第81話

 イルゼちゃん達が稽古している場所は遠く避け、街灯の届かない場所を探した。そうして辿り着いたのは、この街で最も小さいと思われる噴水。

 華やかに飾られた噴水が多いこの街で、この噴水だけはオブジェも何も無く、日中でも人はただ傍を通り過ぎていくだけで足を止めることの少ない場所だ。この時間、周辺に開いている店も無いので、人通りすら無かった。近くのベンチにそっと腰掛けて、携えていた木製の杖を腕に抱く。

「今、こんなこと考えてる場合じゃないんですよね、分かってるのに……」

 ぽつぽつと小さく杖に向かって話し掛ける。ヨルさんが此処に居たらどんな風に私のことを叱るだろう。ただでさえ頼りないんだからもっと自分の役割に集中しろって、遠回しにのんびりと突くのだろうか。

「――フィオナ様!」

 声に驚いて身体を震わせる。振り返れば、グレンさんが此方へ駆け寄ってきていた。

「此処におられましたか。アマンダが心配していましたよ」

 多分、心配だけじゃなくて相当怒っていると思う。そしてグレンさんも同じく怒っていてもおかしくないのに、彼はただ私を心配そうに見つめていて、声も優しかった。

「お手間を掛けさせてしまって、ごめんなさい」

「いえ。……紋章が痛みますか?」

「大丈夫です」

 ほっとした顔で口元に微かに笑みを浮かべたグレンさんは、控えめに私の隣に腰掛けた。今すぐに帰ろうと促してこない優しさに甘え、私もそのままで佇む。

「ヨルさんに、弱音を吐いていました」

「我が一族のヨルムント、ですか」

「はい。杖を見てると、何となく思い出すので。……変ですよね。もう、何処にも居ないのに」

 口にしてみれば、妙に情けなくて恥ずかしい。私は今も、縋れる誰かを求める子供のままだ。だけどグレンさんはゆっくりと首を横に振った。

「私にも似た経験がございます。両親の墓前で、誰にも届かず、誰も答えてくれないと知りながら。何度も一人で話をしておりました」

「ご両親は……」

「私がまだ幼かった頃に亡くなっております」

 グレンさんはいつも『一族』の方々に囲まれているけれど、そういえば、近しいご家族の話を聞いたことが一度も無い。幼い、と言うことは本当に小さな頃に亡くしてしまったのだと思う。何と言えば良いのか分からなくてただ黙ってグレンさんを見上げていたら、グレンさんは私を見て少し眉を下げた。

「一族の者の中、素質が認められた者は、以前お伝えした契約の術を行いますが。……が命を落とすのです」

 鳥肌が立った。今この話をしたということは、グレンさんのご両親はその結果で亡くなっている。そして『半数』もの人が犠牲になっても、導き手として存続するべく、きっと何千年も繰り返されていて。……犠牲は、どれほどの数になるんだろう。目の前に居るグレンさんだって、亡くなっていてもおかしくなかったのだと思うと、改めてぞっとする。

 闇の魔族と戦う時、私に契約術をさせるくらいならその存在を隠すつもりだったと言ったグレンさんは、『身体の負担』程度ではなくて私の『命』を守ろうとしていた。あの時にそれを打ち明けなかったのは、多分、アマンダさん達が導き手一族について一層、怒りを抱くと思ったからかな。

「これでも、『素質がある』と思われる者だけに限定して術を受けているのですが。明確なことが分かっておらず、この割合です。昔はもっと多かったのだと聞きます」

「そんな……」

「神の魔法と聞いて、正直、納得いたしました。本来は人の身で操れるものではなかったのですね」

 痛みを堪えるように眉を顰め、グレンさんは不器用な笑みを浮かべた。犠牲を積み重ね、その中にはご両親も含めた多くの親しい人達が居て、それが『仕方がない』ことだった理由が分かったとしても。……失いたくなかった、その気持ちを拭うことなんてきっと出来ない。

 グレンさんが言うには、その危険な契約の術を乗り越え、且つ、口伝される全ての術を会得した者だけが長を継ぐ資格を得るそうだ。

「私のような未熟者が若くして代表を務めることとなったのは、既に老いていた先代以降、全ての術を扱える者が中々現れなかったことで、それ以上の適性を求める余裕も無かったのです」

 実際、今もまだグレンさん以外には全ての術が使える人は居なくて、後継は決まっていないらしい。そういえばサリアちゃんも後継として決まっていると言われていたけれど、確か私より一つ上の十七歳だった。一族の長となるには若すぎる。だけどヨルさんがご高齢だから、一族としては何かある前に早く、と後継者を求めていたのかもしれない。

 しかしあくまでも補佐としてヨルさんと『共に』役割を務めてくれたサリアちゃんと違い、グレンさんはルードさんに勇者の紋が現れた時にはもう先代が亡くなっていて、たった一人で導かなければならなかったと言う。当時のグレンさんは二十一歳。サリアちゃんよりは年上だけど、若いことには違いない。

「正直に申しますと、勇者を導く旅は、不安で、怖くて、仕方がありませんでした」

「……グレンさんでも、そんな風に思うんですね」

 いつも冷静沈着で、動じることがなくて、とても勇敢で強くて。私の中でグレンさんはそんな人だったから、「怖い」と言うのは少し意外なことに思った。何歳であってもあの旅は「辛かった」だろうとは思うけれど。

 だけどグレンさんは私の言葉に少し笑い、首を振った。

「フィオナ様はご自身を臆病と仰られますが、充分に勇敢ですよ。あなた程の頃の私は、もっともっと臆病でした。今は、そうですね、年の功というものです」

 そういうものなのかな。グレンさんと同じ年になったら自分が落ち着いているとは思えなくて黙ると、どう思ったのか、グレンさんは何処か気遣わしげに私を窺う。

「色恋に関して私から助言は出来ませんが……」

「あっ、いえ、そ、そういう、のではなく」

 まさかグレンさんからそんな話題を振られると思っていなくて慌ててしまった。恥ずかしい。そうだよね、あんなにも空気の悪い夕食の場を作り出した直後にこんな行動をしていたら、あれが原因だって思うよね。

「その、下らないことで思考が取られて、今、本当に集中すべきこと……魔族や魔王から、思考が逸れてしまって、駄目だなって、考えていただけです」

 イルゼちゃんのことで悩んでいたというよりは、イルゼちゃんに気を取られる自分に対してちょっと罪悪感を抱いて落ち込んでいたというか。

 だけどこれはこれで、伝えられてもグレンさんは困るだろう。沈黙が落ち着かなくなってきて、もう戻りましょうって伝えようとした時だった。

「これは、未来のある旅です」

 グレンさんは静かにそう言った。

「望む幸せがおありでしょう。それが戦う理由ではありませんか? ならばその未来の、更なる幸せの為に思い悩むことが、悪いことであるわけがありません」

 私を見下ろすグレンさんは真剣な表情をしていて、私のような子供の悩みと弱音にも真摯に向き合って下さっているのが伝わってくる。

「今は、刻一刻と魔物が増えていく時代ではないのです。心が晴れるまで悩んでも、構わないのですよ」

「グレンさん……」

 情けないと呆れられても仕方がないと思うのに、私の気持ちを、私以上に大切にしようとして下さっているのが、嬉しかった。

「例えば、家族の元を離れているジェフの旅が長引くことが気になるようでしたら、休憩も兼ねて、あいつの街に一度戻ってもいいでしょうし」

 だけどあんまりにも具体的に、私の『悩む時間』を確保すべく思考を巡らせ始めるのを見ると、ちょっと笑ってしまう。グレンさんが目を丸めた。

「何か可笑しかったでしょうか」

「あ、いえ、ごめんなさい。嬉しかっただけです。アマンダさんも、グレンさんも、私にもっと我儘を言っていいって、言ってくれているようで」

「その通りです。フィオナ様はあまりご主張をなさらないので」

 私は思わず首を傾けた。そうかな。前世を思い出して以降、私はずっと、我儘を通し続けている。だから、それ以上の我儘を言い辛いと思うだけ。

「そもそもこの旅が、私の我儘から始まっていますから……」

「始まりがどうあれ、今は皆の望みであり、そして女神様の望みですよ」

 間髪入れずにそう返されてしまい、また少し笑った。本当に一生懸命に励ましてくれているのが分かるから、やっぱり嬉しかった。小さな声で「ありがとうございます」と呟く。

 さっき、アマンダさんは私のこととは関係なく勝手に怒ってるみたいな言い方をしていたけど。私にも怒らせようとしてくれていたんだって、今なら分かる。

「ちょっとだけ、我儘、考えてみます」

 そう言うと、グレンさんは何処か嬉しそうに微笑んで、頷いてくれた。

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