第77話
夜中に突然、痛んだ紋章も朝になると何ともなくて。私達は予定通りアシムを発った。ちなみに麓に下りるにも階段であるのは避けようがなく、下りとは言え、負担の掛かり方が違うだけだ。途中からちょっと足元は頼りなくなっていた。
「この辺りで少し休憩にしましょう」
「すみません……」
毎度のことだけど、申し訳ない思いはいつもある。イルゼちゃんは笑いながら頭を撫でてくれた。一方、呆れた顔でアマンダさんが溜息を一つ。
「あんたはそもそも魔術師だろう。あたしらと同等の体力なんざ、付けられた方が困るよ」
それはそうだろうし、私も同等とまで望んでいるつもりはない。だけど一般人よりも輪を掛けて体力が無い為、みんなと比べてしまえば大き過ぎる体力差を、もどかしく感じさせてしまうのではと不安になるのだ。
「頑張ってると思うけどねぇ」
私の言葉に、アマンダさんは少し不思議そうにそう言う。続けてグレンさんも頷いた。
「フィオナ様は、私達の想像以上によく動いていらっしゃいますよ。私の知る範囲の若い娘は、そもそもこのような外の旅には出られません。一日二日で音を上げ、家に帰ります」
それは流石に、極端な例じゃないのかな。そう思ったけど、アマンダさんは頷きながら大きな声で笑う。
「いや実際、あたしもそういう印象なんだよなぁ」
「そういえば、麓からアマンダの村まで日が暮れる前に登りきったって話も、俺はたまげたがなぁ」
ジェフさんは不意に何処か感じ入るように言った。それに応じて、アマンダさんもまた頷く。
「あんたら、当日の朝から登り始めたんだろう?」
「うん」
イルゼちゃんが代わりに頷いてくれた。私は目を丸める。だけど麓の人達は、一番登りやすい道だって教えてくれたはず。それなら私以外の人には、そこまで大変な道じゃないんだと思ったのに。
「いやいや。そりゃロープもしっかり沿わせてあって『登りやすく』はあっただろうが、『楽な道』だとはあたしでも言わないよ。大体、途中で幾つか小屋があったろう。体力に自信がない奴は、その辺で一泊するんだよ」
「えぇ……」
確かに、中腹に二、三の小屋はあった。疲れたら自由に休んで構わない場所だからとは聞いていたものの、一泊する場所とは思わなかった。
「フィオナは本当にずっと私と一緒に育ってきたからなぁ。比較対象が悪いと思うよ」
苦笑しながらイルゼちゃんが私を見やる。繰り返すが、流石にイルゼちゃんみたいに、とまでは思っていない。……でも確かに、一番近しい人がイルゼちゃんで、前世でも他に近しい人を上げるならお兄ちゃん達になるから、比較にならない。私が想像する『一般』が、本当のそれと少しずれているのかな。うーん、でも両親にも体力が無い子だと心配されたことがあるので、うーん。
首を傾げる私に、みんなは苦笑していた。
「とにかく。あたしらはあんたを足手纏いだとか全く思ってないんだ。あんまり気に病むんじゃない」
「は、はい。ありがとうございます」
実際、私がどれだけ疲れ果ててみんなの足を止めてしまっても、嫌な顔をされたことは一度も無い。私が気に病むほどに優しいみんなを困らせてしまうようだ。
ちょっとでも頑張りたいって気持ちはあるけど。無理をして倒れたらもっと迷惑を掛けるし……。
少し逡巡した後、私はローブ下の腰付近に隠し持っていた二冊の魔法書を取り出した。
「イルゼちゃん……麓までこれ、持っててほしい……」
「あはは! もう、いつの間にこんなとこに本入れてたの? っていうか、荷車に乗せなよ。私も持てるけど」
「まだ余裕はありますよ、お入れ下さい」
グレンさんもちょっと声が笑っている。そして受け取った魔法書を、丁寧に荷車の端に入れてくれた。
「体力も無いのに、何で手荷物を増やしてたんだよ、あんたは」
「すみません……」
どうしても気になった魔法書をアシムで購入してしまった。王都でも散々、本の購入は我慢したはずなのに、おそらくは二度と来られないだろう村で珍しい魔法書があったから……! 恥ずかしながら吐露したら、みんな苦笑していた。本当にごめんなさい。でも怒られはしなかった。
「こういう風に、沢山甘えてね、フィオナ。みんなに言い難くても、私にくらいさ」
「……うん、ありがとう」
優しく撫でてくれる手が、嬉しい。だけど甘えても甘えてもイルゼちゃんはいつも「もっといいよ」と笑うから。何処かで止めないと、きっと前世みたいに、どうしようもない人間になってしまう。
ただ、やっぱり頑張り過ぎて逆に迷惑を掛けないようには、気を付けようと考えを改めた。
休憩を多く取って頂いたお陰で、麓に到着した時、少しお尻付近の筋肉に張りは感じつつも、真っ直ぐ立てない程の疲労は無かった。宿までは大丈夫です。夕方の買い出しは、お願いしたけれど。
私を宿に入れるとみんなはそれぞれ出掛けて行った。元気だなぁ……。この麓の町も明日には出発の予定で、その準備や補給の為に動いてくれているのだ。私の今の役目はしっかりと休息し、明日以降にも必要以上に足を引っ張らないことだろう。
早めに湯浴みも済ませ、ベッドに座ってボーっと窓の外を眺めた。角度的に町並みは見えない。窓に切り取られた小さな空を眺めるだけ。そんな時間をどれだけ過ごしていたのだろう。最初に部屋へと戻ってきたのはイルゼちゃんだった。
「おかりなさい」
「うん、ただいま。もうお風呂済ませたの?」
私が着替えていたから察したらしい、頷いて、眠れるなら少し寝てしまおうと思っていたことを告げる。結局、眠気は来なかったからこうしてボーっとしていたんだけど。イルゼちゃんは「そっか」とだけ言った。
そのままイルゼちゃんは軽装になるべく防具を弄り始める。私は窓の外を見るという無意味な行動を再開した。特に執着があったわけじゃない。顔を元の向きにしたら空が目に入って、そのまま見上げただけ。
私にとってはそれだけなのに、イルゼちゃんにはそう映らなかったらしい。軽装になったイルゼちゃんは私に気付くと、背後から、私を閉じ込めるみたいに抱き締めた。こうして引き寄せられると私の小さな身体はいつもすっぽり彼女の腕の中だ。
「イルゼちゃん?」
「……何か、考え事?」
傍から見たら、普段からぼんやりしている私が更にぼんやりしているようにしか見えないだろうに、イルゼちゃんからは深刻に考え込んでいるように見えたみたい。
「特に何も」
「そう?」
私を腕に抱いたまま、イルゼちゃんは真後ろに座り直した。このまま私を抱いているつもりらしい。温かい腕に身を任せ、イルゼちゃんの身体に凭れて力を抜いた。
「本当に、大したことは考えてないよ。なんだか旅も、あと少しみたいな気持ちになって」
魔族がまだ二体も残っていて、魔王戦も控えているというのに楽観的なことだ。
地の魔族が、自分が何もしなくても終わった感覚が大きいせいで、こんな風に思うのだろうか。
ぬくぬくと守られ、助けられ。気が付いたら前世のように目の前に大神殿があるような状態になるのかも。
流石にそれを享受するつもりはないし、私の出来る限りで頑張りたい。でも、ちょっとそんなことを考えてしまったからか、前世のことを思い出していた。ぽつぽつと私が語ると、イルゼちゃんの腕の力が、強まる。
「さっきもみんなが言ったけど。フィオナは今も充分すぎるくらい、頑張ってるよ」
本当に、そうなのかな。
私は何度だってそれを疑問に思う。みんなが甘いだけで、本当はもっと頑張らないといけないんじゃないか、旅の終わりにまた後悔をしてしまうんじゃないかって、漠然とした不安がいつも纏わり付いた。
「お願いだから、辛いことを隠して飲み込まないで。私が居るよ。どんな時も絶対に傍に居るから。一緒に、背負わせて」
懇願するみたいなイルゼちゃんの声に、口元が緩む。イルゼちゃんはずっと、私に優しくて甘い。
「ありがとう。イルゼちゃんがいつも傍に居てくれるから、ずっと頑張れてるんだよ」
居てくれなかったら、今世の私も前世以上に何も出来なくて、色んなものから逃げることしか出来なかったと思う。傍に居てくれるだけで色んな元気とか勇気とか、前に進む覚悟を持てるようになった。
「これ、きっとイルゼちゃんの加護だね」
思い付いた言葉が言い得て妙だと思って、ちょっと弾んだ声で言った。私を見下ろすイルゼちゃんは目を真ん丸にしてから、ふっと力が抜けたように笑う。
ごめんね。真剣に話してくれていたはずなんだけど。思い付いちゃったから。でも本当に、加護だと思う。私はいつも、あなたから色んな力を貰ってる。
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