第103話

 封印地の傍にあると聞いていた神の石碑は、洞窟の入り口の脇に建てられていた。

 私はその前に立ち、しばらくぼんやり眺めていたけれど。気が済んだらそのまま、入り口へと歩いた。

「ちょっ、待っ、フィオナ!!」

 慌てふためく声と同時に、背後からイルゼちゃんに抱き締められる。後ろに引っ張られてバランスを崩した為、今の私はほとんど自分の足では立っておらず、イルゼちゃんに凭れる形になっていた。

「イルゼちゃん? どうしたの?」

「どうしたじゃない。まだ入っちゃダメ。先にジェフとグレンが入って安全確認するから。いつもそうでしょ」

「あ」

 すっかり失念していて目を丸める。本当に今までずっとその流れだったのに今回に限って何も考えずに一番に入ろうとしてしまった。しかも警戒心の欠片も無かった。

「思考を何かで埋めていれば気は紛れるんだろうが、フィオナは一層ぼーっとするようになったね……」

 アマンダさんが呆れた声で呟く。

 そう、私はぐるぐると他のことを考えているせいで、思考以外の全てが最近はとても疎かだった。まさか封印地の洞窟に来てもへまをするとは自分でも思っていなかったけれど。

「しかしこの場合はあたしらがフォローできるから良いよ。痛みで動けなくなるより、ずっとね」

「だね。咄嗟のことで大きな声出してごめん、びっくりしたでしょ」

 イルゼちゃんはそう言って頭を撫でてくれた。確かに驚きはしたけれど、これもまたぼーっとしていたせいであまり恐怖も無かったので、軽く首を振る。まだぼんやりしている私が可笑しいのか、イルゼちゃんが少し笑みを深めた。

「では、私とジェフで中を確認して参ります。もう少しお待ち下さい」

「は、はい、お願いします」

 それだけはようやく、何とか言葉に出来た。二人が軽く頷いて、中に入り込んでいく。もう洞窟に勝手に入り込むつもりは無いのに、二人が戻るまでずっとイルゼちゃんには抱かれたままだった。ただ今回、魔物は居なかったとのことで、二人はすぐに戻ってきた。

 最奥部までは一本道だったものの、かなり深かった。そのせいだろうか。他の封印地よりも一層、ひんやりと感じられる。

 そして形状も、他より丸いというか。縦にも横にも大きな空間だった。突き当たりにぽつんと、神の石をはめ込んだ石板がある。静かに近付いてみるけれど。そこに何が見付けられるわけでもない。神の石があるだけだ。表に置かれていた墓標のように祈りの文字が書かれているわけでも、元の神の名が刻まれているわけでもなかった。

 私はその後、無言で、空間を一周した。壁沿いにのんびりと歩いてまた石板の位置まで戻る。広かったので結構な時間を掛けたが、その間、誰も何も言わずに私を見守っていた。ちなみにイルゼちゃんはずっと私の後ろをついて歩いていた。また突飛な行動をすると思って見張られていた気もする。もう子守りのようなものである。

 徐に私が壁を触ってみたら、隣で一緒にイルゼちゃんも壁を触り始める。見上げると、彼女は笑みを浮かべて私に向き直った。

「冷たいね。手、冷えちゃうよ、フィオナ」

 柔らかくそう言って、イルゼちゃんは強引でない仕草で私の手を取り、壁から離させた。代わり、自らの大きな手で包んで温めてくれる。

「ごめんね、邪魔したかな」

「ううん、大丈夫。……私はもう確認したかったことを確認できたのですが、……どうしましょう」

 グレンさん達の方を振り返って尋ねる。みんなも思い思いに歩き回っていたのか立っている位置はまばらだったが、それでも全員が足を止め、私を見ていた。三人は軽く視線を絡めてから、改めて私に顔を向ける。

「一度また、街に戻りましょうか」

「はい」

 戻る足取りはあまり軽くない。結局、こうして現地に訪れたところで『妙案』など何も無いことを、確認しただけだったからだ。しかしこれも必要なことだと思う。全ての可能性を探った上で、これしかないと納得できていなければ。私のような臆病な者は、覚悟なんて持てない。勇者の旅が、そうであったように。

「フィオナは何の確認をしたの?」

「とりあえず雰囲気と……あと、洞窟の強度かな」

 封印地の洞窟は今までの五つも全て特殊な作りになっていて、壊れたり、崩れたりしないものだった。そうでなければ魔族と洞窟内で戦うなんて生き埋めが怖くて出来ない。今回も間違いなく同じ作りなのだろうと思ってはいた。ただ、再確認したいだけの理由もあった。

「今までで一番大きい魔法を使うことになるし、無差別だから、壁にも攻撃が入っちゃうの」

 他の洞窟でも上級や最上級魔法は放っている。しかしいずれも魔族に目掛けて放っているものであり、洞窟内を攻撃する意図じゃない。だから一度も直撃していない。今回の魔法は特に強い攻撃力がある為、流石に洞窟内の壁も無傷では済まないと思っている。つまり傷付いても『崩れない』ことが肝要だ。

 しっかり一周回って確認したのはその点。全ての壁に間違いなく神の力が宿っていて、支えられている。数カ所が破壊されるくらいでは、洞窟は崩れないはず。

「……やっぱり、フィオナが一人で戦うしかないのかな」

 イルゼちゃんは弱々しく呟いた。

 私が複合属性魔法を使う前提でいると言うことは、私が一人で戦うつもりであると言うことだから。

「他の案は、思い付かないかな」

 誰も何も言わなかった。同意をしたくないと思っても、否を唱えるに足るだけのものが、何も無いから。私達はそのまま無言で、街の宿へと帰った。

「――また、近い内に雨は降るでしょうか」

 部屋に戻っても誰も口を利かない中、私は窓から青空を見上げて言った。背後には少し戸惑いの空気が流れて、グレンさんが小さな咳払いをした。

「この街は比較的、雨が多いと聞いております。あまり待つことなく雨は来るでしょうが……どうかなさいましたか?」

 昨日は小雨で、今日は晴天。私はしばらく空を見上げてから、部屋の中へ向き直る。明るい外の光で、私の不器用な笑みが見え辛かったらいいなって、思った。

「できれば、強い、雨の日が良いです。その日に行きましょう」

「フィオナ様」

 グレンさんは痛みを堪えるような表情をした。私はまたみんなに背を向ける形で、窓の外を見た。

「……決めてしまわれたのですか」

「はい」

 今回の戦いは、結局は、それだけだ。

 臆病な私が覚悟を決めるかどうか。他の方法が無いことは、女神様の言葉でほとんど確定していて。管理者さんの話を聞いても何にも打開策が無くて。みんなも分かっているのに。「決めてしまった」という言い回しは、グレンさんの、みんなの、心優しさが出ている。だけどこれは、決めなければならない覚悟だ。

「私が、一人で戦います」

 みんなが呼吸を飲み込む気配がした。安全、確実、犠牲無しをずっと掲げて進んできたのに。最後の最後で頼りない私に託さなければならない状況になるのは、優しくて勇敢なみんなにはきっと苦しくてならないんだろう。みんなの気持ちを上手に受け止めることも出来ず、背中を向けた私なんかより、ずっと。

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