で収めておく。

「私はこの温泉地の方が、『貴重な経験』って言いたくなるかも。普通にソット村で過ごしてたら、知らない景色だったね」

「ははは、確かに」

 暑い地域も貴重な経験ではあったものの、そう受け止めるだけの度量が私には足りなかった。だけど此処は心地のよい空気と、のんびりとした非日常と、美しい景色が広がっていて本当に夢のよう。

「新婚旅行でまた来る?」

 不意に、イルゼちゃんが耳元で囁いた。びっくりして目を丸めて見上げてしまったけれど。悪戯に成功したみたいな顔で笑うイルゼちゃんに、私も笑った。

「うーん、ソット村からはちょっと遠いかもしれないけど……それもいいかも。イルゼちゃんとだったら、どんな遠出も大丈夫だよね」

 今の旅は、前世の後悔とか勇者の使命とか、自分の役目とか、色々考えて苦しいことも沢山ある。だけど全部終わって、もう少し自分のことを好きになれたら。イルゼちゃんと二人で、ただ幸せなだけの旅行として此処に来られるなら。うん、嬉しいかもしれない。果たす務めの先の、幸せ。前世では許されなかったこと。

「じゃあ、私達も今回は下見だね」

 私の言葉にイルゼちゃんは嬉しそうに微笑み、頷く。

「次はどの宿が良いかなー。同じ宿に泊まるのも、安心できて良いかもねー」

 確かに不慣れな場所に泊まるよりは、既に宿の方々の顔も少し覚えているから、今の宿が安心できそう。私みたいに人見知りだと特に。だけど今の宿はちょっと高そうなんだよね……値段を知らないから余計に怖くもある。私の意見に、イルゼちゃんが堪らない様子で笑っている。

「イルゼちゃんもしかして、また王様に出してもらおうって言うつもり?」

「うん」

 あっけらかんと頷いたイルゼちゃんに項垂れる。家の建築費用を少し甘えるのも心苦しいのに、更に自分達の娯楽で使ってしまおうと言うのはどうなんだろう。私の反応にまた、イルゼちゃんがからからと笑う。

「王様はさ、私達に、特にフィオナに喜んでほしいはずだよ。私はもう剣を作ってもらったけど、フィオナはまだ何にも受け取ってないし、受け取りそうにないし」

「……最初からずっと、私は我儘を聞いてもらってるよ」

「この旅を『フィオナの我儘』だなんて、誰も思ってないからねー。王様も、私も、他のみんなも」

 思ってくれていないのは、事実だと思う。私が何度訴えても誰も首を縦に振ってくれていない。『世界の為に』戦っていることにされている。私は、……私の都合でしか、ずっと戦っていない。

「フィオナが素直に受け取って、新婚旅行しますって言ったら、王様、フツーに喜んでくれると思うよ?」

 ……そうかなぁ。急に家だ旅行だと豪遊し始めて、贅沢な娘だと呆れられないだろうか。首を傾け続ける私に重ねてイルゼちゃんが笑う。

「ま、多分、事前にグレンに伝えておけば私らが何か言う必要も無いよ」

「ちょ、ちょっと。本当にそうなっちゃうよ」

「私はそのつもりだよ?」

 飄々と言ってのけるイルゼちゃん。何だかもう逃れられそうにない。「もう知らない」と言って抱き付いたら、またイルゼちゃんが笑って、背中を撫でた。宥められている。

「ねえ、フィオナ。今度こそさ」

「うん?」

 不意にイルゼちゃんの声が低くなって、笑っていた気配が薄らぐ。私は顔を上げようとしたけれど、イルゼちゃんの腕が強くなって、動けなかった。

「魔王の再封印が無事に成功したら今度こそ、一緒に村に帰れるよね?」

 前世から引き継がれている不安がイルゼちゃんの中に湧き上がっているのだと気付いて、私は腕の中に居てもハッキリ分かるように頷いた。

「うん。成功したら、一緒に帰ろう」

 返事に安心したのか、イルゼちゃんの腕が緩む。顔を上げたら、太陽が傾き始めて、赤が強まっていた。庭園も、その中に通る小道も、並ぶ建物も、空も全部が赤色に染まる。私の大好きな錆色の瞳も、いつもより色を濃くしたように見えた。

「世界で一番好きだよ、フィオナ。前世から」

 蕩けるように愛を籠めた目で見つめられて、言葉に出来ない喜びが胸の奥からじわりと広がった。

「私も、イルゼちゃんが一番好き。前世も今も、生まれてからずっと」

 ただ私は、大好きなイルゼちゃんと、この先も生きていたいだけ。一緒に居たいだけ。世界の平和よりも恒久の封印よりも、その未来の為だけに此処まで来た。

「フィオナ」

「ん?」

「最強になれるおまじないして」

 唐突なおねだりに、私は目を丸める。

「それ、イルゼちゃんも私にしてくれるんだよね?」

「え」

 私よりも目を大きく丸めたイルゼちゃんに、ちょっとした充足感を得る。彼女からの返事を待たずに私は、イルゼちゃんの頬へと口付けた。自ら求めた癖に驚いた様子で固まったイルゼちゃんが、おまじないを返してくれるまで、たっぷり三分の待ち時間があったけど。

 幸せだった。

 この為に生きていける。この為に、命を懸けられる。本気でそう思った。

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