第105話

 洞窟の外では、アマンダがイルゼを押さえ込んでいた。

 事前にフィオナが伝えていた『大きな音』は、耳を澄ませる必要など一切無いほどの轟音として一帯に響いた。雨のお陰で多少は音が遮られているだろうが、晴れであったならこの音は街まで届いただろう。イルゼ達の立っている場所であれば、振動まで伝わってきていたのだから。

 しかしその音の激しさと振動のせいで、反射的にイルゼは洞窟へ向かって駆け出そうとしてしまい、今、アマンダに押さえられている。

「フィオナ……!」

「まだだ、五分待つって約束したんだろう」

 もしもイルゼが全力で振り払おうとしたなら、アマンダだけでは押さえられない。今すぐに駆け付けたい思いと、フィオナと交わした約束を守りたい思いがせめぎ合って、自らでも自らを押さえている状態だ。

「五分だ!」

 全員が、時間同時に駆け出した。

 一分一秒でも早く向かいたい思いは、全員に共通する。激しい雨に濡れてしまうことも厭わず、四人は真っ直ぐ洞窟の入り口へ向かい、奥まで全速力で駆けていく。

 最奥部に至れば、元は石板があった場所の程近く。突き当たりの位置に、フィオナが小さくなって座り込んでいた。

「フィオナ!!」

「……イルゼちゃん。待ってくれてありがとう、でもやっぱりちょっと五分は短いよ」

「左腕!」

 イルゼは悲鳴のような声を上げ、フィオナの前に膝を付く。彼女の細い左腕が、形は保っているものの、明らかに焼けただれている。

「大丈夫だよ、今、治癒してるから。思ったより魔法の暴走が大きくて、制御に少し失敗しただけ」

 敵による反撃ではないらしい。元より制御が難しい複合属性魔法だ。全力で放つのは今回が初めてで、勢い余ってしまった、との説明がされた。また、フィオナは自身に治癒を掛けることが少し不得手であるようで、治癒自体は出来るものの、治すのに少し時間が掛かってしまっていると言う。

「少しだけ、待って下さい」

「はい、ゆっくりで構いません。……勝ったのですね」

 グレンの言葉にフィオナは緩く頷き、自分の右側に視線を向ける。神の石がまだ、落とされたままだった。見失わないように近くに座ったものの、治癒を優先したとのことだ。当然だと全員が頷き、神の石はグレンが丁寧に回収した。

 最初にフィオナが提案していた十分が経つ頃にはすっかりと彼女の怪我も治癒されていて、あの提案をそのまま受け入れていれば、彼女がどれほど酷い怪我を負ったのかも何も知らずに居たのだろうと、アマンダは目を細める。勿論、ローブの袖も焼け落ちているのだから、無傷と見紛うことは無かっただろうが。

「フィオナ、大丈夫? 運ぶ?」

「ううん、立てるよ」

 それでもイルゼは手を貸そうとしていたが、フィオナはそれをやんわりと断って立ち上がる。ふら付く様子は無い。みんなが心配そうに窺うのにもフィオナは無言の笑みで応え、そのまま歩き出す。

 街に戻るとグレンだけは町長らへの報告で短い時間、外していたが。やはりフィオナが心配だった為か、彼女らが部屋で着替えを済ませる頃にはもう宿へ戻ってきていた。

「どうしたフィオナ、一人で最後の魔族を倒せたっていうのに、元気が無いじゃないか」

 全ての魔族を滅し、六つ目の神の石を手に入れた。

 戦いに参加できなかった他の者達なら表情を曇らせるのはまだ分かる。しかしフィオナもまた、あまり喜んでいる様子が無い。ずっと口数が少ないのだ。アマンダの言葉に、フィオナは力無く笑った。

「……ちょっと嫌なことを言われて、堪えているだけです」

「魔族の言うことなんか気にするこたぁねえよ」

 心配そうにそう告げるジェフに、フィオナも頷いている。頭では『所詮は魔族の言うことだ』と、本人も思ってはいるのだろう。

「たっぷり食べてゆっくり休んで、忘れちまえ。頑張ったフィオナを労って、飯はあたしらが作るからな」

 そう言ってアマンダは早速、昼食を作り始めた。

 フィオナが『長く掛からない』と告げた通り、午前に封印地へ向かい、午後になる前に帰ってくることができた。雨で分からないが、本来であれば太陽が真上にある時間。晴れやかに祝いたい気持ちでいっぱいなのだけど、空がどんよりしているせいか、フィオナがどうにも落ち込んでいるせいか。みんながどれだけ明るく振る舞っても、場は思うほど明るくならなかった。

 その原因が自分にあると自覚しているせいなのだろう。フィオナは昼食後、一人で休みたいと部屋に下がった。イルゼが傍に付くことを提案しても、断られていた。

「魔族は一体、あたしらのフィオナに何を言いやがったんだ、全く……随分と萎れちまって」

「いや私のフィオナなんだけど?」

「今そんなことはどうでもいいんだよ」

 仲間内で所有を争うつもりで出した話題ではない。イルゼは口を尖らせているが、アマンダは呆れて額を押さえ、項垂れている。

「グレン」

「……何だ」

 呼ばれた彼はフィオナが気になって仕方がないのか、振り返らず、上階に繋がる階段を見つめていた。彼らの位置からは部屋の扉も見えないのに。一向に振り返らない背に不満な顔をしつつも、アマンダは続ける。

「お姫様を慰める方法を何か考えろ。このままで魔王戦に突入したくない。療養とか言って、またリゾート地でも良い。一旦、休ませられないか?」

「ああ、そいつが良い! 暑いリゾート地じゃ、気候も辛くて十分な休息じゃなかったかもしれん」

「ふむ……」

 実際、フィオナが暑さに苦しんだのは街の外での移動であり、リゾート地自体は充分に楽しんでいたのだが。彼らは今、フィオナを休ませ、慰めることを目的にしている。言い訳など、何でもいいのだろう。

「あまり大神殿から離れすぎると、移動で逆に疲れさせてしまうだろうからな……少し考えよう。陛下にも相談してみる」

 言うや否や、グレンはすぐにまた宿を出て行った。早速、一族の者とも相談して、陛下へ文を出そうと思っているようだ。

 なお、フィオナに『一人がいい』と言われたのは前世から考えても始めてのことだったイルゼは、静かに凹んでいた。一時間もすればそれは、もう消滅した光の魔族への憎しみに変わるのだけど。ふつふつと怒りを身体中から漲らせているイルゼに、アマンダがくつりと笑う。

「回り回って全部、魔王のせいだ。次にぶつければいい。次はおそらく、お前の舞台だぞ」

 魔王戦は、此処に居る全員が一度、経験している。

 ようやく真っ当に、剣で戦える相手であることは間違いない。今は石像になっているルードも解放すれば戦力になるかもしれないが、復活直後の心身の混乱がどの程度かは未知数だ。となると、近接での主戦力はイルゼで間違いない。

「あいつ、マジで二度と生まれたくないって思うくらい、ぶつ切りにしてやる……」

 唸るように呟いて、イルゼは暗くその目を光らせた。そして最強の剣の柄を強く握る。アマンダはその様子を横目に、心の中だけで魔王に「ご愁傷様」と呟いた。

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