第80話
なお、あの後もアマンダさんを色んな方向で私なりに宥めてみたのだけど全然聞いてはもらえなくて。夕方にのんびり帰ってきたイルゼちゃんを、アマンダさんは仁王立ちで出迎えた。
「おう、浮気もん」
「へっ?」
「見知らぬ女と随分と仲睦まじい様子で何処かに消えて行ったが、申し開きはあるか?」
「はぁ!?」
イルゼちゃんが目を大きく見開いて、アマンダさんと、部屋の奥に居る私を忙しなく見比べた。ただその表情は驚愕や焦りよりも不満の色が強い。私でも察してしまったイルゼちゃんの心中を、アマンダさんが見逃すわけもなくて。
「フィオナの前で何て話を――と思ってるかもしれんが、先に見付けたのはフィオナだぞ」
「え」
「あ、あの、アマンダさん、本当に、私は気にしていないので」
何度も繰り返した言葉なのだけど、イルゼちゃんにも聞かせるつもりで改めて告げる。私が見付けて、アマンダさんに告げ口をしたように捉えられても堪らない。
「バカ言え。寂しいって言ってたろ」
「アマンダさん!」
一番、都合の悪い部分だけ切り取ってイルゼちゃんに伝えられるとは思っていなくて、慌てて声を被せたが――。鈍臭い私の反応速度では到底間に合わないし、何よりアマンダさんの方がイルゼちゃんの近くに立っていた為、まるで遮られることなく届いてしまった。イルゼちゃんは今度こそ、驚愕と焦りの表情を見せる。
「ちょっ、ちょっと待って本当に、私は浮気なんてしてないし、フィオナを寂しがらせるようなつもりは――」
イルゼちゃんはそう言うと少し前のめりになった。私の方に駆け寄ろうとしたんだと思う。どうしてかその瞬間、知らない人にくっ付かれていたイルゼちゃんの姿が脳裏を過ぎって、私は身体を引こうとしてしまった。
アマンダさんはそれを見付けたのか、それとも関係なく動いたのかは分からない。邪魔するようにイルゼちゃんの前に立つと、強引に彼女の首根っこを掴み上げた。
「な、なにを」
「他の女を触った手でフィオナに触るんじゃない」
「えっ、いや、触ったって、あれは向こうが」
「あ?」
「……いや、その」
凄むアマンダさんに、イルゼちゃんが視線を彷徨わせる。私達が見たのはほんの短いやりとりの時間だけ。「触る」が示す範囲が異なる可能性を感じて、何だか、無性に私も居心地が悪くなった。
「風呂だ。風呂に入れ。フィオナに寄るな汚物め」
「汚物!? っていうか夕食後には稽古に行くのに風呂って」
「さもなくば出て行け」
「横暴すぎ!」
イルゼちゃんは抵抗をしていたものの、アマンダさんによってお風呂場に押し込められた。そしてまるでこの展開を予想していたかのように着替えも手早く投げ込まれ、アマンダさんの手で扉が閉ざされる。再びその扉前で仁王立ちになったアマンダさんは、イルゼちゃんがお風呂をきちんと済ませるまでそこを動かないつもりのようだ。扉奥でイルゼちゃんが何か弱々しい声を出した気がしたけれど。何を言ったのかは全く分からなかった。
そうして二十分後。
お風呂から上がったイルゼちゃんは今、ベッドに腰掛けて魔法書を読んでいる私の横、ベッドの上に何故か正座している。
「フィオナ、本当に私、浮気とかじゃなくて、少し話してたくらいで」
その割に、帰りは随分と遅かった。
一瞬だけそんなことを考えてしまって、アマンダさんに毒されているような気になる。
「あのね、イルゼちゃん、私は怒ってないから」
「でも、寂しいって……」
「あれは」
どう言えばいいんだろう。誤魔化す言葉を考えてみるものの、上手く思い付かない。
「うーん、ちょっとだけだよ。イルゼちゃんはいつも一緒に居てくれるから、居ない時に寂しくなるだけっていうか」
私の言葉にイルゼちゃんは何か言いたげに口を動かしたものの、小さく唸るだけ。待ってみたけれど何も言わない。複雑な顔をしていた。
全く構わないと言われるのも、嬉しいわけではないんだろうってことは何となく察した。でもこれ以上どう言えばいいのか、私にはどうしても分からなかった。
「そろそろ夕飯だよ」
魔法書を閉じ、正座したままのイルゼちゃんを置いて立ち上がる。
「あ、えっと、フィオナ」
慌てた様子でイルゼちゃんが私の名前を呼んだ。でも私は軽く首を傾けただけで足を止めず、そのまま部屋を出る。イルゼちゃんが追ってくる気配は無い。
「本当にバカだなお前」
扉の向こうで、アマンダさんが吐き捨てるように言って私に続いて部屋を出てきた。まだ扉傍に居る私を見て、ただ軽く肩を竦めている。
「浮気なんかするわけないじゃん~……」
扉を閉ざす寸前。今までに聞いたこともないような情けない声が微かに漏れてきた。だけど私達は互いに聞こえなかった顔でそのまま階下へと向かった。
私達が食堂に下りるとグレンさんとジェフさんは既にテーブルに着いていらして、待って下さっていた。着席後、メニューを選んでいる間にイルゼちゃんも下りてきた。頻りに私を気にして視線を送ってくるのだけど――どうしたら良いのか分からなくて、目が合えばふんわりと笑っておく。
しかしイルゼちゃんの様子がいつもと違うのは明らかで、グレンさんとジェフさんは不思議そうにアマンダさんを窺った。
「ああ、イルゼが浮気してな、離婚調停中だ」
「浮気してないってば!」
離婚調停中でもない。そもそも結婚をしていないし、何を調停するつもりなのだろう。ジェフさんが大笑いをして私が口を挟む隙は無かったけれど、言うべき言葉も思い付かなかったのでむしろ良かった。
「お前さんは格好いいからなぁ、イイ女がいっぱい寄って来るんだろう。誘惑が多いなぁ!」
「誘惑とか何も無いから!」
グレンさんは早速運ばれてきた食事に早々に手を付け、無言を貫いている。それが一番賢い。ただ私も苦笑いするだけで、当事者なのに無言になっていた。こちらはあまり賢くない対応だとは分かっている。
食後も私が立ち上がったら、またイルゼちゃんは何か言いたげに私を仰ぎ見た。
「今夜も稽古がんばってね。無理しないでね」
「う、うん」
私の方が先に喋ってしまったせいだろうか。イルゼちゃんは何も言おうとしない。彼女の戸惑いも何も見えない振りでそのまま私は部屋に戻った。アマンダさんが笑っている気がするけれど、それも気にしないようにした。
部屋に戻って窓の外を覗けば、丁度、ジェフさんと一緒にイルゼちゃんが稽古に行くところだった。その背をぼんやりと見つめる。
しばらくそのまま外を眺めていた私は、アマンダさんがお風呂に入っている隙にそっと部屋を出た。後できっと酷く怒られるだろう。
だけど今はどうしても、この場所じゃなくて、……何処か、暗いところに行きたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます