第83話

 街に滞在して十数日が経過した。少しはこの気候に慣れただろうからと、三日後にはこの街を発ち、ようやく水の封印地へ向けて再び移動をする予定になっている。

「すみません、フィオナ様、いらっしゃいますか?」

 だから、グレンさんが慌てて私達の部屋に駆け込んでくるような用事は無いはずなのに。慌てた様子のノックと呼び掛け。走ってきたかのように前髪の跳ねたグレンさんに、私は目を丸めた。

「はい、グレンさん、そんなに急いで……どうされましたか?」

 なおイルゼちゃんはまた一人で散歩に出ていて不在だ。アマンダさんは部屋の端のテーブルでいつものようにお酒を傾けていらっしゃるので、私と同じく不思議そうにグレンさんを見つめている。

「国王陛下から一報が届きまして、光の封印地の管理者が判明し、説得に成功したとのことです」

「えっ」

 これ、私だけに伝える内容ではないんだけど。どうして私のところに。いや、報告はありがたい。

「かなり早い展開だったなぁ。で、わざわざその報告を急いだ理由があるのか?」

 お酒を置いたアマンダさんが、のんびりと立ち上がって私達の傍に歩いてくる。グレンさんは険しい表情で頷いた。私は彼を部屋のソファに促し、三人でテーブルを囲む形で座った。

「フィオナ様にご報告を急いだのは、確認して頂きたいことがあったからです。その前に、順を追って説明いたします」

「はい、お願いします」

 結論から言うと、管理者は町長さんだった。

 王様の派遣した調査団が例の街に到着すると、一報を受けていた町長さんに邸宅へと招かれ、詳しい事情を聞かれたという。するとその場で、町長さんは自分が管理者であることを、自ら打ち明けたのだそうだ。

「まあ、妥当な話だな。街全体で隠すなら、その中で最も影響力のある人間であるべきだ」

 私もそれは少し予想していたから、小さく頷く。

 王様が調べて下さった伝承も凡そ合致していたとのこと。管理者さんに伝わっている話では、封印されているのは神で、封印してしまったことが罪であり、封印を解けば当時を上回る天罰を受ける、と言われているらしい。

 秘匿していた理由も、神を封じたことが『他の神』に知られれば天罰が下る、また人々からも批難を受けると思い、街の外には決して漏らさぬように徹底していたのだそうだ。

「我々が探りを入れたことも町長には早い段階で報告が上がっていたとのことで、かなり不安になっておられたようです。此方は、調査団の方々が代理で謝罪して下さいました」

「そうですか……」

 調査団の方々は何も悪くないのに、申し訳ない。きっと王様がよく労って下さるとは思うけれど、機会があれば私からもお礼と謝罪を伝えたい。

 改めて町長さんには、この調査自体が『勇者の神』からの指示であり、封じられているのは神ではなく魔族なので、天罰が下ることは無いと説明して下さったそうだ。だけど、町長さん達に伝わっている情報の中にそれが魔族だったなんて話は全く無く、今も半信半疑でいらっしゃると言う。

 しかしその魔族を滅して神の石を手に入れなければいつか魔王が完全復活してしまうという話と、既にこのような封印地を四つ無事に処理したことを説明し、更に街へは累が及ばないように国から兵士を派遣して防御を強化することを王様が約束したら、ようやく協力すると言って下さったらしい。

「よって、街の方へはこれから国の兵団が向かい、封印地側の城壁に駐在させます。少し準備に時間が掛かりますので、我々はこのまま、水の封印地へと向かう予定で良いでしょう」

「はい」

 予定に変更はなし。光の方は、水の封印地から無事に神の石を回収したら向かうことになる。

 全てが順調のようだけど、……私が確認すべきことってなんだろう。小さく首を傾けたら、グレンさんはようやく本題、――いや全部が本題だけど、『急いで』報告した理由となった話に、移った。

「神の文字で刻まれたと思われる石碑が、封印地の傍にあるのだそうです。書き取って送って頂きました。……本当に、封印されているのは神ではないのか、可能な限り早く、内容を確認してほしいと」

 驚いて目を丸めた私より早く反応をしたのは、アマンダさんだった。

「はー、なるほど。確かに今まで、そのような石碑が残っていた封印地は無かったね。本当に神の文字であるなら何か、どうしても後世に残さなきゃいけない助言、または忠告かもしれないってわけだ」

 アマンダさんの言葉にグレンさんが慎重に頷き、写しであるという紙を私に差し出した。写しなのに、ちょっと緊張して丁重に受け取ってしまう。

「間違いなく……神の文字ですね」

 私は内容を改める前にまずそれだけを呟いた。けれど、その後は内容を確認するのに集中していて、グレンさんやアマンダさんの様子は見ていなかった。いつの間にか眉を寄せてしまっていた為、顔を上げたら、二人が酷く険しい顔で私を窺っていた。

「何か、悪いことが書いてあったか?」

「あ、いえ、うーん、そう……ですね、どちらとも言えません」

 質問に答えることに注力している場合ではない。内容を共有すれば、私が断言できなかった理由も伝わるだろう。

「封印されているのは間違いなく『魔族』です。ただ……元は『神』であった存在が、魔族に堕ちてしまった結果、だそうで……つまり神であったことも、間違いではありません」

「そのようなことがあるのですか?」

「はい……具体的な経緯は分かりませんが」

 実例があるのだから、起こり得るのだろう。曖昧になってしまったが、私は改めて肯定を示して頷く。

「その説明だけか?」

「いえ、ええと……そもそもこれは、語り継ぐことを目的に建てられた石碑ではない、です。もしそうであれば神の文字を利用するはずがないので」

 勇者の紋から神の知識を与えられている私を除き、神の文字が読める人間は居ない。人々が興味を持って解読をしようとしても残されているものが少ないこともあり、難しかったのだろう。もしくはそれを不敬と思い、行わなかったか。何にせよ、後世に残すつもりであったなら、管理者に語り継がせたか、人の文字で人に残させたはず。

「ですからこれは、神が、『神の為』に作った、……のようなものなんです」

 私の言葉に、グレンさんとアマンダさんは何とも言えない顔をした。

 元が、神だったのだ。魔族に堕ちてしまったからと言って、同族だった者の全てを忘れ、悪として断罪することは心情的に難しかったのだと思う。神々にそんな人間のような感情があるのかは分からない。だけど、少なくともこの石碑に刻まれた文字からは、その心が垣間見える。

「神の言葉を、そのまま人の言葉に訳すことが難しく……意訳になってしまいますが」

 形式としては、祈りと言うより、封印されている魔族――いや、魔族へ堕ちる前の神に向けた手紙のようなものだろうか。何にせよ直訳という形が難しかった為、私はそう前置きをした。

『恒久の封印という形で残酷にも縛り付け、魔から魂を解放できなかったこと。また、魔に染まるまで歪んでしまったその心に長く気付けず、あなたに寄り添えなかったことを、深く後悔している。我々はあなたを愛している。いつかあなたを解放できるだけの力、時間、機会と平和な世が訪れるまで、どうか待っていてほしい。解放できたその時は、再びあなたの魂が巡り、再会できることを願っている。例えその器が神でなくなったとしても』

 上手く言葉として繋がるように考えながら告げたので何度か詰まってしまったけれど、何とか伝わったかと思う。神らしい言葉遣い……とかまでは、考えられなかった。「あなた」ではなくて「汝」だったのかも。今あまり拘るところではない為、口を噤んだ。

「魂の解放は、滅するだけなのか? 神に戻す方法は……例えば浄化とか出来ないのか?」

 少しの沈黙の後、アマンダさんが低い声で問い掛けてくる。心苦しく感じながらも、私は首を横に振った。

「私の持つ弱い浄化魔法では到底そのような力はありません。いえ、そもそも神々がそれを成しえなかった時点で、正規の勇者であったとしても無理だと思います」

 神々に、戦う力はあまり無かった。けれど浄化や封印の力は当時が最大だったはずで、その時点でも『浄化』が叶わず、封印せざるを得なかった。ならば正規の勇者が例え複数居たとしても、魔族を『浄化』して元の姿に戻すなど、不可能なのだと思う。

「ただ、念の為、大神殿で女神様にお伺いしたいとは思います。滅する以外に無いのか。本当に滅してしまって良いのか」

 本当は、この方法しかないんだって分かってる。そうじゃなかったら女神様は私にこの使命を託しはしなかった。

 だけどもしかしたら、このように石碑を置いたのは別の神で、私達がお会いした女神様はそれを知らなかった可能性も……とか、このまま無視して旅を進めてしまったら色んな後悔をするかもしれない。少なくとも私はこのままでは妙な心残りになりそうだ。

「お会いして頂けるかは分かりませんが、再び大神殿へ立ち寄ることは可能でしょうか?」

「問題ありません。では光の封印地へ向かう前に、大神殿へ向かいましょう。お会いできない可能性があることも含め、陛下にこの旨をお伝えしておきます」

「お願いします」

 私が頭を下げたのに合わせてグレンさんも頭を下げてくれて、その後はすぐに退室して行った。元々、この神の文字を急ぎ確認してほしいと言って来たのだから、内容と方針を早く陛下にお伝えしなければならないんだろう。

「……神にも人間のような後悔が、あるんだね」

 窓の外をぼんやりと見やり、アマンダさんが呟く。私はただ黙って頷いた。……叶うなら。全ての後悔を掬い上げたい。その願いを捨てられないからこそ、私の気持ちは酷く重くなっていた。

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