第107話

 兵の配置の話はまるきり嘘というわけではなく、単に良い口実になっただけだ。フィオナ達がのんびりと過ごしている今、実際に国は準備に追われて大忙しであるとグレンの元に報告が来ていた。

「――おさ、本当に我々も、交替でお休みを頂いて宜しいのですか」

 導き手一族の一人がグレンに向かって不安そうに問い掛け、様子を窺っている。

「無論だ。皆、今まで本当によく働いてくれた。……次の戦いが、我が一族にとっても最後の戦いになる。それに備え、充分に休息を取ってくれ」

 フィオナ達がこの旅を始めてから、一族は情報収集を含め、常にあちこちを走り回っていた。彼らへの労いとしてもこの場は、丁度いいとグレンは思う。心身を休め、最後に備えてもらいたい。

「全てが終わった後、……私達は、どうなるのでしょうか」

 別の者がまたぽつりと不安を零す。魔王の恒久の封印は人類の存続に必要であり、今まで、封印の維持の為に働いてきた一族にとっても悲願に近い。だから恒久の封印という目的そのものには、何の疑問も無い。ただ、一族が今まで担っていたことを思えば、まるで全てを失う心地になるのかもしれない。

「皆が不安になることは無い」

 グレンは教え込むようにゆっくりと、そう告げる。

「それは長である私が、責任を持って考え、決断し、導いていくことだ」

 役目を終えたら、全てが終わるわけではない。一族が即座に解散させられ、放り出されるわけでもない。やるべきことはまだ多くある。その全てが終わった後に、どのように生きていくか。一族でゆっくりと話し合い、決めていくことが出来る。それを主導していくのが現在、一族の代表を務めるグレンの役目だ。少なくともグレン本人がそう思っている。

「ただ、ルードが、そしてアマンダとジェフがこの命をまだ許してくれるなら、ということになってしまうがな」

「長……」

 この旅の仲間として加わった時。『ルードを蘇らせて謝るまで』生かしておいてやる、と言うアマンダの言葉で一時休戦となったが。当時のことが水に流されたわけではない。何よりも、今は言葉すら無いルード本人が、彼の十七年を騙して奪ったグレンのことを許すかどうかは、分からないのだ。

 彼が殺すと言うなら受け入れなければならない。死ねと言うならば自決しなければならない。グレンは本気でそう思っている。だからこの旅の終わりに、ルード達のように自らにも未来があるとは、思っていない。

「私の考えは、幾つか書き記してある。万が一の場合には、それに従ってくれ。少なくとも王家は我々の幾千年にもわたる功績を認めて下さっている。今後の支援も、お約束して頂いた」

 今までは勇者の導き手として各祠や大神殿の管理をする名目で、一族は国から金や物資で支援されていた。しかし今後はその役目も無くなる可能性が高い。その場合、どのようにして生きていくのか。一族で話し合い、それに応じて今までの生活を変え、それが安定するまでの間。支援の手が、まだ必要だ。

 勿論、今まで培ってきた知識や技術でもって、王家の為に少しの仕事はしなければならないだろう。しかし今の国王が治めている間は少なくとも、支援の約束が反故にされることは無いはずだ。グレンの説明に、一族の者達は少しホッとした顔を見せる。

「何よりも、もう家族を、友を亡くさなくていい。……それだけでも、大きな光だ。そうだろう」

「……はい、仰る通りです」

 最初に応えた者は去年、弟を、契約術で亡くした。

 近しい者を失っていない人間が、此処にいるだろうか。そう考えてしまうほど、一族の中で、契約術による死は当たり前のことになっている。

 それが無くなる。明日も家族が、友が居る日々の方がきっと当たり前になる。それだけでこの旅に、全てを懸けて挑む価値がある。グレンだけではない、一族の者全員にとって。

「難しい話は、今は忘れ、ゆっくり休んでくれ」

 グレンの言葉に、一族の者らはそれぞれ礼を述べて立ち去った。

「あまりにも、……愚かで都合のいい夢だな」

 一人になったグレンは、夕焼けに染まる海を見つめて、目を細めた。

 自分の罪を罪と思うのに。その気持ちに変わりはないのに。グレンの中には時折、未来を想う自分が居た。

 ルードが戻ったら、アマンダ達と四人で酒を飲もう。

 この温泉地にまた、彼とも一緒に来られないだろうか。ジェフの家族も連れて。

 口から出そうになるそんな浅はかな望みを何度も飲み込んで、また空を見上げる。

「ルード、……お前にようやく、謝罪ができる」

 十七年の間に数え切れないほど大神殿を訪れ、その度に膝を折り、額を地面に付け、物言わぬ像に謝罪をぶつけるという卑怯な行いを繰り返してきた。

 彼が動き出し、掲げた大剣を自らに振り下ろしてくれるなら。――その方が、ずっといい。

「おい、グレン!」

「そんなとこに居たのか。お前、さっき言ってた酒場は何処だ?」

 物思いに耽るグレンの背中にやや乱暴な声が掛かり、彼は小さな溜息を吐いた。微かに口角に緩い笑みが浮かぶが、振り返る頃にはそれは消えていた。

「逆方向だ。……案内しよう」

 珍しい酒が置いてあるという酒場を紹介したはずが、入り組んだ場所にあるせいで、二人は道に迷っていたらしい。グレンはまた小さく息を吐き、二人と共に夕焼けを背に歩き出した。

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