第66話 王都 西の森

「兄貴の夢?」

「うん、リベルトお兄ちゃんの夢」

 私達は今、王都の西側に広がる森へと向かっている。でも平原部は魔物の気配が無かった為、のんびりと話しながら歩いていた。イルゼちゃんがはっきりと表情を歪めたことを、私は先日買った新しいブーツの履き心地を考えながら俯いていた為、見落とした。

「どんな夢だったの」

「うーん、あんまり覚えてない。お兄ちゃんと少しお話して、抱っこしてもらった」

 その時、少し後ろで歩いているアマンダさんが変な咳払いをした。何だろう。軽く振り返るも、アマンダさんは口元を押さえながら、何でもないと言いたげに手を振る。大丈夫なのかな。首を傾げつつ、再び前を向く。

「ふふ、でもね、最後はイルゼちゃんが迎えに来てくれて、一緒に稽古場に行くの。前世の日常みたいだったな」

「……そっか」

 最後のシーンに、リベルトお兄ちゃんはもう居なかった。イルゼちゃんと手を繋いだら周りの景色が消えて行ったかのようで、そんな狭い世界が、前世の私の全てだったなと思う。

「寝る前に、お兄ちゃんの話をしたせいかも。懐かしかったなぁ。お兄ちゃんって、どれくらい背が高かったんだっけ?」

 抱き上げられた時の景色が高くて怖かった印象がある。まだお兄ちゃんも子供だったろうに、当時からそんなに背が高かったのかな。

「どうだったかな……」

 唸るような声でイルゼちゃんが呟く。首を傾けたから思い出そうとしているんだと思って、じっと続きの言葉を待つ。イルゼちゃんは私の視線に気付いたら、どうしてか苦笑して肩を竦めた。

「エド兄は私よりちょっと高いくらいだったけど、リィ兄は私の目線に顎があった気がする」

「それじゃあ本当に高いね」

 イルゼちゃんは標準的な女性よりうんと高く、普通に街で見掛ける男性と変わらないか、高いことも多い。そんなイルゼちゃんと比べて明らかに高いなら、リベルトお兄ちゃんは男性の中でもかなり高身長だったことになるのだろう。流石にダンさんやジェフさんは、規格外として。

「それにしても、夢の中のイルゼちゃん、小さくて可愛かったなぁ。私はもっと小さくて、すっぽり腕に収まってたけどね」

「えぇ……それ何歳くらいの夢だったの?」

「多分、私が六歳か、七歳?」

「なんだ。めちゃくちゃ子供の時の夢か……」

 何処かホッとしたような声で、イルゼちゃんが呟く。流石にもっと大きくなってからお兄ちゃんに抱っこされた覚えはないよ。それから四、五年後には、王都に行っちゃったんだから。偶に帰っては来ていたものの、あまり私は話した記憶が無かった。

「あ」

 だけど一つだけ思い出した。思わず笑みを浮かべてイルゼちゃんを振り返ると、イルゼちゃんは頻りに目を瞬き、ちょっと戸惑っている。

「そう言えば、最後に会った時にリベルトお兄ちゃんがこっそり話し掛けてきたんだけど」

「は?」

 低い声で返してきたイルゼちゃんにも、私はあんまり気付いていなかった。思い出した話に少し自分でも笑っちゃっていたせいだ。

「兄貴が、何て?」

「えっとね、『うちにお嫁に来るのは今年?』って」

「あのクソ……!」

「ゴホゴホッ! ゲホ!!」

 激しい咳が割り込むように後ろから聞こえて、驚いて振り返った。イルゼちゃんが直前に何かを言ったと思うんだけど、流石にアマンダさんが心配だった。

「……大丈夫ですか?」

「あ、あぁ。すまん、何でもない」

 肩が震えているのは、まだ咳を堪えているせいだろうか。喉を少し痛めているのかもしれない。街に戻ったら、喉に良い煎じ茶を勧めてみよう。

「フィオナ、話を戻そう。あのクソバカ兄貴が何でそんな話を?」

「え、うん」

 私はまたアマンダさんの方を見たけど、もう落ち着いたのかケロッとした顔で私に前を向くよう促したので、頷いて従う。そしてイルゼちゃんの問いに答えた。

「イルゼちゃんが十八歳になるから、そろそろイルゼちゃんと結婚するんじゃないのって」

「は」

「もう可笑しくって。笑いながら、『小さい子供じゃないんだから、結婚できないってもう知ってるよ』って言ったの。お兄ちゃんも笑ってた。だけどお兄ちゃんがあんな風に揶揄ってくるなんて、驚いちゃったな」

 前世は、同性で結婚ができないと知って二人で大泣きしたことがあった。その件については大きくなってから幾度となく揶揄われていたのだけど、私が一人の時にリベルトお兄ちゃんが揶揄ってきたのはその時が初めてで、意外な思いを抱いていた。

「その後にお兄ちゃん、『でもイルゼとフィオナちゃんは二人とも僕の妹だから、もう似たようなものだね』って。ちょっと嬉しかったな」

 もしも結婚が許されていて、私がイルゼちゃんのお嫁さんになれたとしたら。正式にリベルトお兄ちゃんの『妹』になれたのだろう。実際には叶わないこと。だけどリベルトお兄ちゃんにとってはもう『そう』なんだって、決まりに関わらず認めてくれたみたいで嬉しかった。

「……あー。訳わかんないな、あの人は」

「ふふ」

 不思議な人という印象は確かに私の中にもあった。いつだって優しく穏やかに笑っていて、あまり心の内は、見せない人だったかもしれない。

「お話し中、失礼します。フィオナ様」

「はい」

 ちょうど話が途切れたところだった。グレンさんが不意に後ろから声を掛けてくる。

「間もなく、仰っていた森に到着いたします。私が先頭を進みますので、イルゼ様はフィオナ様のお隣に。アマンダは後方からの注意を頼む」

「ああ」

 応えたアマンダさんの声はやっぱりちょっと掠れていた。喉の調子は良くないらしい。変に話し掛けないようにしよう。

「分かりました。お願いします」

「進む方向は、逐次ご指示ください」

「はい」

 話している間に、森の入り口――は無いのだけど、私が入りたい場所に到着していた。

「どちらから入りますか?」

「この獣道から、この方角に向かって出来るだけ真っ直ぐに、お願いします」

 指示した場所を、グレンさんは躊躇なく入り込んでいく。私は前回ちょっと怖い目に遭っているせいで、恐る恐るその後に続いた。イルゼちゃんは既に周りを警戒しつつ私の隣に付いてくれている。その気配にちょっとほっとした。見上げたら微笑んでくれたから、そのお陰でもある。

「フィオナは好きに周りを観察していいよ。まあ、自分の足元にさえ気を付けてくれたら」

「あはは、そうだね。気を付ける。ありがとう」

 魔物から守ってくれている三人に、私が何も無いところで転ぶところまで見張ってもらうのは求め過ぎだろう。周りを観察するにしても、思考を取られ過ぎないように気を付けなくちゃ。

「あ、すみません、少し止まって下さい」

 しばらく真っ直ぐ進んだ後、周囲の木々の雰囲気が少し変わった時にお願いした。私は地図を見ながら、気になる植物についてメモを取る。土壌も気になったので無言で土を少し掘っていると、アマンダさんがちょっと笑った気配がした。今は気にしないことにする。

「フィオナ、そのまま頭を上げるなよ」

「えっ、はい」

 アマンダさんの言葉に私が身を固めた直後、弦の弾ける音と、頭上で矢が風を切る音が聞こえた。掠ったような気がしたんだけど、多分、矢の通りで風が起こってそれが触っただけ、だよね……。いつの間にか数体の魔物が出ていたらしい。頭を下げたままで周囲を窺うと、イルゼちゃんとグレンさんも戦闘を終了したところだった。

「あの、ありがとうございます……」

「大丈夫だよ、今日の私達は護衛だからねー。そのまま好きに見てて」

 イルゼちゃんは明るくそう言って、剣を鞘に納めた。まだそんなに集中していたわけじゃなかったのに、気付かないくらい静かに魔物と戦ってくれていたなんて恐れ入る。

「もう少し奥に進みたいんですが、大丈夫そうでしょうか」

「問題ありません。進みましょう」

 流石、こんなに強い人達が三人も居ると、この森でもそんなに危険ではないらしい。前回は見通しの悪い中イルゼちゃん一人で私を守らなきゃいけない状況だったから、撤退しか出来なかった。

 それからも二時間ほど、進んでは止まり、また進んでを繰り返した。

「こんなところに、石橋が……本当に当時、此処は街道だったのですね」

 進んだ先に見えてきた、小川に掛かるやや朽ち果てた石橋を見て、グレンさんが何処か感動した様子でそう言った。イルゼちゃんは「あー」と声を漏らしている。前世でヨルさん達と共に通った橋だと、分かったからだろう。

「道が記憶違いでなくて良かったです」

 おそらくこの辺りだった、という曖昧な記憶で進んでいたので、間違いないことを確認できて私は安心していた。植生からもこの道であっているはず、という予想は出来ていたのだけど、その予想が事実であると証明されたのは収穫だ。

「欲しかった情報は得られたので、戻りましょう。ありがとうございました」

「ふむ。結局あんたが何を調べてんだがあたしには分からなかったが……礼を言うには早いね。王都まで怪我無く、気を付けて帰るよ」

「はい」

 アマンダさんの仰る通り、私達は今、魔物が多く生息する森のど真ん中に居る。帰りにも同じ危険があるのだから、油断は禁物だ。

 ただし帰りにはもう私も戦えるし、特に立ち止まる必要も無かったので。行きよりずっと短い時間で、全員が無傷のまま、王都に帰還した。

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