第79話
もう少し乾燥した地帯に行くと夜にはぐっと気温が下がることもあると聞くけれど、この地域は夜も変わらず暑かった。
「うーん、暑い。寝れるかな」
「……お前ら」
「ん?」
「別々に寝るという選択肢があるんだぞ」
いつも通り同じベッドに入った私達に、アマンダさんはすごく嫌そうな顔をしてそう言った。宿はきちんと人数通りの設定で取って頂いている為、必ずベッドは人数分、用意されている。私とイルゼちゃんが勝手に一つのベッドを使っているだけ。つまり今日もそれぞれ一人で寝ることは可能だったのだ。考えもしなかった。……という点を、指摘されているのも分かっている。慌ててアマンダさんから、顔を背けた。
「イルゼちゃんが、暑いなら、私は別々でも――」
「えっ」
しかしこんな指摘をイルゼちゃんが気恥ずかしく思うはずがなくて。私の言葉に衝撃を受けた様子で振り返る。
「フィオナは、別の方が、寝れる……?」
衝撃と言うか、絶望の顔をしている。
そんな風に言われたら、頷くのが難しくなった。私は「イルゼちゃんが」って言ったのに。ううん、相手に理由を求める時点で、私達はお互い様なのかもしれない。既にアマンダさんの気配がうんざりしているのを感じながら、私は小さく唸る。
「……イルゼちゃんが大丈夫なら、一緒がいい、かな」
「私も一緒がいい」
「もう好きにしろ。指摘したせいで余計に暑い」
本当にごめんなさい。謝罪の気持ちはあるけれど。ぎゅっと閉じ込めるみたいに私を引き寄せたイルゼちゃんの温もりに、やっぱり私も、彼女の腕の中が良いと思ってしまった。救いようのない話だ。
この滞在がアマンダさんの充分な休息になってくれるのか、改めて不安になった。
だけどいつも困惑したり文句を言ったりしながらも受け入れてくれていたアマンダさんは、結局この日以降は何も言わず、戸惑った顔もしない。あと、この街のお酒と食事が随分と気に入ったみたいで、日々をご機嫌に過ごしている様子だ。
「なんだ。今日は部屋に居るのか」
既に五日ほど街に滞在していた昼下がり。私は一人、窓際で涼んでいた。アマンダさんは買い出しから戻ってきたらしく、ゴン、と重たい音を響かせ、お酒を部屋の棚に置いた。
「昨日、少し日差しに当たり過ぎてしまったみたいで、少し熱っぽくて」
「なるほど、慣れないと本当に危ないんだね。水分はちゃんと取っているね?」
「ふふ。はい、気を付けています」
熱っぽいと最初に気付いたのはイルゼちゃん。そして報告を受けたグレンさんがすぐにお医者さんを呼んでくれた。軽い熱中症だった。昨日の内にしっかり水分を取れていなかったのか、遅れて症状が出たみたい。
イルゼちゃんは勿論のこと、グレンさんにもしっかり水分補給をして涼しい場所で休むように懇々と言われた為、いつになく気を付けて水分補給をしている。ちなみにアマンダさんは朝早くから買い物に行っていて居なかった。曰く、買い物は涼しい時間に限る、とのこと。それはそう。日中は市場が賑わう分、人通りも多くて、余計に暑いのだ。そろそろ一番暑い時間に差し掛かるから、アマンダさんはそれを避けて帰ってきたみたい。
「で、心配性で過保護のイルゼが何で居ないんだ」
イルゼちゃんに二つも付けられた形容詞に対し、私は「そんなことない」と否定が出来ずに苦笑した。
「熱はそんなに高くないですし、大人しく部屋に居ると言ったら出掛けていきました。気候に慣れる為にも、多く外に出ていたいんだと思います」
私が一緒に居ると、私のペースでしか動けない。それではイルゼちゃんにとっては運動量が少なくて、気候に慣れるには不十分に感じているんだと思う。だけど稽古をする夜になったら、昼と比べると少し気温が落ちてしまう。
「なるほどね、真面目なこった」
アマンダさんはそう言って笑うと、まだまだ日が高い時間にも拘らずお酒の瓶を傾け、コップに注いでいる。今日は随分と、甘い香りのするお酒を選んだらしい。ただ、瓶の表記を盗み見る限り、度数はちっとも可愛いものではなかった。お酒に多少酔っても飲まれる人ではない為、特に苦言を呈すつもりは無い。普段から色々と気苦労を掛けているから、偶には羽目を外してゆっくりしてほしいのも本心だ。
そんなことを思いながら、私は不意に窓の外へと目を向ける。そして、悲しいかな偶然見つけてしまった光景に。外なんて見なければ良かったなと後悔をして私は小さく溜息を吐いた。
「物憂げな顔してどうした? なんか見える――」
「あ」
いつもは日が差し込まない部屋の奥でお酒を飲んでいるのに、どうして近くまで来たのだろう。驚いて振り返ったら、私の視線の先をしっかりと捉えてしまったアマンダさんがぎゅっと眉を寄せていた。
「……あいつ何してんだ」
怒りが向けられているのは私ではないのに、叱られた子供みたいに口を噤んでしまう。
今、宿の前の通りにはイルゼちゃんが立っている。帰ってきたのか、散歩途中に偶々通り掛かったのかは分からない。私も見付けたばかりだから、経緯は分かりようもないのだけど……とにかく今イルゼちゃんが、知らない女性と立ち話をしていた。
女性は妙に距離が近く、イルゼちゃんは少し困った顔をしている。ただ、それなりに笑顔で対応しているので満更でないようにも、見えなくはない。
「浮気か?」
「い、いや、そんな」
「鼻の下を伸ばしてるぞ。殴ってきてやろうか」
「だめですって」
言っている間に、イルゼちゃんは女性に腕を引かれ、何処かへの移動を促されている。本人は少しの抵抗を見せていたものの、強く拒絶はしなかったようだ。結局その女性に付いて歩き始めた。
「はあ!? あいつ何でついて行くんだ! バカか!」
「アマンダさん落ち着いて下さい……」
一瞬、イルゼちゃんの動きに目を取られて呆けていたものの、アマンダさんが大声を出したので思考が戻る。正直、アマンダさんがあんまりにも騒ぐから少し冷静になれていた気もする。
「今ならまだ矢が届く!」
「ぜ、絶対にだめです!」
冗談だと思ったのに本当に弓へと手を伸ばしたから大慌てでアマンダさんの身体にしがみ付いた。こんな街中で弓を射ってしまったら大騒ぎになる。真っ青になり、ぎゅっと彼女の身体に抱き付く。アマンダさんなら私の非力な拘束など障害にもならないと思うけど、少し身じろいだだけで、私を振り払うことは無かった。
そうこうしている内にイルゼちゃん達が見えなくなったので、アマンダさんも弓を手放し、腰を下ろしてくれた。少し、居心地の悪い沈黙が落ちる。不意に強い風が部屋に入り込み、大きく揺れたカーテンを互いに押さえたところで、アマンダさんが溜息を吐いた。
「お前も、嫌なら嫌って言えばいいだろ」
「別に……そういうつもりじゃ」
少なくともアマンダさんが見せたような苛烈な感情を私は抱いていない。嫌などと、明確に言えるほどの思いも無い。それをどう説明すればいいのか分からなくて、少し首を傾ける。
「それに、私とは『そういう関係』であるわけじゃないので、どうこう言うことでも、ないなぁと」
「いや分からん。お前らの言う『結婚』って、じゃあ何なんだ」
尤も過ぎる指摘に、思わず無防備に苦笑いを漏らし、くたりと項垂れた。
「何なんでしょうね……」
「おいおい」
当然、アマンダさんは呆れた顔をしている。しかしそれは、私がずっと前から抱えてきた疑問なのだ。答えられるわけもなかった。
「立場云々はともかく、あんなのを見て、嫌な気にならないのか」
「嫌な気持ち、というか……寂しく思うことは、あります。私だけじゃ埋められないものが、イルゼちゃんの中にあるんだろうなって」
どう贔屓目に見たとしても私達は、恋仲ではない。家族でもなく姉妹でもなく。だけどその誰とよりも強く繋がっていたい、共に在りたいという意思だけは確かに互いの間にあって、……それを何と呼ぶべきものなのか、私は良く分からない。
煮え切らない言葉しか紡げない私を見兼ねたのか、アマンダさんが肩を竦めた。
「ふん。あたしには理解できないね。とりあえずフィオナってもんがありながら鼻の下を伸ばして他の女について行ったあいつが気に入らん。帰って来たら殴る」
「アマンダさん……」
宥めるように名前を呼びながらも。もし、自分にもそのような強い感情と行動力があったなら、この曖昧な関係も無かったんだろうなとは、少し思った。
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