第62話

「それにしても、十日か。ジェフが忙しいってことは、手合わせの相手も居ないな。城の騎士とか相手してくれると思う?」

「王様にお願いしたら、してくれそうだけど……」

 この旅は急ぎじゃないものの、十日間も同じ場所に滞在することは滅多に無かった。折角だから何をして過ごすのか、考えて動いた方がいいだろう。イルゼちゃんが最初に思い付くのはやっぱり『稽古』であるらしい。王都の騎士相手でもイルゼちゃんなら勝ってしまいそうでワクワクする気持ちもある。でも流石にお強いだろうから、イルゼちゃんが怪我をしないか心配する気持ちが同じくらい大きくて複雑だった。

「フィオナはどうするの?」

「うーん、まず家族には手紙を出したいかな……」

 向こうからの返事を受け取れるほどの時間は無いものの、辺境の村から手紙を出すより、王都から出す方がまだ安心してもらえると思うから。

「それと、もし可能なら、前に断念しちゃった西の森に行きたいな。グレンさんかアマンダさんも来てくれるならもっと先に進めるかもしれないし――」

 今世で初めて王都に来た時。王様に会うまでに一日猶予があったから、前世に通った森に行ってみた。でも想像以上に魔物が多く、引き返してしまったのだ。あの時はイルゼちゃんと二人きりだったけど、今の戦力ならもうちょっと進めるかもしれない。可能なら更に奥に入って、植生を確認したい。

 ふと、イルゼちゃんが黙り込んでいるのに気付いて顔を上げる。イルゼちゃんは目を真ん丸にして、何かを言いたげに口を開けて固まっていた。

「……イルゼちゃんに時間がある時に、だよ?」

「あー。良かった。びっくりした。私は置いて行かれるのかと思った」

「ふふ。しないよ」

 イルゼちゃんに、グレンさんかアマンダさんも来てくれるなら――という意味で言ったのに、イルゼちゃんの『代わり』にお二人が来るならという意味に聞こえてしまったらしい。心底ほっとした顔をするのがちょっと可愛くて笑ってしまった。しかし、そもそも置いて行った前科のある私が悪い。

「じゃあまず稽古相手だけ見繕ってもらって、空いてる時間にそれ行こう」

「うん。ありがとう」

 どちらも一旦グレンさんに相談して調整して頂こう。そう決めた私達は昼食後にはグレンさんの部屋を訪ね、お忙しい人なのでいらっしゃらなかったのだけど……言伝を残す。夕食の時間までにはグレンさんの方から訪ねて下さって、無事、内容を相談することができた。


「――で、まさか翌日早朝に騎士との打ち合いを調整してくれるとはね。流石グレン」

 嬉しそうにイルゼちゃんはそう呟いて、騎士さんから受け取った木剣を軽く振っている。今のイルゼちゃんの言葉通り、グレンさんは夜の内に調整を終え、早朝、稽古相手として騎士さんを七名も集めて下さった。騎士さん達はこの一時間後に通常の訓練が始まるらしいので、それまでの短い間だそうだけど。

「御一人でも良かったのでは……」

 見学に付いている私がぽそりと呟けば、同じく傍で見学に立つグレンさんが「いえ」ときっぱり否定した。

「イルゼ様のお相手にはならないでしょうから、人数が居る方が良いでしょう。出来れば二十名ほど集めたかったのですが……流石に二十名をまとめて動けなくした場合、城の防衛に少々問題が出てしまいますので」

 つまり此処の七名は動けなくなると思っているということ?

 それはそれで、既に問題があるのでは。

 言いたいことは色々あったけれど。何よりも『イルゼちゃんの相手にならない』という言葉が気になって、何も言葉にならない。いくらイルゼちゃんが強くたって、私が知る『王都騎士』は、そんな風に弱い剣士じゃなかったから。

 だけど、打ち合いが始まってすぐに、その印象は崩れた。弱いとは思わない。だけど、私の印象とは『違う』。

「それ本気?」

「……勿論、です!」

 イルゼちゃんも怪訝な顔をしていた。煽るつもりじゃなかったと思う。だけど騎士さんは少し悔しそうに眉を寄せてイルゼちゃんに斬り掛かる。数回その剣を自らの剣で受けた後、首を傾けたイルゼちゃんが容易く相手の剣を弾いて一本を取った。

 同じような手合わせが三人目となった辺りで、周囲に人が集まってくる。今回ご協力して下さっている七名の騎士さんとは別の騎士さん達だ。此処は騎士さん用の演習場となっている為、既に朝の訓練準備を終えた人が、見学しているんだと思う。

「やはり相手になりませんね。これでは……あまり訓練にもならないようです」

 静かにグレンさんが呟く頃には、最後の七人目が、剣を弾かれていた。

「他、誰か出来る人、居るー?」

 周囲に気付いていたらしいイルゼちゃんは、退屈そうな声を上げる。しばらく周囲がざわざわとした後。一人の男性がゆっくりと前に出た。

「私がお相手させて頂きましょう。副団長を務めておりますサンドロと申します」

「おー、大物! 嬉しい、ありがとう!」

 身体が大きい。ダンさんやジェフさんよりは小さいのに、何だかすごく大きく見える。イルゼちゃんは嬉しそうに笑うと、剣を構えた。サンドロさんも、背筋を伸ばし、丁寧に剣を前に構える。始まりの合図と同時に木剣同士がぶつかる音がした。

 イルゼちゃんが、微かに口角を上げたように見えた。

 二人は無言で、数え切れないほど斬り結んだ。私の目には途中から、何が起こっているかは見えていない。

 なのにそれでも、『違う』のだ。

 私がそう感じ始めた頃にはもうイルゼちゃんも、口元の笑みを消していた。

「やっぱり、のがずっと強いんだよね」

 低くそう言うと、イルゼちゃんは先程までよりもちょっと乱暴に、サンドロさんの剣を叩き落とし、木剣を彼の喉元に突き付けた。

「……参りました」

「うん。手合わせありがとう」

 周囲が一斉にざわつく。それもそうだろう。王都騎士団の副団長という肩書を持つ人が、田舎から来た十六歳の女剣士に真っ向から負けたんだから。

「お強いですね、勇者殿。……どうでしょう、王都騎士にご興味は?」

「無いよ。フィオナの傍に居られなくなるからね」

 軽く笑ってそう言うと、イルゼちゃんは木剣をサンドロさんに返して、こっちに歩いてきた。

「……此処には兄貴だって、居ないんだから」

 酷く寂しそうに呟いた言葉の意味が分かるのは、私だけだ。

「お疲れ様、イルゼちゃん。格好良かったよ」

 きょとんと目を丸めた後、イルゼちゃんがくすぐったそうに笑う。千余年前の、稽古の後みたいに。あの頃と何も変わらずに。だけどその心を本当に、こんな言葉だけで慰められるのか私には分からない。今イルゼちゃんの心の中にぽかりと空いてしまった穴を、この世界の誰も埋められないのだと思った。

 今後、イルゼちゃんは演習場を自由に利用して良いとのことだった。

 誰か手が空いていれば手合わせもしてくれるし、そうじゃなくても木製人形への打ち込みとか素振りとか、何でも気兼ねなく利用してほしいとのことだ。

「普段、イルゼちゃんと打ち合いをしているジェフさんも、騎士さんよりお強いんでしょうか?」

「今のような共通の木剣での手合わせでは、騎士の方が圧倒的に強いでしょう。ジェフは巨大な魔物のようなもので、あの体躯で信じられない程に早く、大剣による打ち込みが重い。そのアドバンテージがあってようやく、イルゼ様の相手を出来ているのです」

 巨大な魔物って……と思ったけど、グレンさんが冗談を言っている様子はなかったので口を噤んで続きを聞く。

「単純な『剣術』を今のように競った場合、……イルゼ様は群を抜いています。副団長でご満足いただけないとなると、もう相手はおりません」

「でも、ええと、団長様が、おられるのでは」

「現在の団長殿は、単純な『強さ』で任命された方ではないのです。今、騎士団で最も強いのが副団長と言われております」

 私は黙り込んでしまった。イルゼちゃんが誰も敵わないくらいに強いって、すごく嬉しいし格好いいことなんだけど。今よりずっと強くなる為に稽古相手を求めていたイルゼちゃんにとっては、すごく悲しいことなんだと思う。施設を案内してもらっている背中からは、最初に此処を訪れた時のような機嫌の良さが感じられない。

 何だか私も妙に、悲しく、寂しい気持ちになっていた。

 前世で王都騎士だった、イルゼちゃんの二人のお兄ちゃん達。二人はずっとずっと強かった印象があるのに。それは私達にとって勝手に美化してしまった記憶なのか、それとも、お兄ちゃん達のように強い人が多く居る代は、珍しかったのか。実際のことは何も分からないけど。イルゼちゃんが王都騎士の中で無意識に求めていた『お兄ちゃん達』の姿が何処にも無いことだけは、はっきりしていた。

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